第39話成功すると思う?
当日になると人は主催者発表千人以上。実計数二百二十一人の人数が集まった。
これだけいれば人垣ができる。テレビ局の人も満足いくくらいの人数ではあった。
運動場の真ん中で椅子に座った良賢君がスピーチをする事になる。
良賢君はやせ細っていた。土気色をした顔は皺があり老人みたいとは言えないまでも、見ただけで不健康とわかる。
俺は良賢君の控室として使われているグラウンドの隅にある野球部たちの部室で良賢君と一緒になっていた。俺は良賢君に声をかける。
「あの中に顔を出すんだ。みんなは君の顔を見た瞬間に絶句するだろう」
ななみがあのスピーチの動画を見たときと同じように、みんなの最初の印象は「うわ。キモい」であろうと思われる。
「それで気後れしちゃだめだ。最初で最後の機会だ。悔いを残さないように最初から最後まで笑顔でな」
良賢君はそれを聞いて無言でうなずいた。
緊張で喉が張り付いているのだろう。俺はお茶の入った水筒を出す。
「ストレスを感じたときストレスを緩和するのは飲み食いだ。お菓子をバリバリ食うなんて非常識だがお茶くらい飲んどけ」
俺が水筒の蓋にお茶を注ぐと良賢君はそれを一気に飲み干した。
「成功すると思う?」
良賢君は俺に向けて聞いた。
やっぱこの役はちかどさんにでも任せるべきだった。
ちかどさんだったら「うん。絶対成功するよ」なんて言って励ましたのだろうが、ヒネくれた俺はそんな事は口が裂けても言えない奴だ。
「成功するかどうかは君次第だ。緊張しすぎもいけないが緊張感も持て」
果たしてこのアドバイスは正しかったんかね?
顔を引き締めた良賢君の様子を確認した後俺は集まった人達の様子を見た。
俺たちがこんなに緊張しているの気楽なものだ。そう思ってしまった。
いつものおしゃべり仲間と見えるオバさま達は笑いながら談笑している。
ここに連れてこられた子供たちは追いかけっこをして遊んでいた。
あの中にこの良賢君が入っていくと考えると酷なように見える。良賢君と比べて彼らはとてつも幸せな人間達に見えた。
「考えすぎか」
良賢君を可愛そうと言ってしまったななみと似たような事を考えてしまっているのかもしれない。
「時間だ」
俺は何も考えないことにした。何か考えても不安しか感じないのだ。
俺が不安になってどうするのかという話。さっき俺が言ったように、良賢君ががんばって皆に自分の事を刻み付けるしかない。
俺は良賢君の肩を抱えた。
すでに一人で歩くのもキツくなっている良賢君。
肩を抱え、良賢君の事を気遣いながら、グラウンドの中心にまで導いていく。
観客たちが良賢君の姿を見ると溜息を吐いた。
病人の無残な姿を見て息をのんだのだ。良賢君が奥歯を噛んでいるのがわかる。だが俺は無言で良賢君の事を導いていった。
良賢君が椅子に座ると俺はその傍らに立つ。
震える手で原稿を束ねて作った本を持つ良賢君の体にマイクをセットする。
「僕は一人だと思っていた」
その言葉を皮切りにスピーチが始まる。
笑うやつがいたら八つ裂きにしてやる。
ふと心にそう考えがよぎる。
そんな心配は無用で皆良賢君のスピーチに耳を傾けていた。
良賢君の様子を見ると震えた手で必死になって原稿を持っていた。手を出して助けようかと思うが、そんな事をしてしまっては良賢君のスピーチに水を差すようなものであると思う。
良賢君は人に同情をされたくない。
スピーチなどしておいてそう言うのもおかしい話だが、少なくとも同情される要素を一つでも増やしたくはなかった。
無言で神妙な顔をして良賢君のスピーチを見守る。
短いスピーチだ。すぐに終わる。
終わると良賢君は椅子から立ち上がった。
もう立ち上がる体力は残っていないはずだった。だが最後の生きる力を振り絞って立ち上がって大きくお辞儀をしたのだ。
「皆さま、ボクの為に集まってくれてありがとうございました」
大丈夫か? よろめいたりしないか? そう思うが俺は良賢君には手を貸せない。
お辞儀から顔をあげて椅子にまた座るまでが良賢の力でやるべきことだ。
危なげなく座ると俺は打ち合わせ通りに良賢君の肩を取った。
パチパチパチと拍手が聞こえてくる。
「こんな事でか……」
俺はこの拍手を聞いて目尻が熱くなってしまった。
普段なら日本人特有のお約束の拍手と切り捨てていただろう。
だがこれは良賢君に与えられた拍手だ。がんばった彼を称賛する拍手なのだ。
良賢君の力を振り絞ったスピーチは人に感銘を与えた。
こんなものは小さな一歩であると思う。
良賢君にとってこれは自分の命を他人に伝える事の出来た小さな一歩。俺にとっても嬉しくて最高に価値のある一歩だった。
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