第7話

 土曜日、スクールでのレッスンを終えた奏一は、紗季を伴って帰宅した。

 地下スタジオに降りると、秀一は兎も角、恵美と奏美までもギターを抱えていた。音楽一家である。

「おう、紗季ちゃん、。奏一よう、明日は朝早えんだぞ。長え話じゃねえだろうな?」

 この家の日曜日は、始動が早い。それこそ、早く朝が来ないかと、ベッドの中で痺れを切らすほどに。

「紗季ちゃん、。ご飯食べたの? まだなら何か作るわよ」

「紗季さん、。見て見てー、お父さんに貰っちゃった」

 奏美は嬉しそうに、テレキャスターを持ち上げる。木目が美しいナチュラルカラーで、傷の具合と出所からして、それなりも物だとわかる。

「ただいまです。綺麗なギターね、奏美ちゃん。ヴォーカルにテレキャスなんて、流石さすがおと……おと……お義父とうさん。わかってらっしゃる」

「だろ? そんなに古くはないふるかねえけど、奏一の生まれた年のモデルでよ……ん? 今何て言ったなんつった?」

 紗季の軽いフライングに、秀一の顔が分かりやすいくらいにほころぶ。

「あー、そういうことなんで、手短にってわけにはいかないかも」

「お願いします」

 紗季も真剣な口調で頭を下げた。

「あら、秀ちゃん、ちゃんと聞く必要があるみたいよ」

「そうみてえだな。紗季ちゃんの頼みじゃな」

 奏一と紗季がソファの正面に椅子を持ってくる間に、秀一がギターを撤収する。奏美はテレキャスを抱いたままだ。恵美がツマミと飲み物を用意して、家族会議の開会である。

「奏美にはもう伝えたけど、紗季と結婚する。今更とか、ようやくとか言われそうだけど、それはまあ、置いといて」

「言わせろ、馬鹿息子。散々待たせやがって。まあ、でもあれだ。でかした」

「そうよ、だいたいね……」

「わかってる、わかってるから」

 奏一が、長くなりそうな恵美を止める。

「あの……、お義父さん、お義母さん、奏美ちゃん、これからも、よろしくお願いします」

 紗季が深々と頭を下げると、場はにこやに落ち着いた。

「奏一はいらねえけど、紗季ちゃんが娘になってくれるってのは、大歓迎だ」

「感謝したいくらいよ。奏一がやっと役にたったわ」

「お役に立てて何よりだよ。それで色々あって、独立して事務所立ち上げたいんだけど……」

「金か? その色々次第だな」

 流石、せっかちな経営者。話が早い。

「その色々には奏美もかかわってくるから、聞いてほしい」

「ん? アタシ?」

「そう。独立する目的は、俺と紗季、そして奏美のマネージメントをすることなんだ」

「アタシも?」

 そこで紗季が奏美のほうに身を乗り出し、優しく、だが真剣に切り出した。

「奏美ちゃんの声をね、この間のデモで気になっている人がいるの。音楽業界じゃ一応大物よ。レッスンで録ったやつなんか聴かせたら、もう絶対、会わせろって言ってくるわ。その時にね、奏美ちゃんが会うにせよ、会わないにせよ、守れるようにしておく必要があるの」

