第20話

 紗季とのレッスンを終えて、拓海へ「一緒に代官山の楽器屋さんに行って欲しい」と頼んだのは、奏美だった。

 秀一が出資している工房のギターがあるというので、行きたいとは思っていたのだけど、レモンサーカスを始め、奏美の周りはみんなバタバタしていて、頼み辛かったのだ。

 拓海も聞いたことのない店だったので、興味が湧いて一緒に行くことを了承した。


「拓海君、くれぐれもお願いね」

「あらあら、まあ拓海君がそばに居てくれれば大丈夫だと思うわよ。ね? カナちゃん?」

 奏美はコクリと頷いた。


 ギターを背負った拓海は、MA-1の裾をハシッと掴む奏美をぶら下げて、中目黒駅まで五分ほどの道のりを無言で歩く。

 流石に駅周辺になると人が増えてくる。奏美の様子を伺った拓海であったが、特に変わった様子もないので、一安心といったところだ。

「……」

「……」

 それにしてもお互い無言である。


 脇道に入って目黒川を渡り、割烹料理屋が並ぶ飲食街を抜け、駒沢通りを左に曲がって旧山手通りを登る。歩道橋を渡った先、代官山のメインストリートは日曜日ということもあって、夕方のこの時間でもそれなりに賑わっていた。


 奏美の足並みに合わせ、拓海にしてはかなりゆっくり歩きながら、猿楽町の楽器店に辿り着いた。

「疲れてない? そこでちょっと休もっか?」

 楽器店と通りを挟んだ向かい側にカフェがあった。

「うん。ギター見たらお茶しよ」


 店に入ると、左側の作業スペースは丸見えで、店員と思しき女性が、弦の張り替え作業を行っていた。作業台の下には当然アンプがある。


「いらっしゃい。リペアかな? それともギターをお探し?」

 長い黒髪に何本かピンクの筋が入った、ロックな香りがプンプン漂う、ちょっと不機嫌そうなハスキーヴォイス。厚手で大ぶりなエプロンが、線の細さを強調している。

「いえ、あの、燕工房のギターを置いてるって聞いてきたんすけど……」

 勿論、受答えは拓海である。

「おおっ、中々渋いとこ突いて来るね。あるよー。ちょっと待ってね」


 店内を見回すと、楽器店というよりはギターのカスタムショップだ。

 在庫売りよりも受注生産をメインにしているようで、カスタムの基本となるモデルが展示されている。

「へえ、国産でこんなにブランドがあるんだあ」

 日本国内ではあまり知られていないが、昔から日本の工房が作る楽器は海外での評価は高い。インターネットの普及で、そういった老舗工房の他にも、楽器製作に魅入られた若い世代も続々と工房を立ち上げている。

 この店には、その中から選りすぐりのギターが並んでいた。

「ベースになってる木も、組み込んでる部品も全部国産だって! すげえ!」

 木製品から電子機器まで、世界に誇る技術大国日本であるからして、当然といえば当然なのだが、未だMade in USAが幅を利かせているのが、エレキギターの世界である。


「お待たせー。これが燕工房のメインモデル。あとね、これがカタログ。その付箋が付いてるモデルは置いてあるから、弾いてみたかったら言ってねー」


 二人はビンテージ感溢れるソファに案内され、アンプに繋いだギターを渡されるのだが、当然のように拓海へ差し出された。

「あ、俺じゃなくって、彼女が弾くっす」

「へえ、アナタもギタリスト? ……ん? ああっ! 奏一の妹じゃないっ! なんだっけ……えっと……そうだ、奏美ちゃん! んもう、早く言ってよー」

「え……? うんと……ナナちゃん?」

「うわー、覚えてた? 動画観た時も思ったけど、おっきくなったねー」

 確かに胸元の名札に「NANA」と書かれたそのお姉さんは、ギターを拓海に押し付けて、奏美に抱き着いた。

「あの……お知り合い?」

 抱き締められている奏美が、不本意ながらといった表情で頷く。

「おお、そうだ。こっちは奏美ちゃんの彼氏かな?」

「お兄ちゃんの生徒? お弟子さん? の拓海君」

「そっかー、そういえば講師もやってたもんねー。でも、奏美ちゃんとデートできるんだから、内弟子? えー、あんなの師匠に持って大変でしょ? アイツが目ぇ掛けるくらいだから、上手いの? ねえ、ちょっと弾いてみなよ?」

