第2話 彼女は夢で語る

 俺の日々は、代わり映えも何もない。毎日が、見飽きた再放送のドラマのように、言い当てられる出来事ばかりが起こる。


 もうすぐ、母親の声がする。



「ご飯よ、降りてきなさい」



 聞き慣れた声、台詞。俺はその声に従って階段を降り、いつもと同じ椅子に座る。父と、母と、そして、俺。会話は特にない。俺が学校に行かないことに、父も母ももう何も言わない。きっと諦めがついたのだろう。


 食事が終われば、部屋に戻って、ゲームをして、風呂に入って、眠る。そして、また目が覚めて、ゲームして。


 それが俺の毎日。日常。

 その毎日に慣れていた。

 だから、無意識にその日々を期待していたのだ。その日々が少しでも変われば、俺はそれにすぐに気がつく。


 今日は、大きな変化があった。

 多分他の人間からすれば、馬鹿馬鹿しくて笑える変化。


 ただ、夢を見た。それだけ。



 俺は、真っ白な空間にいた。そんな自分の状況に、すぐに夢だと気づいた。

 ああ、夢を見たとしても、こんなもんか。夢の材料がない俺に用意された夢は、ただ何もない空間だけか。


 そう思っていたときだった。



「わっ...!」



 女の声が聞こえたのは。

 俺はその声に驚いて、振り返った。


 小柄で、ボブの黒髪。

 大きな瞳は、俺を見つめて動かない。



「...あの」



 一言そう発してみると、彼女はパチパチと瞬きをした後、口を開いた。



「びっくりした...」


「それは俺も」


「だよね」



 ...なんなんだ。

 というか、なんだ、この夢。

 俺はこんな女知らない。テレビにも、ゲームにも、こんな女出てこない。...女を妄想して作り出してしまうほど、俺は可哀想なヤツに成り下がったんだろうか。



「ここ、どこか分かる?」



 女が俺にそう聞いてくる。



「...夢、だろ」


「うん。夢。でも、普通の夢じゃないんだよ」



 彼女はそう言って、俺の方に歩いてくる。



「どういうことだ」


「夢ってさ、何でも出来るものじゃない?空を飛びたいと思ったら飛べる、とかさ」


「ああ。そんなもんかもな」


「私ね、バク転出来ないの」


「はぁ?」



 話が飛ぶ。驚くほどに飛んでいく。

 コイツは話したいことから話していくヤツなのか。



「だからー、私ね、バク転出来ないから、夢の中では出来るんじゃないかって思って、してみたの。でも出来なかったんだよね」


「あ、そう...」



 ...心底どうでもいい。

 夢の中の得たいの知れない女の身体能力なんか、心底どうでもいい。



「でも、他の夢では出来るんだよ。この夢だけ。この、真っ白な空間に放り出される夢だけが、自分は自分のまま。出来ないことは出来ないまま。試しに飛んでみなよ。飛べないから」


「飛ばねぇよ。どうせ出来ねぇんだろ」


「うん。まぁそうだね」



 彼女はパタパタと手を動かす。残念ながら1mmも宙に浮いてはいない。



「...私、ここには結構前から来てるの」


「へぇ」


「でも、はじめてなんだよ」



 彼女は無意味な飛ぶ練習を止め、微笑んで俺を見つめた。



「ここに、私以外の人が来たのは」



 ...ここは、何なんだろう。

 コイツは、誰なんだろう。

 今まで、一人でここにいたのか?

 俺だけの空間ではないのか?



「なぁ、お前は」


「あ、もう朝だよ」



 俺の言葉は、彼女の言葉に遮られた。



「また、会えたら会おうね。おはよう」



 ヒラヒラと手を振る彼女が、眩しい光に遮られ、見えなくなっていく。


 鳥のさえずりが、近くなる。

 ゆっくりと、目を開ける。


 見えた世界は、いつも通り、見飽きた俺の部屋だった。


 さっきの夢は、何だったのだろう。

 そもそも、夢、だったんだよな?


 あまりにもリアリティーがありすぎる。彼女の声も、容姿も、嫌なほど思い出せる。


"また、会えたら会おうね"


 その、透き通るような、明るくて透明感のある声が、俺の耳から離れなかった。

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