第17話
奏一と紗季の結婚報告動画が公開された。
『新しい家族に支えて貰って、前に進むことができました。いつかまた、皆さまの前で唄える日が来るかも知れません』
二人の後ろには、秀一と恵美、そして奏美の姿も映っていた。
動画を確認した真下は、秀一と相談の末、とある音楽雑誌のインタビューに応じた。同時発表よりも、後追いによる効果を選んだようだ。
記者:色々お聞きしたいことはあるのですが、やはり紗季さんのことでしょうか。
真下:そうでしょうね。
記者:動画はご覧になりましたか?
真下:勿論。事前に奏一から連絡を貰ってましたから。
記者:それはご結婚について?
真下:結婚前に挨拶に来てくれました。
記者:お二人揃って?
真下:はい。嬉しかったですね。
記者:旦那さんの斉藤さんは御社レーベルのギタリストであり、作曲家ですよね?
真下:ご存じの通り。ただ、結婚を機に独立したので、うちの専属じゃありませんけどね。一作曲家というより、プロデューサーに近いことをやってもらっています。レモンサーカスの音楽性の変化にお気付きでしょう? 演奏も格段に進歩している。彼女達の努力は勿論ですが、彼の元で鍛えられたというのは間違いないでしょう。
記者:確かに。本誌でもレモンサーカスには注目しています。
真下:特集組んで下さいよ(笑)。
記者:それはお楽しみということで。それで紗季さんのことなんですが。
真下:はい。
記者:やはり、あの声を失ったことで姿を消していた?
真下:彼女は文字通り声を失っていたんです。ご両親が亡くなった悲しみで、声帯を傷つけてしまった。一時は話すことも出来なかったんです。そんな彼女を支えたのが、奏一とそのご家族だった。
記者:なるほど。紗季さんの復帰については?
真下:今のところ未定です。ただ、そうなれば、うちが全面的にバックアップしますし、何かしら目途がついたら発表しますよ。
記者:あの動画で唄う姿を観たら、期待せずにはいられません。
真下:そうですね。私も期待しています。
(月刊ミュージック・ヴァイブ12月号より抜粋)
この記事の中では、奏美のことにも触れられていたが、真下は「注目している」とだけコメントしている。
レモンサーカスはアルバム曲のこともあって、プロモーションの合間を縫って、奏一の元を訪れている。
建前上はそういうことになっているが、目的の半分以上は奏美で、残りは紗季と恵美といったところが正直なところだろう。
今日もKARENは恵美とお菓子を作っているし、YUNAは紗季とヴォイストレーニングをしている。
そんな中、奏美はMARINAとAMIと三人で出掛けている。
ここ最近、よく三人で代官山や恵比寿といった近所へ洋服を買いに行ったり、お洒落なカフェでお茶をして帰ってくる。
こうした日常が曲作りには大切なことだし、仕事漬けのレモンサーカスの面々には必要な時間だろう。
それに、奏美にとっても間違いなくプラスになることなので、奏一は文句を言わなかった。
「たっだいまー」
騒がしく飛び込んで来るのはAMIだ。
今日も三人でどこかで買い物したらしく、紙袋を下げて帰って来た。
「おう、どこ行って来たんだ?」
「御茶ノ水の楽器屋さんー」
奏一は驚いて、作業の手を止めた。
「お、御茶ノ水って……電車で行ったのか?」
「マネージャーに車で連れてってもらったよ。ボク達も一応、芸能人なんですけど?」
「お、おお……そりゃ、そうだな。で?」
奏一が指さすのは紙袋だ。
「
「ボクはエレハモ・スモールクローン」
「
「林檎ちゃんに、カート・コバーンに、フリーかよ」
ミーハーなチョイスのエフェクターである。
エフェクターとはその言葉の通り、楽器の音色に様々な効果を及ぼす装置だ。歪み系、空間系など、その効果によって様々な種類がある。
よくギタリストの足元にガチャガチャと転がっている、アレのことだ。
「奏美は兎も角、お前らレコーディングに使う気か?」
奏美が買って来た『PROCO RAT2』は椎名林檎の歌詞に登場する『ラット』だといわれている。他にエフェクターが必要ないくらい音が決まる、歌の通りこれ一つで商売道具になるディストーションだ。
MARINAのエレハモ(エレクトロハーモニクス社)のスモールクローンは、モジュレーション系(揺らし系・空間系)のコーラスエフェクターで、ニルヴァーナのカート・コバーンが使っていたこで有名だ。音が
「良いチョイスだとは思うんだけど、AMIはまた値の張るものを……」
AMIがレッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシスト・フリーに憧れているのは、ファンの間では有名だし、奏一も知っていた。フリーとお揃いなのは確かだが、ハイエンドなモデルなので、エフェクターとしては高価な部類である。
「五万かそこらしたんじゃないか?」
奏美とMARINAの買ってきたものは、一万円以内で入手できるはずだ。
「うん、でも楽器屋のオッチャンが良い人でねー」
「そうそう、ボク達のこともだけど、カナのことも知っててね」
「いっぱい試奏させてもらって、色んなお話してくれたよ」
また、奏一が驚かされる。
「初対面の人と話したのか?」
「うん。って言っても話してたのはオッチャンで、アタシは試奏しながら頷いてただけだけど」
「何かボク達の組み合わせに大興奮でね。カナが試奏するのに、奥からヴィンテージのテレキャス持ってきたもん。ボク達もだけど、カナまでサイン求められてもんね」
「初めてした。面白いオッチャンだったね。アタシなんかのサイン貰ってどうするんだろ?」
「ブログに載せるって言ってたー。マネージャーに確認取ってたもん」
「レモンサーカス、人気だね」
「ええー、楽器屋のオッチャン、カナのファンだったよ、絶対ー」
「またアミが訳わかんないこと言ってる」
動画を観て知っていたなら、決しておかしくない反応かも知れないと奏一は思う。
「ねえ、ボク早く試したいんだけど。音出してみようよ」
「うん」
「おー!」
奏美に対して、奏一達が出来なかったことを、レモンサーカスの面々がやってくれている。
奏一はそう考えられずにはいられなかった。
動画のコメントの時もそうだ。奏美の話を聞けて、部屋から出すことが出来たのはMARINAだ。
奏美は本当に変わってきている。
そう実感しながら、嬉しさと寂しさが混じり合って、複雑な思いで、ワイワイと楽器と戯れる少女達を眺めるのだった。
「ユナちゃん、喉温まったでしょ? 混ざってきていいわよ。エフェクター、試してみたいでしょ?」
「はいっ! ちょっとカナちゃんのラットが気になります」
もう、この流れになればセッションになるわけで、ケーキの焼き上がり待ちで降りてきたKARENを加えて、始まってしまう。
「十代のテンションって凄いわよね。あの年齢であんな機材に触れるなんて羨ましい」
「そうか? 俺はうちに転がってたからなあ。アイツらが買って来たやつ、探せばどっかにあるよ」
「そういえばそうだったわよね。凄い環境で育ってるわよ、奏ちゃんも。奏美ちゃんも」
「ねー、センセー!」
AMIが手を挙げている。
「おう、どうした?」
「アタシのモーグちゃんにギター繋いでも平気?」
「別にベース専用じゃないから平気だぞ。キーボードなんかも大丈夫だぞ、それ」
AMIの買って来たエフェクターはちょっと特殊である。
フェイザーというコーラスと同じ空間系のエフェクターで、位相のずれた音を出してシュワシュワしたサウンドを作り出すのだが、このモーグMF103はライン出力系にも対応しているので、様々な楽器やシーンに対応するモデルだ。
「高校生が使うエフェクターじゃないわよ、あれは」
「まあ、あの歳でモーグはないよな」
そんな話をしていると、いつも車で待っている、奇特なレモンサーカスのマネージャーが降りてきた。
「先生、お邪魔します」
「珍しい。あ、御茶ノ水まで連れていってくれたそうで、ありがとうございました。んで、どうしました?」
「すいません。ユナとマリがこの後、ラジオ収録がありまして。そろそろ時間なので迎えに……」
電話もしたようだが、楽器に夢中で気が付かなかったようだ。
「おーい、ユナ、マリ。仕事の時間だぞ」
奏一に呼ばれた二人は、マネージャーの顔を見るとガックリ肩を落とした。
「ボクがあの時グーを出していれば……」
「過ぎたことは仕方ない。行くよ。戻って来るんで、楽器置いて行きます」
「いってらー」
「ケーキ取っとくからなー」
二人が行ってしまっても、残り三人のセッションは続く。
「あ、拓海に連絡しなきゃだ。忘れてた」
と、突然思い出した奏一。
「アルバムのスケジュール?」
「それもあるけど、出来てる分だけでも譜面渡してやらないとな。一曲二曲ならその場で弾かせるけど、流石にアルバムだから」
「呼んじゃえば?」
「ここに?」
「前にも来たじゃない」
「そうだけど……」
いたずらっぽい表情を受かべる紗季に比べて、奏一は複雑な顔をしている。
「あら、ヤキモチ? シスコンさん?」
「そんなんじゃないって」
「じゃあ何?」
結局、拓海を呼び出す奏一だった。
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