第10話
「何故だ、俺の仕事場……」
中目黒周辺には、隣の祐天寺や池尻を含め、音楽スタジオは豊富だ。にも拘わらず、奏一はスタジオを押さえられなかった。
恐るべし夏休み。
結果、レモンサーカスという前例をあてにして、奏美を説得。拓海とそのバンドメンバーは、緊張した面持ちで地下スタジオのソファに座っている。
ベースの玲は背も高く、今時のイケメンといった風貌で、女ったらしのオーラが出まくっている。奏美には近づけたくないタイプだ。気は小さいようで、拓海の横で背中を丸めて小さくなっている。
緊張はしているものの、落ち着いているのはドラムのめぐみだ。セックスアンドピストルズのシドのような恰好をしている。
「あ、あの先生……ここって先生のプライベートスタジオっすか?」
流石に秀一のコレクションは並んでいないが、それでも楽器や機材が所狭しと並んでいる。まして、自宅の地下にあるスタジオだ。しかも、拓海達からすれば、スクールの講師とはいえ、今をときめく作曲家にしてギタリストと、活動していないとはいえカリスマ的シンガーのプライベートな音楽空間である。緊張しないわけがない。
ここに至る経緯の確認が終わった辺りで、ワンピースを着た黒髪の少女が現れた。
少女は無言でカチャカチャと紅茶のカップを並べると、目も合わせず「どうぞ……」と言い残して消えてしまった。
「い、今のは?」
「妹の奏美だ。人見知りなんでな」
「か、奏美さん……」
奏一が釘を刺そうと口を開きかけたが、意外にも玲が最もな指摘をした。
「なんだよ拓海、タイプだったのか? でも先生の妹さんってことは、紗季さんの妹さんってことだぜ。殺されっぞ?」
中々に遊び上手なようだ。危うきには近寄らないタイプなのだろう。
「まあ、そういうことだから。それより嵐が来る前に打合せすっぞ」
「あら、嵐も利用するわよ。折角だし」
「え? そうなの?」
奏一としては少女軍団が顔を出す前に何とかしてしまいたかったのだが、どうやら紗季は違ったようである。
「ちょっと演ってみなさい。ミュージシャンがウダウダ喋っててもね。音出さないことには始まらないわ」
紗季の指示で「はーい」と、其々の楽器を手に腰を上げる面々。まだ午前中なこともあって、エンジンが掛からない。ノロノロとチューニングしていると、嵐の到来である。
「おっはよー! あれ? カナは? っつうか誰?」
AMIが無駄に元気を発散させながら飛び込んで来れば、
「お早うさん。あれ? カナは?」
「おはよー。ん? カナは? あ、拓海君だ」
「お早うございます。あ、ホントだ。カナちゃんは?」
と、いうことになる。
「えー! レモンサーカスっ! 生レモンサーカス!」
玲は興奮を隠せず叫ぶ。見た目の期待を裏切らず、ミーハーなようだ。拓海とめぐみはペコリと頭を下げただけだ。
「居酒屋のメニューみたいやで。嫌な感じやな、あいつ」
「ボク絞られるのはちょっと……」
「はい喜んでー!」
「こら、アミ煩いよ。お邪魔ですよね? 上行ってましょうか?」
YUNAがいると、纏めてくれるので、被害が最小限だ。
「待ってたわよ。アタシと一緒にまずは聴いてましょ。その後、ちょっと演る予定だから、楽器のスタンバイもね。マリちゃんは無理にとは言わないけど、奏美ちゃん誘ってきてくれる?」
「はーい。ところでそのカナはどこに?」
「部屋にいると思うぞー」
「はーい。序に着替えてこよーっと」
「アタシも」「アタシも」「アタシもー」と、結局四人連れだって奏美の部屋へ向かう。
拓海たちがグダグダとセッティングを終えたタイミングで、スウェットに着替えた五人が降りてきた。お泊り会明けみたいなことになっている。
「奏美まで着替えたのか……」
「なんか巻き込まれた……」
テレキャスターを肩に掛けた奏美が少し浮いているが、三つ編みの髪をワザとボサボサにする念の入れようだ。AMIは枕まで抱えている。
「オフの前日にお泊り会せえへん?」
「女子トーク! 女子トーク!」
「いいね。ボク、カナ抱いて寝る」
と、奏美の後ろから抱き着くMARINA。
「あ、すいません。気にせず演って下さい」
―― 無理だろ……
「ほら、始めて。時間は有限よ」
「よーし、最初はオリジナル流すから、それに合わせてみよう」
奏一が音源を流すと、拓海達はそれに合わせて演奏を始めた。
チョコレート菓子や炭酸飲料など、様々なCMで使われてきたお馴染みのリフが繰り返される。
奏一と紗季がこの曲にオーケーを出した理由でもある。
イベントには親御さんも多く来場する。まったく知らない曲よりも、どこか耳に残っている楽曲のほうが楽しめるだろうという配慮からだ。
前奏が終わるとレニーの唄声が響く。四年連続して賞を取るほど存在感のあるヴォーカルである。
Bメロに入ったところで、拓海が顔を顰めた。
Aメロはヴォーカルは唄っているだけだ。だが、Bメロからはリフを弾きながら唄わなければならない。左手と右手と口が、全部バラバラのことをするのだ。
「先生……リフは単純なんだけど、刻みと違って、唄うの難しいっす……」
拓海は正直に弱音を吐く。
「まあ、そうだろうな。そこにベース弾きながら唄う器用な娘がいるから、コツでも聞いたらどうだ?」
AMIのことだ。
ライブではベースをチョッパー(指で弾く奏法)で弾きながら、曲によってはリードを唄っているのだ。左手は忙しく動いていながら、感情を込めて唄う。
