第4話 前をよく見て走りましょう!
帰り道。
店主さんに教えて貰った鶏肉を使った料理のレシピを何気なく眺めながら、私は歩いていた。
右手には、鶏肉の入った袋。もう片方に手には、レシピで必要なスパイスの類い。
料理……上手く出来るかな? ……美味しく出来なかったら、鳥さんにも申し訳ないし……。
私はお茶を入れる事には自信があるが、料理にはまったく自信がなかった。というよりも、経験がないのだ。貴族時代には、火を扱うことすら、お付きの目のない所では禁止されていたくらいだ。
森の生活では、ほとんどが丸焼き。鳥の調理程度に狼狽えていたように、野生動物など私に獲れるはずもない。物理的に、ではなく……だって可哀想だと思っちゃったから……。
そういう訳で、山菜類にキノコや水辺に住む魚……それと虫が主な食材。当然調味料もなく、よく言えば自然のままの味を堪能していた。
……あまり美味しくはなかったけれど……。
生きていくのには、それで十分だった。
だけど、この街に来てしばらく経つ。その中で、美味しい食べ物の味を私の舌は完全に思い出してしまっていた。
アリッサさんの作ってくれる料理はどれも絶品で、その味を目を瞑ればすぐに思い出すことができる。
あぁ……また食べたいなぁ……。
はしたなくも、私はジュルリと唾液を啜る。
そのおかげで、なんとか唇の端から唾液零すという失態は演じなくてすんだ。
「どうせ作るなら、美味しい物を作りたいわよね……」
ゆえに、私がそう思うのも、必然というもの。
これでも、一応私は女だ。
将来の事はともかくとして、料理ができて損することもないだろう。
「ふふふっ……」
そんな事を考えていると、自然と笑みが零れた。
日々をどう過ごすか。それを楽しみに思える事に、胸が一杯になる。
そして、それと同じくらいに不安になるのだ。
……大丈夫……大丈夫……大丈夫。
そんな時は、繰り返し自分に言い聞かせる。ゆっくりではあるけど、着実に不安になる時間は減っていた。
こうして、少しずつ慣れていけばいい。私には時間も、未来もある。
多くのモノを失ってしまったけど、また見つけて、手に入れることだってできる……。
――――グゥ~~。
考え事をしながら歩いていると、ふいに、お腹が鳴った。
そういえば、朝から何も食べてなかった。不思議なもので、そう自覚すると、急速にお腹が空いてくる。
……早く帰って、早速料理を作ってみよう!
千里の道も一歩から。
私は歩くスピードを上げようと顔を上げて、硬直した。
「…………え?」
ドクンと、心臓が大きく音を立てて跳ねる。
そのまま鼓動は連続して、私の胸の奥を揺らした。
「……あ、あれ……? っ!?」
フラリと、足下がグラつくような感覚。
平衡感覚が失われ、気分が悪くなる。それも、尋常ではない気持ちの悪さ。世界が、暗転していく。
その原因は――不安。
猛烈な、吐き気すら催すような、強烈な不安。
嘘……嘘……そんなはずない……! きっと、何かの見間違いに決まってるわ……。
私の視界の先には、フードを目深に被った一つの影がある。
高い身長から考えるに、恐らくは男性だろう。
しかし、その顔はフードに隠れて、判別することはできない。
何よりも、私を動揺させるモノ。
それは、その人物の手に握られている――。
「……あれは……私の……鞄……?」
……黒塗りの、鞄だった。
それ自体は、別に珍しくもなんともない。
旅行者、冒険者などは、この街に限らず、どこにでも存在している。
だけど……それだけじゃないのだ。
謎の人物の持つアタッシュケースには、側面に大きな傷がついていた。
その傷は、まさしく私のアタッシュケースの特徴と完全に一致している。
毎日、毎日……。不安に駆られて、食い入るように見つめ続けていた鞄を私が見間違えるだろうか?
結論はすぐに出た。
ありえない! 絶対にありえないわっ!
とにもかくにも、私は件の男性の後を追いかけるべく、方向転換して足を踏み出す。
しかし!
何が原因か、私に落ち度でもあったろうか?
男性は突如振り返ると、私の方をじっと見た。フードに隠れて、目元はまったく見えない。それでも、私を見ているのだということは容易に判別できた。
私が振り向いた男性に驚き、動揺して動きを止めていると、男性は反転し走り出す!
