第2話 家を手に入れましょう!
「え! 貴女、移住者なの!?」
「えっと……はい」
入街した私は、街中の景色を眺めるのもそこそこに、とりあえず今日の宿を探すことにした。しかし、宿と一口に言っても、もちろんどこでも良い訳ではない。
宿選びに当たって、私が一番気をつけた事。それはセキュリティーだった。
私は今、出所の分からない大金を手にしている。一応、移住許可を得ることはできたが、これを失ってしまえば、私は即座に無一文に逆戻りだ。元の持ち主さんには、大変申し訳ないんだけど……もう、これを手放す気は、私にはない。
すべてを失った一年前。
そして始まった泥水を啜る屈辱の一年間。
その間に、私は変わってしまったのだろう。以前の私は、貧しき者に、富の一部を分け与えることを当たり前だと思っていた。ノブレス・オブリージュ。それが、貴族として生まれた私の役目だと、心から信じていた。
しかし、転落して堕ちる所まで堕ちた私が大金を手にした時には、この中の一部さえも、誰の手にも渡したくはない……そう思ってしまったのだ。
元の持ち主が誰かなんて関係ない。どこかで誰かが泣いているかもしれない。
……悪いけれど、興味もなかった。
強く胸の中で渦巻く感情。
それは――このチャンスを逃すなという、強固な決意。
そう、これはチャンスなのだ。私が――貴族でも何者でもないシアンとして這い上がる、最初で最後のチャンスかもしれないのだから。
「へぇ……そうなの! 移住者なんて珍しいわね! この街に移住するのはすごく難しいのよ? もしかして、どこぞのお嬢様なの?」
「さぁ……どうでしょう」
私は曖昧な笑みを浮かべて、言葉を濁した。グリント家の名前は、できる限り出したくはない。たとえ他国であっても、グリントの名はあまりにも大きすぎる。
「うふふ、そう、秘密ってわけね」
そうお茶目に笑いながら、彼女――アリッサさんは片目を瞑って笑う。
アリッサさんは、個人経営の宿【ヴァンダービルド】のオーナーさんだ。女性専用の宿であり、女性の専属護衛が二十四時間体制で警護をつとめてくれる。
高セキュリティーかつ、内装も女性用らしく非常に凝った造りになっているため、当然値は張るものの、アリッサさんは接しやすいし、今のところ言うことなしである。
そして、アリッサさんとの会話中に、気になる事をいくつか聞くことができた。というのも、移住者の条件は、思っているよりも遙かに厳格であり、そう簡単に通るものではないもののようだ。そのせいで、私はどこぞの有名な貴族か、亡国の姫ではないかと、アリッサさんに疑われている最中である。
「でも、本当に移住者申請が通る割合は少ないのよ。だから、シアンちゃんも、軽々しく口にしたらダメ。いいわね?」
「はい、ありがとうございます」
詮索しながらも、ちゃんと注意してくれるのだから、アリッサさんはとてもいい人なのかもしれない。一年前の私なら、ノータイムで信頼していただろう。
まだ、完全に心を許すことはできないけど、注意してくれた件については、堅く口を閉ざそうと、私は心に決める。
「じゃあ、お部屋に案内するわ。ついてきて」
「分かりました」
アリッサさんの後に続いて、私は歩き出す。すると、螺旋階段を上ってすぐの部屋の前で、アリッサさんは脚を止めた。
「ここよ」
言いながら、アリッサさんは、その部屋のドアを開ける。
そこには――。
「わぁっ……!」
広がった光景に、私ははしたなくも、大口を開けて感嘆した。
まず、目についたのは、全身を移せる大きな鏡である。次いで、二、三人は余裕で寝られそうな、巨大な天蓋付きのベッド。鏡のすぐ傍には、無料で使えるというスキンケアや化粧品の数々。
おまけに、お風呂やトイレも当たり前のように完備してある。部屋は基本的に、ソファーなどの家具も含め、白と淡い青で統一されていた。
この空間にいるだけで、心が落ち着くような部屋だった。
「ああ、そうそう、これも渡さないと」
アリッサさんは、何かを思い出したように手を打つと、急いで階下に下り、また急いで上がってきた。その手には一つの液体の入ったパックが握られている。
「これ、良かったら使ってみて」
手渡され、私は受け取る。
「えっと、これは?」
パックには、薔薇の絵が描かれている。だが、貴族生活の間にも、使ったことも、見たこともなかった。
