第18話

 玄関で恵美に迎え入れられた拓海は、ギターを背負ったまま、ケーキの並んだお盆を持たされ、地下スタジオに降りた。

「カレンちゃん、ケーキできたわよ。みんなもお茶にしましょ。拓海君、そこに置いて」

「はい……」

 これまたギターを背負ったまま、ソファの前にあるローテーブルへお盆を置こうとするが、なかなか難しい。苦労していると、スッと横から手が差し出され、お盆を受け取ってくれた。

 奏美は無言で受け取ったお盆を置くと、ケーキの乗った皿を並べる。

「あ……か、奏美さん……こ、こん……にちは」

 息を飲みながら器用に挨拶した拓海に、奏美はコクリと頷きを返した。


 その様子を見て、KARENがAMIに耳打ちする。

「なあ、あれって……」

「うん、そうだよねー……」

 拓海を見た瞬間に、これは盛り上げてやろうと思った二人は、完全に出鼻を挫かれた。

「脈ありとみたが、お互い初心やなあ……」

「これはハードルが高い……」

「ユー姉に相談してからやな」

「攻めはユー姉ですなー」

 友達の恋愛を応援する茶化すことに関しては手練れだ。状況分析も適格であり、これは下手に手を出すとぶち壊しになると、正しく戦況を読み取ったのである。


「拓海、譜面だ」

「あ、先生……。紗季さんもお疲れ様です」

 未だギターを背負ったままの拓海は、譜面を受け取るべく奏一の方へ行きかけた。


「あらあらあら、拓海君もまずはお茶しましょ。紗季ちゃんも早く」

「ありがとうございます、お義母さん。ほら、拓海君もギター下してケーキ食べましょ」

「カレンが恵美さんと作ったんやで!」

「ケーキ食べるー!」


 譜面を差し出したまま、遣る方ない状態の奏一だけが取り残された。

「しゃーない。俺もケーキでも食べるか」


「もうないで」

「え?」

「女子が五人おって、ワンホールのケーキが何秒持つと思っとんの?」

「あらあらカレンちゃん、アタシも女子でいいの?」

「当たり前や。恵美さんは多分この中で一番女子力高いで」


 男子としてこちら側にいるはずの拓海は、既にあちら側に取り込まれている。ここはティータイムが終わるまで、独り大人しくしているしかないと悟る奏一だった。

「拓海、喰い終わったら打合……」

「ごちそうさまー!」

「拓海君も早よこっち来いや。セッションするで」

「いや……あの、先生に……」

「黒いストラトー!」

「モーグ繋いでみい? おもろい音やで!」

 AMIとKARENは従弟のお兄ちゃんに群がる子供の如く、拓海を連れ去った。


「奏ちゃん、楽譜は後でね。あっちの方が面白いわ」

 奏一の顔には「紗季、お前もか……」と書いてある。

「だって奏美ちゃんの口元見てよ」

 奏美は嬉しそうに微笑んでいた。

「あんな蕩けそうな顔みたことある? 可愛いわあ」

 この場に居ても仕事にならないことは分かり切っていたが、かと言って離れるわけにもいかず、奏一は腹をくくるしかなかった。



「フェイザーかあ。ヴァンヘレンが有名だけど、へえ、ベースにフェイザーね」

「フリーだよ、フリー!」

「ベースでフェイザー掛けるとどんな音になるか、聴かせてよ」

 拓海の要望を受けて、AMIはニマニマ顔でベースに繋ぐ。

 低音と高音を交互に鳴らしながら、沢山付いているツマミを回しながら調整する。

「こんなもんかなー」

 同じフレーズを弾いて、『ベンッベベッドッド』から『ベィンッブボッドゥボ』に変化している。

「へえ、スラップが際立つね。ところで、このラットはか……かな……奏美さ……んの?」

 奏美はコクリと頷くと、テレキャスからシールドを抜き、拓海へ差し出した。

「あ……ありが……と」

 俯いたままシールドを受け取ると、拓海は早速ラットを試す。


 まずはクリーントーン。エフェクターのスイッチを入れず、アンプに繋いだだけの音だ。ストラト独特の暖かい音色が響く。

 三つあるツマミを全て十二時(中間)にセットしてスイッチオン。ズンっと重みが増す。

 低音から高音まで『ギュルギュル』上り、また下る。

 今度は歪みのツマミを九時まで下げて、また上って下る。


「オーバードライブっぽいペダルだね」


 元々エレキギターの音を歪ませることは、アンプの過負荷状態で出力音が歪んでしまったことに始まる。その状態を疑似的に作りだしたのがオーバードライブ過負荷というエフェクターだ。過負荷の結果がディストーション歪みである。