 ナナの勢いに押されっぱなしの二人である。拓海は仕方なく、試奏フレーズを弾く。

「うおっ……」

 拓海は、まるでアコースティックギターのような音色に驚いた。


「面白いでしょ? 桜のセミホロー(中を刳り抜いて中空化してある)ボディにトップは黒柿、ネックはけやきのボルトオン、指板は黄楊つげ、ピックアップからコンデンサに至るまで全て国産。ちょーっとお高いけどね」


 楽器の素材として使う最高峰はヨーロッパ産の広葉樹とされているが、近年国産材を使った楽器も注目され始めている。

 楽器の素材として重要なのは『堅いこと』と『変質しないこと』だ。高級家具と似たような条件なのだ。ならば日本にだって堅い木はあるし、変質させない乾燥技術がある。

「杉とか松を使った物もあるけど、アタシはこれが好きかなあ。この指板の手触りがさあ、黄楊だよー黄楊ー。ツルッツルー、ハアァーンんもう最高! 一回これで弾いちゃったら、ローズウッドなんて眼じゃないわ!」

 黄楊はキメが細かく堅い材質で、高級な櫛やソロバン、将棋の駒に使われる。

「はあ……、そう……っすね……」

 若干引き気味な拓海の耳元へ、奏美が口を寄せた。

「お兄ちゃんの元彼女。確か、デビューするくらいまで付き合ってた」

「マジで……ん? 玲からメッセージだ。あれ? めぐみからも……、はあ?」

 玲とめぐみからのメッセージは、ほぼ同じような内容で、兎に角助けて欲しい、できるだけ早く来て欲しいという、呼び出しだった。

「なんなんだろ……」

「行ってあげなくて良いの?」

「うーん……」


 SNSでやり取りする拓海を待つ間、奏美はもう一本試奏するほどの時間があった。

「やっぱ行かなきゃならないみたいだから、送ってくよ。ゆっくり出来なくて、ごめんね」

「邪魔じゃなければアタシも行っていい? ここから送ってもらうんじゃ、時間勿体ない」

 二人の中で、奏美が一人で帰るという選択肢はない。

「渋谷だけど……大丈夫?」

「タッ君が一緒なら大丈夫だと思う」

 その言葉を信じて、拓海は奏美の手を引き、渋谷の裏道を練習スタジオに向かって歩いていた。ナナからは、「近日中にまたおいで」と念を押された。


 代官山から渋谷である。いくら裏道を選んでも、人が多い所を通らないわけにはいかない。

「大丈夫?」

「うん。タッ君しか見てないから」

 そう応える奏美の視線は足元に固定されたまま、外れることはない。

「ごめん……、何か巻き込んじゃって」

「大丈夫だよ。それより玲君とめぐみちゃん」

「あ、あぁ、うん……ったくアイツら、どうせ呼び出すなら、もっと近くにしろっつうの」

 拓海は二人とバンドを組んでいるわけではない。あくまでスクールの仲間といった関係で、偶にライブハウスなどでバッタリ会う程度だ。

 そのはずなのだが、イベント以来、確かに連絡を取り合うことは多くなっていた。


「はあ……」

 呼び出されたスタジオに着くと、ロビーでめぐみが不貞腐れていた。

「玲は?」

「201」

「あのなぁ……」

「あーっと、ごめん。あ、奏美ちゃん……デート中だった?」

「それはいいから……、なんなんだよ?」

「いや、まあ……、アタシが悪いっちゃあ悪いんだけどさ……」


 イベントの練習でスタジオに入った後、テンションが上がった状態だっためぐみが、玲をホテルに引っ張り込んだらしい。玲は来るものは拒まない性格だから、まあそういうことになったらしい。