「ちょっ! ちょっと待って!?」
私も男性に制止を求める声を上げながら、その後を追う。
しかし、それで足を止める人間など、いるはずもない。
ただ一つ分かった事。
それは、男性の手の中にある鞄が、私のモノであるという確固とした確信だ!
待って! 待って! 待って待って待ってぇっ! 私の鞄よ! お金を返してよっっ!!
男性の背中を追いながら、私は心の中で半狂乱になる。
幸い、金貨銀貨の詰まった鞄は重く、男性といえども、そう早く走ることはできないようだ。男性の背中を見失うという最悪の事態には、なりそうもない。
あとは、体力の問題。
森の中での生活を得て、私は体力にはある程度の自信があった!
「っ……っっ! 待ってぇっ……はぁ……ふぅっ……っ!」
一定のペースを心がけて追う。
だけど、すべてを失いそうな緊張感からか、呼吸が普段よりも遙かに速いタイミングで乱れ始める。
あれが! あれがないと!? 私は! 私はああああっ!!
「ぐっくぅっ!!」
奥歯を噛みしめ、下がりかけた太ももを懸命に振り上げる。
無我夢中で腕を前後に振り回した。
だが、それでも相手は男性。
私には一年間の森暮らしがあるとはいえ、所詮は貴族上がりの女だ。
体力も、走る速さも、謎の男性――。
「待ってぇ! この、泥棒っ!」
そう――あの泥棒に一日の長がある。
もうこの際、私も泥棒に片足を突っ込んでいるといった事実は忘れてしまえ!
全速力で走る私と泥棒。
慌ただしく過ぎ去る二つの人影に、周囲を行き交う人々がぎょっとしたような視線を向けてくる。
周囲に助けを求めたいのは山々だが、鞄の中身が盗品であろうことを考えると、そう易々と助力を願うことは憚られた。
幸いだったのは、リザニウムの町並みは整備されており、道幅も広くて、人は多いもののそれほど混雑している訳ではなかった事。
もし混雑していたなら、私などあっという間に撒かれていたことだろう。
それでもしばらく追い続けると、華麗に人並みを躱す泥棒と違い、私はギリギリで急停止したり、肩が掠ったりと、生来の運動神経の差が如実に表れ始めた。
そうして、
「きゃっ!」
とうとう、私は前を歩く人を躱す切れずに、その背中に突っ込む。幼少期の訓練のおかげで受け身をとることはできたが、このまま転がっている訳にはいかない!
「いってぇっ! ……あん?」
不幸中の幸いは、相手が男性だった事で、私は鼻を強打。相手には、二三歩たたらを踏ませてしまう程度の被害で済んだこと。
「ご、ごめんなさい!」
それでも、全面的に私が悪いので、すぐ様謝った。
だけど、そうしている間にも泥棒との差は開いていく。
「す、すみません! お詫びはまたいずれ!」
焦りがあったのだろう。
申し訳なく思いつつも、ぶつかった相手の顔すら見ずに私は走り去ろうとする。
それがいけなかった。
「自分からぶつかってきといてよぉ!? 調子に乗ってんじゃねぇぞぅ!? この小娘が!」
「ひっ!」
そんな私の態度は、当然の如く相手の怒りを買ってしまう。
尖ったモヒカン頭に鋭く生えた出っ歯。目つきはまるで鬼のように鋭く、わざと着崩したシャツの裾からは、ナイフの柄がはみだしていた。
一目見ただけで、危険な人種だと……関わってはいけない類いの人物であると理解できる。
また、彼は一人だけではなく――。
「おい! 待てや、このアマッ!?」
「なめんじゃねぇぞっ!?」
似たような髪型、服装の取り巻きの男性達が、私の背中に向けてすごんできた。
震えそうになる両足。サーと血の気が引く音を頭の中で聞きながら、私は必死になって走った。
すぐ背後からは、いくつもの足音と罵声が執拗に……。
「止まれやっ!!」
「ぶっ殺すぞっ!!」
私を追いかけてきているのだ!
私は、振り返らなかった。振り返っても、できることなんて、何一つとしてない。
なんで! どうして!? どうして私はいつもこうなの!!?
