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孤独と折り合いをつけた春も、教室で本を読むのが日常になった夏も、文化祭の準備で雑用を割り振られた秋も、受験に向けて皆が机に
それでも、時には不意打ちの寂しさに
自分が自分ではなくなるような、不安の発作に襲われたときは――芙由は、風景の中からこっそりと小静の姿を
授業を受ける小静の横顔を、芙由は何度も盗み見た。空気が蒸した梅雨の朝に、乾いた夏の風に前髪を揺らして、
芙由はそんな小静の行為を、奇妙だとは思わない。むしろそれこそが自然であり、世界のあるべき姿だと感じたから、声は決して掛けなかった。もし小静に話しかけてしまったら、芙由が小静に抱いた
そんなことは、望んでいない。芙由は、ただ見ているだけでいい。
小静と出逢うまで、芙由の世界は無人だった。学校を多くの生徒が行き交っても、誰もが透明人間であるかのように、芙由に関心を払わない。果たしてどちらが透明人間だったのだろう。それは芙由のほうかもしれなかった。生きているのか、死んでいるのか、実感が曖昧なモノクロの世界に、小静は色を
誰かと一緒にいなければ、ここに居てはいけない。そんな
この先に何が起こっても、高校を卒業して芙由たちの進路が分かたれても、たとえ小静と二度と会えなくなる日がやって来ても、小静だけはいつまでも変わらない。
背筋を伸ばした
*
「今から一年前に、上司から食事に誘われるようになったの。二人で会うのは気が引けたけど、会社の付き合いだと思って一回だけ行ったら、誘われる回数が増えて……優しい上司だったけど、その一件があってから、私は上司が怖くなった。その上司が既婚者だということを、私は最初から知っていたから……」
小静の淡々とした打ち明け話を、芙由は
呼吸が、苦しい。胸に、圧迫感がある。小静の
「私は、お誘いを断った。私たちの間に何もなくても、周りはそうは見ないから。でも、断りきれなくて何度か応じてしまった。それが、いけなかった。いつか、大変なことになる。分かっていたのに、私は応じた。……先月の夜、会社を出て帰ろうとする私を、一人の女性が引きとめた。年上の女性で、知らない人だったけれど、私には彼女が上司の奥さんだとすぐに分かった」
「その人に私は、頬を思いきり叩かれた。あんなに強く叩かれたのは、生まれて初めてのことだった。親にも叩かれたことはなかったから、私は今まで大事にされていたんだって、子どもみたいに思った。上司の奥さんには、悲しいことをさせてしまった。あの人だって、他人に暴力を振るいたいわけではなかったはずで、でも、そうしないともう生きていけないくらいに、強い思いがあったことが、分かったから……私は」
一呼吸を置いた小静は、
「そんな感情を、彼女の中に育ててしまった、責任を取るべきだと思う」
「だから、会社を……辞めるの? 清野さんは、悪くないのに!」
芙由は聞くに耐えなくなって、叩きつけるように叫んでいた。静かだった車内の空気に、緊張の電流がぴりりと走る。はっと口を
「それに、いい機会だと思ったから」
「いい機会……?」
意味が理解できない芙由に、小静は微笑を向けた。
「
「欠陥だなんて……私は、そうは思わない」
芙由は、必死に
学生時代に孤高を
「……ありがとう」
小静は、淡く笑った。
――芙由の知る清野小静は、こんなに笑う子では、なかった。
「でも、私だけがそう思っているわけじゃないと思う。会社の人も私に対して、そういう評価を
小静は「難しいね」と
「あれから、私はとても悩んだ。もし私が会社を辞めたら、あの人たちの前から消えてあげることはできるかもしれない。でも、私の日常が大きく変わってしまうから」
消えてあげるという
――思えば、あのときの芙由もそうだった。
芙由はただ、消えてあげようと思ったのだ。芙由の存在そのものが、周囲に迷惑を掛けたから。あの教室という水槽から、狭い社会から、世界から。
「本当にそれでもいいのか、私はとても悩んだ。そのときに、私は……玉岡さん。あなたを思い出していたの」
「私?」
芙由は、驚いた。どうして、高校の同級生の一人に過ぎなくて、しかも会話をろくに交わしていない、芙由を。小静は、照れ臭そうに口角を少し上げると、とっておきの秘密を打ち明けるように、小声で言った。
「玉岡さんは、私の憧れだったから」
息が、止まった。
「高校三年生の教室で、私はいつも一人だった。三年生になったらみんな、仲良しの相手は決まっているから。優しくしてくれる子もいたけれど、特別な相手はできなかった。――でも、玉岡さん。あなたは、私とは違っていた。特定の誰かを無理して作らなくても、教室で過ごしていけることを、あなたの姿が教えてくれた。あなたには、社会に順応する力が備わってる。そんなところが、眩しかった。……私から、声を掛けたらよかったよね。でも、私はそんな玉岡さんの姿を見かけるだけで、がんばろうって思えたから、一人で満足していたの。今さらこんなことを言われても、困るよね」
唇を震わせた芙由は、なんとか
「
「私は……何も、してないよ」
「でも、あなたに背中を押してもらった気がするから」
小静は、また笑った。今までのどんなときよりも、力強い笑みだった。
「私、変わろうと思う。自分を変えるための、いい
車窓で
かつて、不変の
そもそも最初から、芙由は小静を理解していなかった。小静は暗闇で
そんな行動は、芙由が今までの人生で一度たりとも、しようとしなかったことだった。
新たな生き方を提示された芙由は、冷や汗を流しながら、自問する。
――芙由に、こんな生き方ができるだろうか?
小静に憧れて、小静のように生きようとして、居場所の間借りを繰り返して、なんとか呼吸を繋いで生きながらえてきた芙由も、小静と同じ道を選べるだろうか? 小静でさえも変化の波に抗えずに
――芙由は、小静のように変化を受け入れて、世界の理不尽に耐え忍ぶ生き方を捨てて、変えられないと諦めていた現実を叩き壊して、日向を歩いていけるだろうか?
今からでも、生き方を変えられるだろうか?
小静のように、なれるだろうか?
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