「最近この辺りで流行っててね。それで髪や身体を洗うと、肌がスベスベになったり、いい香りがするってオイルなの」
へぇー、そんなものがあったんだ。
人と交流していない間に、人類社会は格段の進歩と遂げていたらしい。
「殿方の受けも抜群よ!」
ニコッと笑ってアリツサさんは言う。
「はぁ……」
でも私としては、当分の間、男性は遠慮したい。
「あら? 殿方はお嫌い?」
「嫌いって訳ではないのですが……」
私の反応が急に鈍ったからか、アリッサさんは少し慌てる。
「もしかして、嫌な事聞いちゃったかしら? そうよね、女性専用の宿に宿泊するんですもの。私の配慮が足りなかったわ。ごめんなさい」
「そ、そんな!」
これからお世話になるのだ。できれば、アリッサさんとは良好な関係を築きたかった。何よりも、街に入って初めて出会った人だ。ここで躓けば、私の精神衛生上も非常によろしくない。
「気にしてませんから。その……男性は確かに苦手なんですけど……」
「そうなの……」
だから、私は少しだけ本音を話した。スタンリー様との経験から、私は男性という存在には苦手意識がある。もしかすると、あっさりと父に捨てられた事も影響しているのかもしれない。
「……分かったわ。でも、このパックはよかったら使って頂戴ね? 男性云々は別にしても、とても気持ちが良いし、気分も落ち着くから」
「……はい」
私の告白に、アリッサさんは一瞬沈痛な面持ちを浮かべる。しかし、すぐに気を取り直すと、それ以上深くは聞かないでいてくれた。
アリッサさんは最後に、私にニッコリと上品に微笑む。
「それじゃあ、貴女も疲れているでしょうから、私はこの辺で。もし何かあったら、遠慮なく言ってね? あ! あと戸締まりは忘れないようにね。それじゃあ、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
挨拶をして、アリッサさんは部屋を出る。
アリッサさんの言葉に習って、私はすぐに部屋の鍵をロックした。
「ふぅ……」
数時間ぶりに一人になって、自然と溜息が私の口をついて出た。アタッシュケースをゆっくりと床に置くと、なんだか手に重みがなくなったことで少し不安になってくる。必要以上の力で握りしめていたからか、右の手首が僅かながら痛みを訴えていた。
私はアリッサさんに貰ったパックを見て……。
「……お風呂、入ろうかな」
そう呟いた。
呟く事で、少しづつ、今の状況に現実味が沸いた。
「……そうよ。何も不安に思うことなんてない……もう大丈夫なんですもの……」
お金を手に入れて、何も心配することなどないはずなのに、どうしてこんなにも不安な気持ちになるんだろう。
すべてが上手くいきすぎているから?
それとも、人と接して裏切られるのが怖いから?
たぶん、そのどちらもで、それ以外にも多くの理由がある気がする。
「……ん、いいや。とりあえずお風呂には行って、今日は寝よう」
細々したことは、全部明日考えれば良い。
今日は暑いお湯を浴びて、フカフカのベッドで寝る。それだけを考えよう。
私はそう決心して、お風呂場に向かうのだった……。
「眠い……」
朝日を浴びて、開口一番私が口にしたのは、そんな……その場にそぐわぬ言葉だった。
ベッドから気怠げに起き上がり、鏡を見ると、そこには目の下に隈を作った少女の姿がある。
「……酷い顔だなぁ……」
こんな酷い顔を見たのは、一年ぶりぐらいかもしれない。
なんだかんだ、私はあの劣悪な森の環境下にも適応していたのか、堅い木の床の上でもグッスリ眠れるようになっていた。
それが、昨日はフカフカのベッドに横になっていたにも関わらず、一睡もできない始末だ。
原因は、分かりきっていた。
「…………」
私は無言で、ベッドのすぐ隣に置いてある鞄を見つめる。
目を閉じたら、金貨が夢のように消えてなくなるのではないか……そう考えると、不安で目を瞑ることすら怖くなってくる。そのせいで、久々の暖かいお湯を使えるというのに、お風呂も烏の行水のようになってしまった。
「ダメだなぁ……私……」
幸せになるために、チャンスを掴むために得たこのお金。しかし、お金を使う側であるはずの私が、お金に支配されているように気になってくる。
「っ! ……しっかりしないとっ!」
洗面所で顔を洗い、私は気合いを入れるべく頬を軽く叩いた。
覚悟を決めろ! 私っ!
