第15話

 動画公開と同時に、真下は情報をメディアにリークした。


『とある動画投稿サイトで公開されているセッションで紗季が唄っている』


 その効果は凄まじく、週に一本と、時系列で小出しにアップロードされる動画は、様々な憶測と話題を呼び、情報番組などでも繰り返し取り上げられた。

 人気絶頂の最中、突然姿を消した歌姫。数年の沈黙を破って姿を現した紗季。

視聴者はまず、その声に驚いた。澄み切った美声は、パワフルなハスキーヴォイスに変わっていた。

 往年の美声を惜しむ一方、その圧倒的な存在感とテクニックを認めない者はいなかった。


 そして、その横で唄う少女だ。

 往年の紗季にも負けない澄んだ唄声と、現在の紗季と面と向かえるパワーとテクニック。

 名前も公表されず、その姿と唄声だけが広まっていく。


 拓海は、練習スタジオのロビーでソファに沈みながら、スマホでそんな奏美の動画を観ていた。

 視界の端に影が差したと思って横を見ると、目の前にめぐみの横顔があった。

「ふぉっ?」

 拓海はイヤホンを引き抜きながら、飛び退る。

「なんだよ? 吃驚させんなよ」


 めぐみはどこ吹く風で、拓海の隣に腰を下ろした。

「拓海があんまり戻って来ないから、探しに来たんだよ。まったく、ずっとその動画観てるよね? そんなに気になる?」

「き……気になるっていうか……紗季さんと先生も映っ……」

、なんだあ。紗季さんと先生は序なんだあ。へえ?」

「なっ…… うっせー。ところで、イベント終わったのに、何でこのメンバーで練習しなくちゃならないんだよ?」

「玲と二人っきりが気まずいから。ほら、後一時間しかないんだから、行くよ」

「はあ?」

 拓海はめぐみに引きずられるように、スタジオに戻るのだった。




 レモンサーカスは今日もプロモーション活動に勤しんでいる。

 今日は雑誌の取材だ。

 テレビやラジオと違い、情報発信に時間の掛かるメディアだけに、内容は来月リリースするシングルについてである。


 都内の小洒落たカフェを貸し切ってのインタビューは、ジッとしていなければならないテレビのひな壇や、反対に注目され続けるラジオの公開収録より、ずっとマシである。

 更に甘いものが付いてくるとなれば、文句のつけようがない。


 一通り取材も終わり、お薦めケーキを食べながらの撮影に入って、すっかり寛ぎモードになっていた。


「そういえば、観ましたよ、『恋の行方』のPV。あれ格好いいですね! 編集部でも話題になってますよ」

 インタビュアーの雑談を装った振りに、警戒のスイッチが入る。

「ありがとうございます。アタシ達も良いPVが出来たと思ってます」

 こんな時はYUNAに任せるべく、他のメンバーは押し黙っている。


「あれって、作曲家の先生のスタジオで撮られたんですよね?」


 その質問に、「あー、やっぱりそれ来たかー」という表情になるメンバー。

 もう何度目かわからないほど、どのメディアも同じ話題を持ち出してくる。


「そうですね。先生がアレンジに参加させてくれて、その一コマが使われています。次のシングルも同じようにやらせて貰いました。アタシ達のアイディアも直ぐ形にしてくれるし、凄く勉強になります」


