第13話

 真下は社長室に隣接した防音の部屋に篭っていた。

 キーボートにミキサーとPC、傍らにはギターも立掛けられている。曲作りをするような装備だが、アーティストや作曲家から送られてきた音源をチェックし、時に編曲をすることもある。

 社長室は経営者としての仕事場なら、こちらはプロデューサー真下正人の仕事場だ。

 本来ならばチェックしていなければならないデータは、山積みになって転がされている。今はそれどころではなかったのだ。

 何より他の音源など、これを観てしまった後では霞んでしまう。圧倒的だ。プロデューサーとして客観的な判断など下せる状況ではない。

 もう何度再生しているだろうか。六十インチの4Kディスプレーに映し出された、その姿から目が離せなかった。

 泣いていた。

 あの時、自分が判断を間違えたことで守れなかった紗季が、唄っている。

 データは渡したくないという秀一に、自分以外の目には触れさせないと拝み倒してコピーを取らせてもらった。大きなアドバンテージを持っていかれてしまったが、それに見合う代物だ。

 確かに、少なくないアーティスト達を使い潰してきた。潰したとはいっても、曲が作れなくなったとか、商業的音楽に云々でやる気がなくなったとか……、そんなことは真下の知ったことではない。それは本人達の問題だ。

 それでも、そんなアーティスト達を見捨てるわけではなく、次の道を模索したりと、守って来た。

 だが、紗季だけは守ってやれなかった。自分の判断ミスが、あの声を失わせてしまったのだと、後悔し続けていた。

「紗季、昔より音域広がってるよ……君は凄いね……もうまるで別のアーティストだよ……」

 以前の紗季は才能だけで唄っていた。それでも充分だった。

「圧倒的だよ。また凄い声を手に入れたね……テクニックも……」

 悔しかった。紗季が再生するために、自分は何もできなかったのだから。

「僕に出来る事なら、喜んでやりましょう……社長……」

 秀一から頼まれたのは、セッションで唄っている曲の権利関係についてである。この映像をインターネットで公開した場合、どんな問題があるか? というのだ。これだけのモノを無料で観せようというのだから、どうかしている。

「それに何ですか、この紗季と一緒に唄っている娘は……。今のこの紗季と面と向かって、一歩も引かずに唄えるなんて……まるで、昔と今の紗季が並んでいるような……いや、声質は確かに似ているけど……」

 最後に収録されているレモンサーカスのセッションで、真下は奏美に注目して耳を傾けるのだった。


 拓海は舞台袖で出番を待っていた。

 ステージでは、二組前のバンドが六人編成でSuchmosサチモスのstay tuneを演奏している。会場を覗いてみたが、盛り上がりはイマイチのようだ。

「曲は格好いいんだけどなあ……」

 ミュージックスクール主催のイベントだけに、観客は生徒の家族や友人だ。勿論、スクールの関連会社のレーベルなんかも来ているが、それだけに統一感はない。

 ほとんどのバンドは、レーベルなど業界関係者に向けて演奏している。

「確かに皆上手いけど、なんか違うんだよなあ……」

 疎らな拍手が起こった。

 拓海たちの出番は、最後から数えて三番目。トリを務めるのは、ソロデビューが決まっている女の子で、演奏もプロのサポートバンドだ。その前は講師によるデモンストレーションなので、生徒主体のバンドは拓海達が最後だ。

