第三章 窓
第12話
レモンサーカスの面々は、ここの所忙しいのか、地下スタジオに余り顔を出さない。レコーディングとライブのリハーサルが重なれば、それも当然だろう。
奏一と紗季も、レモンサーカス同様、というか、レモンサーカスの件もあって、バタバタとしている。
周りの喧騒を他所に、奏美は独り、地下スタジオで考えていた。
「うんと、お義姉ちゃんから言われたことと……マリから誘われたこと……」
何か他にも考えたいことがあったはずなのだが、思い出せない。
「うーん……」
考えることを考えている状態であった。
「ま、いっか」
人と話すのが苦手なだけで、根暗な性格なわけではない。沈む時はどこまでも沈んでいくが、楽天家な部分もあり、開き直りも早いのだ。
こんな時は楽器を鳴らして、唄うに限る。
ルーティンとなっているヴォイストレーニングメニューをこなし、さて今日は何を唄おうかとギターを背負う。
「最近、
ちょっと日陰から日向を見ているような、暗くもないけど明るくもない響き。
「はあ……唄いたいかといわれると……唄いたいけど」
奏美は誰かに聴いて欲しくて唄っているわけではない。
「お義姉ちゃんが言うのは、ライブ演ったり、テレビで唄ったりしたいかっていう意味だよね……」
今のところ、そういったことに魅力は感じない。ここで、偶にMARINAやAMIたちとセッションしたり、紗季と唄えれば満足だ。
「マリはアタシにライブを観に来て欲しいんだよね……なんでだろ?」
この二つの問題は、どこか関係がある。
「あんまり人が多い所は行きたくないんだよなあ……お兄ちゃんとかお義姉ちゃんも行くだろうから、一緒にいれば平気かなあ……」
A♭M7からG7、
「お義姉ちゃんへの返事は保留。マリは……行ってみようかな……ライブか……」
ポーンっという電子音がして、SNSでメッセージが届いたことを知らせた。
「あ、マリだ。丁度いい……」
真下のオフィスには秀一の姿があった。
「今日はどのような?」
秀一から「お会いしたい」と連絡を貰った真下は、二つ返事で時間を空けた。先日以来、具体的なことは何も進んでいなかったので、これは何かあると思ってのことだ。
「単刀直入にお話しすると、うちの嫁がまた唄いたいって言うんでね。ご助力頂けないかなと」
真下は思わず身を乗り出した。
「本当ですか?」
紗季の復活は真下が最も望んでいたことだ。他のレーベルからでも構わないと言ったほどだ。
「馬鹿息子と嫁で、真下さんところに相談に来ると思いますよ。ですがね、一度は駄目にしちまったもんだ。まして、昔のままの紗季ちゃんでもない」
真下は奏一の持ち込む仮歌で今の唄声を知っているが、一般のファン達はそうではない。
「昔のまま帰ってくると思われるわけにゃいかないとね、思うんですよ」
「確かに……それで、僕にどうしろと?」
ポケットから秀一が取り出したのは一枚のメモリーカード。
「ちょいとビデオ鑑賞なんていかがですか?」
お台場にあるライブ会場には、ツアーでもない、一日だけのライブだというのに、二千人以上が集まっていた。
奏美はといえば、レモンサーカスのメンバーと共に会場入り。楽屋でMARINAの抱き枕をしている。
「ここが一番安全だからね」
「ここって楽屋?」
「違うよ。ボクの腕の中」
「えー、マリってそっち系?」
慌てて逃げようとする奏美を、離さないMARINA。
「ねえ……ライブって楽しい?」
「楽しいよー。うちらはライブバンドだからね。もうライブ最っ高ーだよ」
「ふーん。セッションの何が違うの?」
MARINAは「んー?」と唸ったが、答えは言わなかった。
「今日はどこで観るの? ボク、カナに手を振るよ」
「二階席。一番前の一番右端だって」
奏一はそこが一番安全だと言っていた。危ないものなのだろうか?