 インタビュアーから目を逸らさないYUNAの代わりに、KARENがマネージャーへ目配せする。

「そうですかー。あのスタジオって、紗季さ……」

「あー、すいません。そろそろお時間ということで。次の入り時間、結構煩いんですよー。ほら、あのディレクターですよ。まったく……」


――。


 移動車に乗り込んだメンバーは溜息を吐いた。

「ナイス、カレン」

「それくらい空気読めるわ。あからさまやし」

 真下から口止めされていることもあったが、何より自分達から情報を引き出そうとすることが、煩わしかった。

「紗季さんのこと聞いて、次はカナのことやろ」

「カナ、可愛いし、上手いしねー」

「でも、まだ駄目だよ。今はまだボク達が守ってあげなきゃ」

「先生じゃ、頼りないもんねー」

 そんな会話をしながら、スマホで奏美の動画を観ていたMARINAが突然声を上げた。

「うわっ! 不味いよ、これは……」

「どないしたん?」

「コメント見てみ!」

 MARINAはそう叫んで、奏一のスマホを呼び出した。



 基本的に奏美は演奏するのが好きなのであって、自分の演奏を鑑賞する趣味はない。また、自分の唄に他人がどう反応するかなど、考えたことすらないのだ。

 動画を公開することに関しても、紗季のためであり、自分には関係のないこととして認識していた。

 今、奏美が気にしているのは、たった一人。

 それも、なぜ気になるのか、自分では理解できない状態であった。

 それ故、そのコメントを奏美が目にしたのは、本当に偶々としか言いようがない。


 鍵盤でAsus4の和音を確認してみようと、奏一のデスクにあるキーボードを触った時だった。

 振動でなのか、手が当たったのかマウスが反応し、立ち上げっ放しのPCでスクリーンセーバーが解除される。

 モニターに映ったのは、これまた開きっ放しの動画投稿サイトだった。

「へえ、コメントって、名前が出るんだ。拓海君、コメントしてるかな……」

 コメント欄を見て、瞬時にそんなことを考えた自分に首を傾げながら、PCの画面をスクロールしていった。




 真下のオフィスで会議に出席していた奏一は、珍しい相手からの着信に離席すると、廊下で通話ボタンを押した。

『センセー、今家に居る?』

 慌てた様子のMARINAの声に緊張する。

「オフィスで会議中だけど。どうした?」

『そこから動画サイト管理できる?』

「できなくはないな。なんでだ?」

『今すぐコメント確認してっ! 兎に角急いで削除っ!』


 ブツッ、と通話を切られたスマホで、奏一は動画のコメントを確認した。


『紗季様に歌で張り合おうなんて生意気。死ね』

『あのブスはなんだ? 紗季様が穢れる。削除しろ』

『あの声で歌われた紗季さまが可哀そう』


 紗季の熱狂的な信者ファンの一部による書き込みだった。





 MARINAはひな壇でアーティストに囲まれながら、テレビ収録に集中できずにいた。

 いつもなら直ぐに返事が返ってくるというのに、収録前に送った奏美へのメッセージが、既読にすらならない。


 MARINAはついこの間まで、ほっそりした他の三人と比べて太目だった。別に太っているわけではなく、普通の体系だっただけだが、一緒に並んでいるのがモデル並みにスタイル抜群で可愛い三人だったのだ。

 楽器を持ったアイドルグループという世間の認識もあったのかも知れない。


『なんで一人だけ豚が混ざってるんだ?』

『可愛い子にメンバーチェンジしろよ』


 頻繁にそんな言葉を浴びせられた。


 どこの誰からともわからない言葉が、どれほど突き刺さるかをMARINAは知っている。

 沢山の誉め言葉よりも、たった一言の暴力が印象に残るかも。

 自分には一緒に乗り越えてくれるメンバー達がいた。

 虐めにあっていた小学生の頃のように、孤独な状態であったなら挫けていただろう。

―― カナ、終わったら直ぐ行くからね。




 動画の思わぬ反響で、紗季は気軽に出歩くわけにも行かず、自宅のマンションで缶詰になっていた。

 入籍したというのに、奏一の仕事がバタバタしており、新婚っぽいことは何もしていない。

 変わったことといえば、以前よりは頻繁に奏一が泊まっていくことくらいだ。


 今日も仕事が終わったら、ここに帰って来るという奏一を待つだけで、手持無沙汰に楽器を弄っていた。

 偶には料理でもして、奏一を驚かせてやろうと冷蔵庫を覗いてみたが、思い立って何か作れるような材料があるはずもなく、肩を落とした時だった。


 リビングのテーブルでスマホが震えている。

 まだ会議中なはずの奏一からだった。


『奏美と連絡が取れない』

 一言目がこれだった。

「シスコン……。あのねえ、女の子なんだからでん……」

『そうじゃない! 実は……』

 声を荒げた奏一の説明を聞いて、紗季の顔から血の気が引いた。

『外に出てはいないと思うけど、行ってみてくれないか? 親父にも連絡したけど、まだ一、二時間は掛かりそうなんだ。俺も同じようなもんだ』

「わかった。すぐ行ってみるわ。連絡する」


 紗季はそのまま部屋を飛び出した。




 真下は怒っていた。

 奏一から話を聞いた真下は、会議を半ば強引に終わらせると、独り社長室に篭った。


 こうした批判めいた中傷があることは予想していた。だが、その矛先が問題だった。

「タイミングが悪すぎる。これじゃ紗季の復帰に水を差されかねない!」

 きっと、紗季は自分のことなら受け流しただろう。これくらいで揺らぐような魂ではない。

「アイツは絶対に落ち込む。自分のせいで義妹を傷つけたと、自分を責める……」


―― どうする? どう動けばいい?


 コメントをしたユーザーを探し出して、どうにかしてやりたい気分だった。


 イライラとしながら握りしめていたスマホが震えた。相手は秀一だった。


「聞きましたよ。どうですか、娘さんのご様子は?」

『いえ、まだ辿り着いていないもんでね。わかりません』

「そうですか……何かこちらで出来ることがあれば言って下さい」

『ありがとうございます。では遠慮なく』


 この状況でも変わりない秀一の物言いに、真下は思わず苦笑いを浮かべてしまった。


―― やはり侮れませんね、この人は……


『紗季ちゃんの声がどうして潰れてしまったのか、リークして頂きたい』


 真下にとっては、自分の非を世間に晒すようなものだ。だが、遅かれ早かれ、紗季が本格的に復帰すればわかることだ。


「予定が早まっただけのことです。タイミングは?」

『これから紗季ちゃんの了承を取り付けます』

「わかりました。ですが、よろしいので? ひょっとすると、余計に娘さんへの批判を煽りかねない」

『そこは紗季ちゃんと馬鹿息子に何とかしてもらいますよ。結婚のことでも発表させますかね』

「なるほど。その辺りのメディアへの対応は引き受けましょう。それで?」

『世間様にゃ、それくらいで十分でしょう。あとは身内の問題だ。なんとかしますよ』


 つまり、真下の出来ることは今のところそこまで、ということだ。

 確かに、世間に対する守りとしては申し分ない手配だ。

 そして、真下は身内の問題には踏み込めない。


「わかりました。それではご連絡をお待ちしております」

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