それから一週間程は、風のような早さで過ぎ去っていった。
「どうしたの? もしかして、今日も眠れなかった?」
「えっと……その……あ、あははは……」
「もうっ……笑ってる場合じゃないでしょうに」
私は一週間が経過した今も、相変わらず【ヴァンダービルド】に宿泊していた。美味しく、熱々の朝食を無理矢理お腹に詰め込むと、少し目が覚める。そして、いつも通り、アリッサさんに心配をかけてしまう。初日よりも多少はましになったが、私の両目の下には、今もうっすらと隈が浮かんでいた。
「でも、大分新しい環境にも慣れてきたかもしれません。昨日も、少しは眠れましたし」
「若いんだから、睡眠はしっかり取らないと! 今はいいけど、年取ってから後悔するんだから」
アリッサさんは、そう言いながら、私の頬をグリグリと指先で弄んだ。
「さすがにお肌が荒れてきてるじゃない……。私みたいになっちゃうわよ?」
「アリッサさんは十分綺麗だし、若々しいじゃないですか」
「それだけ努力してるの。日々少しづつ努力するだけで、将来の努力が少なくなるのよ」
「……それって、結局は同じくらい努力しないとダメって事じゃないですかっ」
アリッサさんとも、大分打ち解けることができていた。私の事をすごく心配してくれるし、親身になってくれる。私が、まだ少しだけれど、心を開いてしまうくらいに……。
それに――。
「そういえば、今日なんでしょう?」
「あ、はい。すみません、ご迷惑をおかけしてしまって……」
「いいのよ。今日は、貴女の他の泊まりのお客さんも二組だけだし、貴女はなんだか危なっかしくて、放っておけないもの」
「あ、あはは……」
この一週間。私自身の行いを鑑みれば、アリッサさんのその印象も、否定はできない。
本当に、情けないなぁ……。
「何時に予約してあるんだっけ?」
「今日は午前中ならいつでも大丈夫らしいです」
「そう。私の方も特に急ぎの用事もないから、準備ができたら声かけてね」
「はい、ありがとうございます」
今日の午前中。私は街の不動産屋さんを通じて、家を借りることになっている。この国においては、貴族は別にして、すべての土地と、そこに建てられた建造物は国の所有物ということになっている。仮に、新しく家を建てたとしても、それは国に接収され、住むことはできるが、家賃を払わなければならない。
それだけ聞けば、一見家を建てることにメリットがないように聞こえるが、利点ももちろんある。リザニウムは、それぞれの街自体が大きな力と資金力を持っている。また、街同士の交流も頻繁に行われていた。ゆえに、よその街の貴族や富豪が度々訪れる。その際に、宿泊先として斡旋されるのが、個人の建てた家である。国の作る建物は、とにかく機能性のみを優先していて、華やかさに欠ける。その点、個人が財力と趣向を凝らして建てた家は、貴族や富豪には大人気であった。
よい家を建てた者は、貴族や富豪の間で瞬く間に話題となり、それが本業の利益に繋がる。おまけに人脈も期待できて、一石二鳥だった。
そんな訳で、リザニウムでは庶民であっても、職によっては少々無理をしてでも家を建てる者が後を絶たない。リザニウムの大半の街では、当面貴族や富豪の訪れる予定のない家が、格安でよく市場に出回っているのだそうだ。
閑話休題(それはさておき)――。
リザニウムにおける住宅事情は、だいたいそんな感じ。
だけど、一つだけ問題があったのだ。
家を無条件で借りられるのは、リザニウムの永住許可証を持つ人間だけ。それ以外の人間が家を借りるには、永住許可証を持つ人間の後ろ盾が必要だった。
途方に暮れる私に、声をかけてくれたのが、アリッサさん。
彼女はただの一顧客でしかない私の後ろ盾になってくれると言ってくれたのだ。
そして――。
「おめでとう、シアンちゃん。ここが貴女の家よ」
アリッサさんが、ドアを開ける。
その中へ足を踏み入れ、私は感嘆の吐息を零した。
「あぁ……」
ここが私の家……なんだ。