 エフェクターの種別として存在するオーバードライブとディストーションではあるが、その違いは同じ結果を求める過程にある。


 負荷の度合いを調整するオーバードライブと、歪みの度合いを調整するディストーションといった感じだ。


「でも確かに、こないだのライブだったら、これ一発で良かったかも。これUSAでしょ?」

「そうだよー。楽器屋のオッチャン一押しの品ー! ね、カナ?」

「うん。ライブで拓海君の音聴いて、これが合うと思って」

 「えっ?」と固まる拓海の後ろで、AMIとKARENは目配せを交わす。

「なあ、なんかやらへん?」

「マリのクローンもあるから、Smells like teen splitは?」

「ニルヴァーナなら、ギター二本だし丁度いいね。お兄ちゃん、タブ譜ある?」


 タブ譜とは、ギターなら六本、ベースなら四本の線に数字でどのフレットを押さえればいいか書いてある譜面だ。音符が並んでいる楽譜が読めなくてもいいし、どの音を出しているのか分かりやすい。楽器屋さんで売っているバンドスコアには、必ず載っている。


「そこの本棚にあるよ。その背表紙黒いやつだ。ネヴァーマインドってやつ」

 表紙はアルバムジャケットと同じ、ドル札を餌にした釣り針を追いかける赤ん坊だ。


「テレキャスじゃ弱いかな?」

「ええんちゃう? それより誰が唄うん?」

「英語はパスー!」

「ほな、カナかタッ君やな」

「タッ君?」

「言いにくいから、タッ君でええやん」

「タッ君ー!」

「小学生以来だよ……その呼び方」

 非常に不本意な拓海だが、KARENとAMI相手では分が悪い。


「タッ君、どっち弾く?」

「か、奏美さんまで?」

「カナでいいよ?」

 そう言いながら、奏美は譜面から目を離さない。


「う、うん……か、カナちゃん?」

「うん」

「交互に唄うとして、唄ってる方が1で。ソロは……」

「ソロはタッ君。二コーラス目に唄うね。コードがあってればあと適当でいいよね」

「譜面それしかないしな。ドラムも適当にいくで。ほな……1・2・3・4」


 激しい前奏の後に、静かな旋律にのせて拓海が唄う。


『銃に弾込めて、友達連れてこいよ

 負けた振りするのも、楽しいもんだぜ

 あの娘、自信満々って感じで退屈そうにしてるだろ

 ああ、ぴったりの汚い言葉があるよ


 おーい、もしもーし、もうキメちまってるのか?』


 拓海は叫ぶ。


『見えなきゃ危ないなんて思わないさ

 さあ、俺たちが来たんだ 楽しませてくれよ

 この間抜けな感じにすぐ影響されちまう

 さあ、俺たちが来たんだ 楽しませてくれよ

 混血も アルビノも ちんけな蚊みたいな野郎も 俺の衝動も』


 拓海が叫び終わると、スーッと静かに奏美が唄いだした。


『一生懸命やるほど悪化していくのよね

 そんな才能に感謝したいくらいだわ

 私たちはいつもそんなもんだし

 これからもずっとそうね


 ねえ、大丈夫? 具合悪いんでしょ?』


 奏美は叫ぶというより、音圧を上げていく。


『灯りを消した方がいいわ

 さあ、アタシ達が来たんだから 楽しませてよ

 この変な感じにすぐ馴染んじゃう

 混血でも アルビノでも ちっぽけ存在でも 感じるわ』


 拓海のギターソロにAMIのベースがうねりを上げて絡みつく。

 一瞬の静寂に、ベース音だけがアイドリングする。


『なんでこんな物 味わってるんだっけ?

 ああ、そうだった ご機嫌だからだ

 大変だってことに気づいたけど 気付くのは難しいだよね

 まあ、どうでもいいじゃん 気にすんなよ


 おーい 大丈夫か? 生きてるか?』


 拓海と奏美のユニゾンが激流の中に重なる。


『何も見えなきゃ平和だろ

 さあ楽しませてくれよ

 狂気が感染する

 さあ楽しませてくれよ

 混血がいて アルビノがいて 羽音が聴こえる 無性にやりてえ

 ああ、これ駄目なやつじゃん

 うん、駄目っぽい もう駄目かも……』


 英語で唄っているからいいものの、とても十代の女子混じりで演奏する曲ではない。

 いきなり巻き込まれて着いていけた拓海も大したものだが。


「これ、女性ヴォーカルもいいね。か……カナちゃん格好良かったよ」

「そうかな? タッ君の方が格好良かったよ。でもタッ君のギターは安心して唄える」


 一曲終えた満足感に浸りながら、そんな会話を交わす二人を、外野は生温かい目で遠巻きにする。

「あれ、イチャイチャやんな?」

「お互いかなり奥手だけどねー」

「しかもカナは自覚ないよな?」

「ないねー」


 AMIとKARENがそんな言葉を交わすその向こうで、奏一と紗季は別のことを考えていた。


「拓海のギター変わったな。前は自分勝手に弾いてる感じがあったんだけどなあ」

「まわりの音を聴くようになったわね」

「個性が出てきたな。うーん、こうなるとなあ、暫く様子見だなあ。バッキングのユナパートは兎も角、マリんとこはなあ」

「マリに一度弾かせてから、拓海に弾いてもらえば?」

「ま、そんな感じでやってみるか」

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