「ああ、それであの時……」

 三人でスタジオに入っていた時に「気まずい」と言っていたのを思い出した。


「そうなんだよね」

「ひょっとして玲のやつさ、本気になっちゃった感じか?」

「そこなんだよ。アタシはさ、こうノリでっていうか、あるじゃん、そういうの」

 拓海にはないので、まったく理解できないが、そこは否定しても仕方ない。

「で?」

「何かそういう雰囲気になっちゃてさ……」

「そういうって?」

「付き合ってるみたいな……」

「……面倒くせぇ。嫌なら一緒にいなきゃいいじゃねえか……」

「嫌っていうか……」

 周りに人がいる内はよかったのだが、いざ個室で二人っきりになると、気まずいらしい。

 呆れ顔な拓海の横から、奏美がめぐみの手を取った。

「なに?」

「……音、出そう?」

「音?」

「うん。だって、そのためにスタジオ来たんでしょ?」

「そうだよ、スタジオ代が勿体ねえし。二人っきりじゃなきゃ、気まずくねえだろ? カナちゃん、ギターいるだろ? 借りてくるから、めぐみと先行ってて」

「じゃあ、タッ君のギター持っていくよ」

「うん。よろしく」

 奏美にギターを渡してカウンターに向かった拓海の背中へ、めぐみが呟いた。

「カナちゃん? タッ君?」


 二人がエレベーターを待っている間に、追加のシールドやマイクの入った籠と、奏美のために借りてきたテレキャスターを持った拓海が追い付いた。


 部屋に着くと、玲が手持ち無沙汰にベースを弾いていた。

「おう、拓海……。あれ? 奏美ちゃん?」

 奏美は玲に向かって、ペコリとお辞儀する。

「カナちゃん、こういうスタジオ初めてだよね? とりあえず空いてるアンプどれでも使っていいから。マーシャルでいい?」

 拓海は玲を無視して、せっせと奏美の準備を手伝う。

「え? どうなってんの?」

「いいから、ほら、めぐみもスタンバれよ」

 拓海の後ろから、そっと入ってきためぐみは、玲を見ないようにしてドラムに座る。

「お前らのことは、まあ、何か演ってから聞いてやるよ。カナちゃん、なに演る?」

 

「Don’t look back in anger。知ってる?」


 言わずと知れたオアシスの名曲である。一部ではイギリス国歌とも言われるこの曲は、ジョンレノンへのオマージュが散りばめられている。


 拓海と玲はスマホでコード譜を表示して、譜面台に置いた。

「タッ君、唄える?」

「唄えないことはないけど……カナちゃん唄ってよ」

「うん。めぐみちゃん、お願いします」


 めぐみのカウントで、イマジンのような前奏を奏美がつま弾く。


『胸の中を覗けば祈りに相応しい場所が見つかるんだよ

 君はそんなことも知らないんだよね?

 ゆっくりと過ぎ去っていくあの景色を

 見たことがないなんてさ


 さあ、ジョンとヨーコみたいに革命を起こそうよ

 だって君が言ったんだよ

 「そんなんじゃアタシを満足させられないわよ

 全部さらけ出して」ってさ


 君は僕に言ったよね

 もう手遅れだって気づいたから彼女は立ち止れた

 彼女の心が離れても怒っちゃダメだって


 何時でも 知ってる人がいないところでも

 一緒に連れてって なんて言ってさ

 全部捨ててバンドに掛けてる奴に着いて行くようなこと

 止めておきなよ


 さあ、ジョンとヨーコみたいに革命を起こすよ

 煽ったのは君だよ?


 君は僕に言ったよね

 もう手遅れだって気づいたから彼女は立ち止れた

 僕の心が離れても怒っちゃダメだって


 まあ、今日のところは

 わかったってことにしとくよ』

※作中に合わせた意訳


 演奏が始まってしまえば、何のことはない。気まずさなんてどこへやら。玲とめぐみは息の合ったリズム隊だった。

「奏美ちゃんのヴォーカル凄えな!」

「ね! 鳥肌たった! ねえねえ、いい感じだったんじゃない?」

 拓海はそんな二人の反応に顔を顰めているが、奏美はニコニコだ。

「うちのスタジオ以外で唄ったの初めてだし、何か楽しい」

 その後、まだ一時間ほど残っていたので、数曲セッションして、近くのファーストフードに移動したのだった。

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