そこは、木目の綺麗な家だった。小まめに手入れされているのか、どこにも埃一つ落ちていない清潔な空間。調度品や家具は完備されていて使い放題。リザニウムにおいて、厳しいとされている冬の寒さにも耐えられるような立地に建てられていた。
「こ、ここを本当にあのお値段で貸して頂けるんですか!?」
一般的な三人家族の月の生活費がおよそ銀貨五枚程。
ここの家賃は、ちょうどそれと同じ銀貨五枚だった。
決して安い訳ではないものの、質を考えれば破格の値段だ。
「心配はいらないわ。ここは、私の知り合いの富豪の男性が建てられた所なの。貴族の方が来る時は一時的に開放してもうらうことになるけれど、それは大丈夫よね?」
「それはもちろん」
その条件については、事前に言われていた事だ。
元々は貴族のために作られた家。
その時に開放するのは当たり前だと思う。
むしろ、ムカつくけれど、今だけは私も貴族に感謝しなければならない。彼らの存在があるからこそ、ここは建てられたのだ。
「あと、シアンちゃんはセキュリティーに関して特に気にしていたみたいだから、それに関しても万全よ!」
アリッサさんが玄関を指さす。
鍵は、二重に取り付けられていた。鈍い金属の光沢が、その頑強さをこれでもかと誇示している。
「伝えることはそれくらいかな……? じゃあ、そろそろ私は帰ろうかしら……シアンちゃんもゆっくりしたいだろし」
アリッサさんは、そう言いながら笑った。
私は慌てて、アリッサさんを引き留める。
「そ、そんな! ご迷惑でなければ、お茶でも飲んでいってください!」
こんなにもお世話になって、そのまま帰したのでは、あまりに失礼だ。
お礼はもちろんとして、お茶くらい出さなくちゃっ!
「そう? ……なら、少しだけご馳走になろうかしら?」
「す、すぐにお茶の用意しますから! ソファーに座って待っててください」
私は肌身離さず持っていた鞄を壁際に寄せると、足早にキッチンに向かう。
お茶やお茶請け、その他諸々の生活用品については、ここへ来る前にアリッサさん付き添いの元、買い込んできている。
右手にぶら下げたトートバックの中からそれらを取りだして、私は速攻で用意する。
「お待たせしたした~」
お茶は五分も待たせずに、用意できた。元々お茶を入れることに関しては、私の中では得意な部類に入る。実際に入れるのは久々だったけど、けっこう上手くできた自信もあった。
「お口に合うといいんですけど」
言いながら、お茶請けのケーキと共に、アリッサさんの前に差し出す。
「ああ、これさっき買ってたやつね?」
「はい」
「もしかして、初めから私のために?」
「ええ、まぁ」
少し恥ずかしい。
だけど、良い機会だと思い、私はこの場で言ってしまうことにする。
「その、今までご面倒をおかけして、ごめんなさい。それと、今日はありがとうございました!」
ガバッと私は頭を下げる。
一瞬目が合ったアリッサさんは、私の突然の行動に驚いたかのように目を丸くした。
だけど、すぐにその表情はフンワリと和らぐ。
「別に気にしなくてもいいのに。私が好きでやっている事よ。それに貴女って危なっかしくて見ていられないんだもの」
アリッサさんは頭を下げる私の頭をそっと撫でる。
誰かに触れられる。
その優しさと温かさに、少しだけ私の目尻に涙が浮かんだ。
だけど、私はその涙をグッと堪えて、笑顔を作った。
これ以上……アリッサさんに心配をかける訳にはいかない。
「うん。いい笑顔。貴女は笑顔の方が似合うわ。さぁ、お茶が冷めてしまうわ。頭を上げて、座りなさいな」
「はい……」
それからアリッサさんとは、時間が許す限り、いろいろな事を話した。
この町の事、今までで一番楽しかった事、趣味や、初恋の事まで。
アリッサさんは最後まで……私が常に手放さなかった黒塗りの鞄について尋ねてくることはなかった。
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