「へ? そんなの、もう手癖になるまで弾くしかないよー。歌も別で練習ー。両方とも無意識でできるくらいにー」
「アミさんはどれ位でできるようになるっすか?」
「一週間か二週間じゃない?」
結構凄いことである。
「今日のところは、唄ってる間、弾かなくていいから」
「了解っす」
流していた曲が終わった。
「ドラムとベースはグルーヴを意識して。正確に刻めば良い曲じゃないからな。頭だけは外すなよ。ちょっと演ってみっぞ。いいか? 1・2・3・4……」
シンプルな曲なので、演奏自体はそれなりに出来てしまう。
が、いまいち感が否めない。シンプルだからこそ、雰囲気を出すのが難しいのだ。普通の高校生バンドだったら、オーケーなレベルではあるのだが。
奏一以外は真剣な表情で演奏している。
「なんか微妙やな」
「ノリが悪いね」
「一発目だからこんなもんじゃない?」
拓海のヴォーカルが入ると、更に微妙な空気が流れる。
「下手やないけど、格好良くもないな」
「一言で言えば『ダサい』わね」
「うわ、紗季さんバッサリー」
唄うことに照れがあるのか、音を外さない程度に終始してしまう。「うーん」と頬を掻きながら、奏一が演奏を止めた。
「紗季、なんかアドバイスしてやって」
「うん」と、腕組みをした紗季が勢いよく立ち上がった。
「一回唄ってみせるから聴いてなさい」
そう言い放つと振り向いて、「アタシの後に奏美ちゃんも唄ってくれるかな?」とお願いポーズ。
「一緒になら」
奏美が仕方なさそうに了承する。
「じゃあ、選手交代!」
紗季の号令でゾロゾロと入れ替わる面々。
「あーなるほど、こうね……で、はいはいはい……あーソロはボク無理。カナやってー」
「えー? うんと……こっちで……こうして……適当にやる……そこ以外のセカンドはユー姉にお願いしていい?」
「了解」
「ベースソロー! 無理かもー! アハハハ」
「じゃあ、アタシが一コーラス目で、奏美ちゃん二コーラス目ね」
「いい? いくで? 1・2・3・4……」
出だしこそバラつきがあったものの、身体でリズムを取りながらノレてくる。みんな笑顔である。音の集まりが波になる。AMIのベースラインがうねり、MARINAとYUNAのチョーキングが綺麗にハモる。
バンドのグルーヴが盛り上がってきたところで、ズンっと紗季のヴォーカルがサウンドに厚みをつけた。
I was born~……
瞬間で、バンドの音が紗季の声に支配される。ハスキーな音色に引きずられるように、チョーキングが悲鳴をあげながら踊り、カッティングが跳ね回る。一コーラス目のサビを迎える。
And I got got know~……
カウントのようなリフが、次に行くのを我慢するようにもがく。身をよじるようにベースラインが絡みつくと、待ちわびたKARENが一際強くバスを踏み込んだのを合図に、奏美へ音の支配権が移譲された。
I don’t know why~……
バンドの音色が変わる。高音よりだった鳴りが、奏美の透き通った音を引き立てるように低音の響きへ。ズン、ズンと迫るのに、キラキラとしたビート。紗季のコーラスが奏美のリードと混ざり合う。
And I got got know~……
一瞬の沈黙の後、残り香に浸るようなカッティング。MARINAもAMIもYUNAまでもが飛び跳ねている。KARENも頭を振りながらビートを掻きまわす。
ワンフレーズのメロディアスなベースソロが誘い出すと、奏美のギターソロがカッティングの上を滑っていく。
まだ演ろうよ。そう思っても曲の終盤はやってくる。
‘cause baby I got know yeah……
紗季が終わりをそう宣言すると、唐突にグルーヴが四散した。
「ダハハハハ、なんや間違えたでー!」
「ボクもー!」
「譜面見失ったー! アハハハ!」
「ソロ適当ー。ユー姉完璧だったんじゃない?」
「間違えたよ。余計な弦弾いたー。でもノリは最高だったね」
満面に笑い転げる五人娘の頭を、紗季は満足そうに一人一人撫でて回った。
「どう? 感想は?」
問い掛けられた拓海達は、コメントに困った。
「ヴォーカルが上手いっす……うーん、でも……」
「ベースのうねりも凄かったぜ」
「グルーヴ。まだお腹の中でビートが鳴ってる」
紗季はニヤリと笑うと、めぐみの頭も撫でる。
「ヴォーカルで分かって欲しかったのは音色。アタシが唄ってる時と、奏美ちゃんが唄ってる時でバンドのサウンドが変わったのわかった?」
三人は顔を見合わせてから、コクリと頷いた。
「それとね、ライブは技術よりグルーヴよ。譜面通りじゃなくったって、格好良かったでしょ?」
「まあ、お互いの音をもっと聴いておけ。つうことで……あれ?」
ドンッ、とレモンサーカスが演奏を始める。デモ録りした新曲のようだ。レニー・クラヴィッツが刺激になったのか、グルーヴにうねりが入っている。レコーディングより先に、ライブアレンジが出来てしまいそうだ。
そんなレモンサーカスの中に、キャッキャとはしゃぐ奏美が混ざっている。
「この曲知らないぞ。もしかして新曲?」
安定のミーハーな喰い付きを見せる玲の横で、拓海が眩しそうな眼で奏美を見つめていた。
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