「二階かー。でもボクの正面だね」
「アミが一番遠いですじゃー。でもアミも手を振るですじゃー」
「スタンバイお願いしまーす!」
呼び出しが掛かり、メンバーは一気にテンションを上げた。
「行くでー! カナ、観とけよー!」
「やったるぞー」
「にゃー!」
「カナちゃん、後でね。ほんじゃ行くよ!」
メンバーを見送った奏美は、迎えに来た奏一とともに座席へ向かった。
座席に着くと、隣の席には帽子を目深に被った女性、良く見れば、紗季が座っていた。その向こうに拓海たちの姿もあった。
「カナちゃん、ライブは初めて?」
「うん」
会場に流れていた音楽が止み、照明が落とされた。会場のテンションも上がり、そこかしこから叫び声が聞こえる。
ステージ袖からレモンサーカスが現れると、叫びは悲鳴に変わった。
MARINAのギターが唸りを上げ、KARENのカウントで演奏が始まる。
『飛ばしていくよー! ファイッ! ファイッ! ファイッ!』
一曲目の前奏からYUNAが拳を突き上げ、煽る。AMIは掛け声に合わせてネックを振り上げる。
奏美が二階席から見下ろせば、一階席は一体となって掛け声とともに拳を振り上げている。振り向いてみると、二階席も同じだ。
二千人がステージの四人に扇動され、リズムを、音を、振動する空気を共有し、掻きまわしている。
巨大なアンプから放たれる爆音が客席を飲み込み、二千人の歓声がエネルギーとなって渦を巻き、会場が揺れる。
奏美は、自分の声さえも聞こえない音と、会場の熱気に圧倒され、気が付けばライブも終盤に差し掛かろうとしていた。
『今日は来てくれてホントにアリガットー! みんなにね、お知らせだよ。ねえアミ?』
『お? あーあーあー……ん? ユー姉ごめん、聞いてなかった……』
『あのねー……お知らせがあるでしょ?』
『おーおーおー、あるある。来月、シングルが出るよー!』
オオオオオオオ……
『どんな曲ですか、マリさん?』
『ちょっと自信がない友達への応援ソングですな。あとね、カップリングがいいんですよ。ね? カレン?』
『せやな。あれやった時は衝撃的やったで』
『今日はね、その二曲を作ってくれて、ギターの師匠でもある先生も来てくれるだよー。センセー!』
「あのバカ……」と零しながらも手を振る奏一。拍手を貰っている。隣で紗季が身を固くしているが、照明が当たらなかったのが救いだろう。
メンバーは奏一に手を振っている振りをして、完全にカナを見ている。
『やっちゃう? 新曲やっちゃう?』
『ええー、怒られるんちゃうかなー』
『やるならカップリングのほうだね。あれライブ最高だよ』
『どうする? やって欲しい?』
オオオオオオオオ……
『しょうがないなー。行くよ! 聞いてください……恋の行方!』
ライブが終わり、楽屋を訪れた奏美はハイテンションなメンバーに揉みくちゃにされた。
「ねえねえねえねえ、どうだった、どうだったー?」
「うん……ライブ、凄いね。
「ライブ最高ー!」
紗季はYUNAの喉が心配なようだったが、ライブでは最後まで声が出ていた。
「ユナちゃん、喉は?」
「熱は持ってますけど、ちゃんと唄えました。発声違うとここまで楽だとは。でも体力はこっちの方が持っていかれますね」
喉に氷をあてて冷やしているが、ヴォイストレーニングの効果はあったようだ。
「あと、ステージドリンクありがとうございます。冷たいのと温かいの両方用意しろって」
「冷えると喉が締まっちゃうから、温めてもう一度広げないとね」
楽器はそもそもチューニングが必要だ。ギターやベースはチューニングが狂いやすく、ステージ上で調整しながら演奏している。ドラムなどの打楽器も同様だ。
そして、ヴォーカルという楽器も演奏の合間に調整が必要なのだ。特に喉は熱ダレもするし、冷やし過ぎれば締まってしまうしで、中々厄介な楽器である。声帯に炎症が起きないように適度に冷やしながら、その周辺の筋肉が固まってしまわないように温める。
「最後まで満足のいく状態でパフォーマンス出来ました。うちはライブバンドなので、凄い悩んでたんです」
「うん、いいライブだったわよ。途中、奏ちゃんに注目が集まった時は、どうしようかと思ったけどね」
「あ……すいませんでした……カナに手を振りたくて、つい……そういえば先生は?」
奏美も紗季も楽屋に来ているというのに、奏一の姿が見当たらない。
「さあ、誰かさん達のせいで、誰かさん達のファンに囲まれてるんじゃないかしら」
「うわ……」
当然、見捨てて来た。
「奏美ちゃんは、今日のライブを観て、どう思ったかしらね?」
「あんなに唄えて、楽器も上手なのに、ライブ初めてだって言ってましたもんね」
「そうなのよねえ……」
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