 ステージのセッティング変更が終わり、次のバンドが演奏に向かった。

「次だな」

 落ち着きなくウロウロしていた玲が、震える声で呟いた。

「なんだよ、緊張してんのか? ライブハウスじゃ余裕のツラしてるくせに」

「そうだけど……」

 そんな玲の様子にめぐみが溜息を吐く。

「先生見てみなよ。あれ見たら緊張すんの馬鹿らしくなるから」

「ほえ?」

 奏一を探してみれば、端っこのほうでアンプに腰かけ、ギター片手に楽譜と格闘している。

「ひょっとして、今曲覚えてんの?」

「違うのよ。曲作ってんの」

「へ?」

「ライブなんか眼中にないの。レモンサーカスのアルバムかなんかでしょ、多分」

 実際、いくら曲を書いても足りない状況なのだ。奏一はいつどこに居て何をしていようと、思い浮かんだ全ての音を記録できるようにしていた。

「次だってのに、他の曲のこと考えてんのかよ」

 そうこうしている内に、スタンバイの声が掛かる。

「お、もう次か。お前ら準備はいいか? ぶちかますぞ」

 徐に立ち上がって、そんなことをほざく奏一に、心の中で盛大な突っ込みを入れた三人だった。

「いいか? お前らが上手いのは当たり前だ。このステージで見せるのは、そんなことじゃない。レモンサーカスのライブ行って、何を感じた? ライブって何だ?」

 拓海達を目的もなく、レモンサーカスのライブに連れていったわけではない。

「ほいじゃ、行くぞ」

 四ピースの拓海達のセッティングは単純だ。入れ替わりは、あっという間に終わる。

 拓海は足元のエフェクターから伸びたシールドを拾い上げ、ストラトキャスターのジャックに差し込んだ。

 フットスイッチを踏んで、音を確認する。マイクの位置を調整しようと目を上げると、客席の様子が目に入った。

 最前列中央、拓海の目の前に見知った顔が五つ並んでいた。

「なっ……」

 目が合うと手を振って来る。

 ラフな私服に身を包み、黒縁の眼鏡を掛けた集団はレモンサーカスと奏美である。奏美以外は変装用の伊達だろう。

 拓海が振り向いて目配せすると、玲とめぐみも驚いたのか、目を丸くしている。

 奏一に手招きされて、ステージ中央に集まった。

「あっちの袖で紗季も観てるぞ」

 三人が目をやると、腕組みをした紗季が頷くのが見えた。

「あの真ん中に座ってるお友達な、アイツらとセッションするつもりで演れ。取り敢えず、アミが踊り出したら合格な」

「え、お忍びっすよね?」

「来賓席のど真ん中に座ってお忍びも糞もあるかよ。どうせなら、素敵なゲストが来てること、サウンドで教えてやれ」

「いいんすか?」

「やっちまえ。トリみたいなもんだ。派手に行こうぜ。あ、それと、俺この後のデモンストレーション出ねえし、折角だから会場暖めてやんよ。その後は任したぞ」

 拓海達は、気合も掛け声もなく、ステージに散った。

 奏一がPAに合図を送ると、照明が落ちた。真っ暗になったステージで奏一にスポットが当たる。

 ギャンッ

 一声吠えた後、悲鳴のような叫びが木霊する。

 生徒のものか、観客席から歓声があがる。

 高音から一気に低音へスライド。中音域に戻ると、君が代を奏でる。ジミヘンのパクりだ。

 トーンとボリュームを使って、バイオリンのような音を出す。これはエディ・ヴァンヘレン。

 チョーキング一発から怒涛の速弾き。

 エレキギターで出来ることの見本市みたいなことになっている。

 奏美はステージで演奏する奏一の姿を観るのは初めてだ。家のスタジオでは、こんな弾き方をすることはない。

 ギター一本の演奏だというのに、奏一のソロに観客は引き込まれていた。

 徐々に観客席のテンションが上がりだす。

 リズムを刻みながら、合間にフレーズを挟み込む。

 流石のステージさばきである。

 やがて奏一はAre you gonna go my wayのリフを刻みだす。

 めぐみのカウントが重なり、

 ドンッ、と拓海達の音が乗ると同時に照明が灯った。

 その瞬間、我慢出来なくなったAMIが叫びながら飛び上がり、踊り出す。続いてMARINAが奏美の手を引いて加わると、観客席に伝播していった。

 前ノリのリズムに揺れる観客。

 オーディエンスとの一体感を味わいながら、拓海は唄う。


『And I got to got to know!』


 レモンサーカスのライブほど、全体が一体になっているわけではない。だが、これがライブなのだと、奏美は感じていた。

 観客も交えたセッションなのだと。

 楽器を演奏しているわけでも、唄っているわけでもない。でも今、自分は拓海達の演奏に参加している。同じグルーヴの中にいる。

―― これは……演ってみたい!

 そう思って拓海を見上げた時、奏美の中で何か別の音が鳴った。



 ライブから帰宅した深夜。奏美は、自室でテレキャスを抱きながら、独り悩んでいた。

「ライブは演ってみたい……でも……」

 自分がステージに立っているところを想像してみる。

―― 怖い……。

 とてもではないが、耐えられそうにない。

「やっぱりアタシには無理かな……拓海君……ん?」

 オオォォォォ……

 またあの音だ。胸の中で鳴っている。

「拓海君? なんで?」

 ライブの最中に聴いたあの音だ。

「あれ? 何、この音?」

 音階はAだ。440Hz。サスティーンが安定せず揺れている。

「耳鳴り?」

 耳鳴りもしているが、確かに胸の中で鳴っている。消えてしまう。

 奏美はテレキャスをスタンドに立てると、地下スタジオに降りた。

「確か……あった……」

 それは管楽器の棚にあった。音叉だ。軽く叩く。

オォォォォ……

「うん、この音……」

 音叉はU字型の金属部分に柄がついた器具で、特定の音を響かせて楽器のチューニングに使う。楽器用は大概Aの音が出る。

 今はチューナーがあるので使うことはないが、奏美は小さい頃から、この音叉の音が好きだった。

 柄を胸に当てる。

 身体にAの音が伝わってきた。

 目を瞑って、深く息を吸う。音をもっと取り込むように。

 ステージでギターを構えた拓海の姿が浮かんだ。


 オォォォォォォオオォォォ……


「えっ?」

 胸の中で、一際不安定にAの音が揺れた。

 奏美が取り落とした音叉は、スタジオの床でもう音を発してはいなかった。

 それでもAの音は奏美の中で揺れ続けた。

 胸が苦しかった。

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