ただただ、己が不幸を泣き叫びたかった。
前方には泥棒。
後方には不良。
本当に泣きたい。
「っ……はぁ……はぁ……ぅぁ……っ」
呼吸が続かなくなってくる。
胸が、痛いくらいに苦しい。
脇腹が悲鳴を上げていた。
前を走っている泥棒が、街角を曲がる。
私がその後に続いて曲がると、
「え!?」
泥棒の姿は、忽然と消えていた。
「待てやこらーーーーっ!!」
「っ!」
迷っている暇はない!
私は角を曲がってすぐの所に建っている民家のドアに、一か罰か手をかけた。
回してみると、
「あ、開いた!」
後先考えず、私はその中へ身体を滑り込ませる。
民家の中は真っ暗だった。
息を殺して、私は民家の奥へ、足音を立てないようにゆっくりと進む。
お、お邪魔します。本当にごめんなさい!
私が民家に入ったすぐ後に続いて、私を追ってきた不良の足音。私を見失い、困惑する複数の声が聞こえる。
「…………あっ、鍵……」
しまった! 閉め忘れた!
そんな余裕はなかったとはいえ、致命的なミスだ。
追っ手の風貌を考えれば、民家に押しかけるぐらいは平然とやってのけるかもしれない。
「……っ……ぅぅっ……もう……やだぁ……っ」
堪えきれず、涙が零れる。
真っ暗な部屋の隅で、情けなくすすり泣く事しかできない。
……これからどうなるのだろう。
そう考えるだけで、心は千々に乱れた。
――――タッタッタッ……。
徐々に、外の足音がこの家に近づいてくる。
「……ひっ」
私は、もう何も考えられない。
手を組み合わせ、ガタガタと震える。
「……そう遠くに逃げられる訳ねぇ! すぐ近くにいるはずだ! 探せっ!」
「「うっす!」」
ドアのすぐ傍で、私がぶつかったリーダー格の男が、取り巻きに指示を与えている。
私は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
思い返してみれば、自業自得なのかもしれないわね……。
胸中で、自嘲する。
だって……あのお金だって、誰かの大切なモノだったのだろうし……それを私は盗んだんだから……。
私はあのお金を盗品だと決めつけたが、そうである保証などどこにもない。
そもそも盗品だからといって、私の行いが肯定される事などありえない。
もし盗品なら、持ち主がいたはずだ。
私はそれを知っていた。
知っていて、無視した。自分の都合のために。
私のために利用して、今もどこかで誰かが苦しんでいるかもしれないのに……。
「……ご、ごめんなさいっ」
今更ながら、後悔。
一度は犠牲にするなど宣っておきながら、こうして我が身の危機に直面すれば、簡単に意思を覆す矮小さ。我がことながら、絶望的なまでに救えない。
「……ごめんなさいぃっ……」
そして、その後悔すらも自己満足にすぎない。
ただ、謝罪の言葉を口から捻りだして、罪を贖ったつもりに浸る。
――――ああ……それは何て……。
その様は、私が軽蔑して嫌った父や妹、スタンレー様の姿そのままだった。
彼、彼女らも、最後の瞬間。私の追放が決まった瞬間。
誰もが殊勝な顔を浮かべていた。申し訳ないと口々に告げ、申し訳なさそうな表情を作っていた。まるで、こんな事はしたくはないのだ……そう言いたげに。
私と一緒だ。
謝るくらいなら、最初から泥棒などすべきじゃなかった。
私は、組んだ手を離す。ダラリと、肩が落ちた。
「おい! 開けろ!」
私の隠れている民家の扉が、乱暴にノックされる。
「……っ、ふふふっ……」
一目で柄の悪いと分かる彼らですら、家に入る前にはノックをする。
勝手に忍び込む私よりも、余程お行儀が良い。
元々、彼は被害者だ。
私は、彼にぶつかってしまった加害者だ。
……罰を受けなければならない……。
自棄になっていると、自覚はあった。
だけど、もう何もする気も起きない。
生きる糧、人生逆転のためのお金は、もう手の届かない所にいってしまったのだから。
「……ん? 開いてるのか?」
鍵が開いていること気付いた不良は、ドアノブを慎重に、ゆっくりと回す。
私は覚悟を決め、目を瞑ろうとして――背後に迫る人影に、ようやく気付く。
「っ!?」
私が悲鳴を上げるよりも早く、背後の人影は私の口元を手で塞いだ。
「っ! っっ!! っぅぅっ!」
パニックに陥って暴れる私の身体を、人影は楽々と部屋の奥の闇へと引き摺りこむのだった……。
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