第百五話「里へ向かって」

 壁の向こう側へと、なんとか到達した俺、ラピス、自我持ちハーピーの三人。

 まさか、壁を超えるだけでここまで大変だとは思っていなかった。


 本番はむしろここから。

 壁を超えた後、カマキリや蜂、姿の見えない“仕込み針”の敵が相手となる。


 とにかく、今は一刻も早く森の中へ降りよう。

 ハーピーは追ってくるだろうし、町を襲撃するため、壁に埋め込まれた扉の前でうごめいている奴らがこっちに気付かないとも限らない。

 特に“特攻蜂”は空中位置のモンスター。何匹かには気付かれるだろうが、フェアリーの里まで飛んでいくよりも森の中を通った方が遭遇数は少ないだろう。


 大丈夫だとは思うが、トパーズとアウィンも心配だ。

 トパーズはともかく、アウィンを呼ぶには地上へ降りる必要がある。

 メニュー画面上では二人のHPは減っていない。だが、襲われていないとも限らない。

 できるだけ早く呼ばなくては。


「ハーピー、あの扉から離れたところに着陸だ。……って、そうか言葉通じねえよな。おい、ハーピー」

『……くぇ?』


 俺の肩を掴む鳥脚を叩いて注意を向ける。

 後は、なんとかジェスチャーで分かってもらうしかない。

 と言っても、森の中を指さすだけだ。シンプル・イズ・ベスト。

 ごちゃごちゃしたジェスチャーほど分かりにくいもんはないからな。

 勘違いしたハーピーが敵の中に突っ込むとか、そういうイベントはいらないんだ。


 ~~~~~~~~~~~~~~~

 ~~~~~~~~~~~~~~~


「…………」

『マ、ご主人様マスター? あの、大丈夫ですか? ワタシの声、聞こえます?』

『……けー?』


 傾き始めた太陽の光が、枝葉の隙間に差し込んで辺りを限定的に照らし出す。

 つい何分か前に来た時はもっと明るかったと思うんだがな。

 時間の問題なのか、周りに生い茂る木々の配置が問題なのか……。

 同じ形は二つとない奇妙な幹や枝を見ていると、後者だとしても不思議ではなくなってくる。


 うん、だいぶ落ち着いた。

 もしこれが現実だと、まだ心臓がバックバク言ってるんだろうが、ゲームの中では心臓の音なんて聞こえない。

 その分、いち早く冷静になれたのだろう。


 まさか、森を指差すジェスチャーを見て俺を放り投げるとは……。

 いや、普通そこに向かわねえか? それとも、さっきまで俺を投げようとしてたから、思考がそっちに偏ってたとか?

 短時間で二度も紐なしバンジージャンプをすることになるなんて、今日は厄日だ。


 壁からはある程度離れた森へ投げられたことで、トパーズに蹴ってもらって侵入不可区域に飛び込む作戦は届かないので使えない。

 そもそも、侵入不可区域の下は敵モブでいっぱいだ。

 そんなとこに飛び込んで行ったら一瞬で死に戻り不可避だろうな。


 まあ、結局は、落ちてく俺の様子がおかしいと思ったハーピーが助けてくれたが、急に掴むのはもうやめてくれな?

 首がガクンッてなるから。取れちゃいそうになったから。もうね、トドメの一撃だよ、あれ。


 何はともあれ、結果的に最速で敵ハーピーから逃げ切ることはできた訳だし喉元すぎればなんとやら。

 生きてるならいいだろ。落ちる恐怖と首ガクンは忘れよう。


「《リコール》」

『お? やぁっと到着かよ、旦那! んで、カマキリ野郎はどこだ!? ぶちかましてやらぁ!』

『トパーズ、やらかす前に伝えておきます。基本隠密行動を心掛けなさい。突撃は最小限です』

『なっ……!? そりゃないぜ、ラピス姐!』

「フェアリーの里まで行けばどうしたって戦闘になるだろ。それまで我慢しろ」


 よし、トパーズの雰囲気を見る感じでは向こうで何かあった訳では無さそうか。

 一人残すなら機動力のあるアウィンの方がいいと考えたんだが、余計なお世話だったようだな。


 回復薬に比べてだいぶ短い、《リコール》のクールタイムを待ってアウィンを呼ぶ。

 さて、フェアリーの里はどっちの方向だったか……。


「ふっ! きゃあ!? 何かに当たった……ってお兄ちゃん!? なんで!?」

『アウィン! ご主人様マスターになんて事を!』

『うぅわぁ、今のマジで食らってりゃ痛いじゃすまねえぞ』


 目線を下げれば抜き身のナイフ。

 その切っ先は俺の鳩尾みぞおちで止まっている。


 地面が迫ってくる。いや、違う。俺の膝が崩れ地面に近くなったのだ。

 このゲームにフレンドリーファイアはない。同じパーティ扱いとなっているアウィンからのダメージはないはず。


 しかし、衝撃は伝わる。

 トパーズの突撃で内臓が揺さぶられたのと同じように、アウィンの刺突が意識外から鳩尾へとクリーンヒットした訳だ。


 なんだろう。体が全く動かせない代わりにめちゃくちゃ頭が働く。


「……おいコラ、アウィン。なんでナイフ振り回してんだお前は」

「あ、あう。えっと、これは、その、暇だったので、特訓の続きを……」

「トパーズのコサックダンスならまだしも、お前のは目立つだろうが! 自重しろ!」

「ご、ごめんなさい!」

『なあ、コサックダンスってなんだよ? 俺の特訓のことか? 格闘術かなんかか!?』


 訂正。

 やっぱり、アウィンは何しでかすか分からないので、一人にするべきじゃないな。

 今も「じっちょ、って何なのでしょうか……」ってぼそぼそ呟いてるし。


 コサックダンスについてはそうとしか見えないからなぁ。

 本人は格好よく蹴りを繰り出してるつもりなんだろうが……。

 まあ、見てる分には可愛らしいからいいんじゃないかな。中身を知ってる俺が癒されることはないが。


『……くーかー』

ご主人様マスター、動けそうなら早速出発しては如何いかがでしょうか』

「だな。行くか」

『おっしゃ、カマキリ野郎出てきやがれってんだ。突き刺してやらぁ』

『わ、わたしだって、今度こそ蜂さんに遅れはとりませんっ!』


 なんか二人ほど妙に張り切ってるが、実はもう鬼門は超えたのだ。

 危惧していたのは森の中へ入るまで。

 そこで見付かれば、最悪、集団で襲われる恐れもあった。

 ハーピーが俺を自由落下させるという暴挙は予想外だったが、幸運なことに誰にも気付かれなかったようだし、ここからは比較的安全なはず。


 防衛イベント真っ只中である今、敵モブの行動は大きく分けて三つだ。

 一つは、プレイヤーの防衛すべきものである町を襲うこと。

 そして二つ目が、手近にいるプレイヤーへと攻撃することだ。


 この仕様のお陰で大多数の敵モブは第二の町ローツへ向かっている。

 扉が開いていないせいで町を襲撃することはできず、またプレイヤーに倒されることもないがな。

 その結果、再生成リポップすることもなくずっと扉の前でたむろすることになり、森の中は敵モブのいない平和なマップとなるはずなのだ。


 だが、例外もある。

 それが三つ目。自我持ちの敵モブ、ユニークモンスターを襲う行動。

 フェアリーは間違いなく自我持ちだろう。

 森の中のある一部分、フェアリーの里にだけは敵モブがいるに違いない。


 ハーピーに運ばれている時は自我持ちハーピーよりも俺に攻撃が集中していた。

 きっと、プレイヤーの方が自我持ちよりも優先して襲うべき対象だと設定されているのだろう。

 これを使えば、フェアリーの里に近付いて俺がおとりになることだってできるはずだ。


ご主人様マスター、次はどちらへ』

「ん、ああ。もう少し真っ直ぐだ。んで、ジェットコースター的な枝が見えたら右斜めに進もう」

『じぇっとこーすたー? なんですか、それ?』

『てか、よくこんな道順覚えてんな、旦那。鱗粉集めした道順だろ、これ?』


 トパーズから呆れたような声が聞こえる。

 きっと目線もジト目なんだろうがただ可愛いだけだぞ。見た目だけだが。


 それに、特徴的な木ばっかりなんだから、むしろ覚えやすいと思うんだけどな。

 そっちはDNAのような二十螺旋構造だし、あっちは“の”の字になっている。

 ってことは、ジェットコースターもそろそろ見えてくるかな。


「ほら、そこの木を斜め右に行けば、次は知恵の輪みたいな木まで……ん? なんかいるぞ?」

「あーっ! ヒメちゃん!」

「ちょ、待て、ってか速いな!?」


 さすがアウィン、一瞬でチンチクリンのところまで駆けて行きやがった。

 いや、それよりも。

 なんでここにチンチクリンが?


 フェアリーの里はまだもう少しかかるはず。

 逃げてきた?

 なら、他のフェアリーは?

 追いかけてきた敵ももしかしているのか!?


「アウィン、お前速すぎ……って、どうした?」

「え、えっと、それが……」

『わっ! もう一人ヒューマンさんがいた! ど、どうしよどうしよ!? 見付かっちゃったらおばばに怒られる。けど、もう見付かったなら開き直っちゃおうか!?』

「お、おい、チンチクリン?」

『チンチクリン? もしかして、わたしのこと!? やった、新しい呼び名だね! 覚えておかなきゃ!』


 嘘だろ? なんで、どういうことだ?

 アウィンを見ても首を横に振るだけ。俯いてしまったが、目には涙が溢れそうになっているのが見えていた。

 きっと、アウィンに対しても初めて会ったような反応をされたのだろう。


 フェアリーの里で何があった?

 どうしてこいつは記憶が消えてるんだ……?

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