「どうして? アタシなんか可愛くないし、紗季さんみたいに上手くもないのに?」

「奏美ちゃんは可愛いし、アタシがって思うくらい上手よ」

 こうなってしまうと、もう話は先に進まない。平行線だ。これ以上この話題を続けるのは得策ではないだろう。

「奏美がうちのタレントってことになれば、俺も助かるってことさ。デモで唄ってくれるなら、ギャラも出す」

「なるほどな。そういうことなら出資してやらんでもない。いつ頃だ? 」

 ここは父と息子、阿吽の呼吸である。

「なるべく早く」

 奏一は直近から立て込む予定の仕事と、そこに絡んでくる諸々を説明した。

「それなら、休眠してる会社があっから、それ使え。いや……俺がそのまま社長やってやる。その方が早い」

「いいのかよ、親父?」

「お前が経営するよかマシだ。設計事務所のほうは、まあ、なんとかならあ。な? メグちゃん?」

「そうね。いっそのこと、あっちは誰かに任せちゃいましょ」

「いいね。さて、肝心なことはわかった。年寄りと子供にゃもう遅い時間だ。細けえことは明日だ」

 秀一の宣言により、家族会議は迅速且つ強引に閉会した。

「ああ、そうだ。これだけは聞いておかなくっちゃな。婚姻届けはいつ出すんだ?」

「あーっと……これから決める」

「役所行くなら序に登記用の謄本と住民票取って来い」

「了解」

「奏美ちゃん、明日ね?」

「うん、お義姉ねえちゃん。おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」

 奏美は頬ずりしそうな勢いで、テレキャスを抱き締めながらスタジオを出て行く。

「可愛がってくれるのは嬉しいが、あんまり夜更かしすんじゃねえぞ」

 階段から「はーい」と返事があった。

 奏一も、紗季と一杯引っ掛けて、そのまま泊まってくると言って出掛けていった。

 地下に残された夫婦は、珍しく疲れた様子で、こちらもワインを開けている。

「役に立ったわね」

「ああ、もしかして、とは思ってたけどよ。ちょいと増資しとくかな」

「どのギター売ろうかしらね?」

「メグちゃん? 本気で言ってる?」

「ああ、グランドピアノ欲しいなあ」

「ぐ……グランドピアノですか……はい……」


 奏一と紗季はいつものバーに腰を据えた。

「さっきはどうした? 珍しいこと聞いた気がするんだけど?」

「何よ、奏美ちゃんのこと?」

「そうそう」

「本音よ、本音。あの声はホント羨ましいって思うもの」

「隣の芝は青く見えるっていうしな」

 紗季がプッと吹き出した。

「何か例えが微妙。あの声で唄ってみたいって思ったのよ。楽器と違って、取り換えるわけにもいかないから、余計ね」

「それってさ、唄いたいってこと?」

「あれ? そうね。アタシ、唄いたいかも……」

 紗季は唄うことをやめていた。やめていたはずなのに、気が付けば毎週のように奏美と唄っている。スクールのレッスンでは唄うことなどないというのに。

 紗季が唄わなくなったのは、両親の事故が切っ掛けだ。

 紗季は二枚目のアルバムを出したばかりで、その中のバラードがシングルカットされた。大ヒットだった。

 その『優しく殺して』という曲をライブで唄っている最中に、両親は死んだ。両親の死因と曲の間には、何の関係性もない。だが、紗季は。唄いたくもなくなってしまった。

「考えてみたら、今、奏ちゃんとこうしてるのは、あのことがあったからなのよね」

「あまり良い理由ではないけど、まあ、そうだね」

「アタシが唄えなくなったのは、別にあのことだけが原因じゃないのよね」

「そうだね。いつも辛そうだった」

「うん、唄うのが辛かった。溜まってたのよね、色々」

「今は大分元気そうだけど?」

「ねえ、知ってた? 『優しく殺して』って、奏ちゃんに向けて唄ってたのよ」

「えー、だってあの頃まだ付き合ってないじゃん」

「奏ちゃんにラブレターのつもりで歌詞書いたら、奏ちゃんが曲を付けてくれたのよ」

「いや、紗季が曲書いてっていうから……俺に向けてって、俺、紗季の後ろにいたし……ってかおもた! あの歌詞は重いだろ」

 奏一は当時、紗季のツアーバンドでギターを弾いていた。勿論、レコーディングもだが。

「届いてなかったのか。今はあんな歌詞書けないわ……」

「届くもなにも、俺は既に惚れてたし……って、これ何の拷問? 入籍前の黒歴史発表会? 『この声もこの身体も』……なんてこと言ってくれちゃってんの」

 思い出すほど、重くなっていくという歌詞。紗季がどんな精神状態だったか、よくわかる内容である。

「アタシ、また唄えるかな? あの歌じゃなくって」

「唄えるさ。焦ることないよ」

 二人はグラスを合わせると、ゆっくりと飲み干した。まだ帰るわけではないので、お替りを注文する。

「ところでさ、入籍いつにする? 希望ある?」

「誕生日がいいー♪ とかいう歳でもないわよ。謄本が要るから、月曜日ね」

 十分すぎるほど若い二人なのだが、こういうことになる。

「なあ、来週の奏美のレッスン、休みにしない?」

「なんで?」

「墓参り。ちゃんと報告しないとさ」

「奏ちゃん、マメよね。因みに、それ全員で行くことになると思うわよ」

「そうだな……奏美連れ出せるから、まあいいか」

 ポンッ!

 何の音かと驚いて見回すと、カウンターの中でマスターがシャンパンを開けていた。無言でフルートグラスが差し出される。さっき報告したので、お祝いということらしい。

「あ、ありがとうございます……」

 マスターは、自分の分のグラスを軽く掲げ、一気に飲み干すと、ボトルを置いていなくなってしまった。

「そういえばさ、奏ちゃん……マスターの声聞いたことある?」

「ない……」

 謎である。


 翌日、奏美のレッスンという名のセッションは、過去最高の盛り上がりをみせた。

 ヴォーカルレッスンだというのに、奏美も紗季もギターを弾きながらの熱唱である。もう意味がわからない。

 紗季曰く、「弾きながら唄うのと、唄うだけって、全然違うの。弾きながらってデメリットもあるけど、メリットだってあるのよ。ってみたらわかる」と。

 これを受けて、早速実践してみたのだ。

 ストロークでリズムを刻みながら唄うヴォーカルは、グルーヴ感が半端ない。メトロノームとは違う、演奏のリズムにシンクロしたを感じやすいのだろう。

 ただ、ギターに気を取られて過ぎてしまうと、唄うことが疎かになってしまうので、どちらの初心者にも難しいだろうことは確かだ。

 更に、後奏アウトロで、フェイク合戦が始まっちゃって終わらないという。

 奏美も奏一がいない時間帯に、かなり練習しているようで、益々磨きが掛かっている。

 奏美は、産まれた時から音楽に囲まれ、自然と楽器に触れ、音楽を作る場に居たのだ。理屈ではなく、音楽という感覚が備わっている。

 そして今は、毎日唄うことに集中して努力できる時間と環境がある。

 才能が伸びないわけがないのだ。

 紗季がテクニックを披露すれば、奏美が懸命に真似をする。そうやって今日も技術的にも飛躍していく。

 地声チェストヴォイスから裏声ファルセットへ飛んで、ミックスボイスへ落としたと思ったら、音程はそのままに裏声と行ったり来たりの後に、ホイッスルへ抜ける。

 しまいに、お互い好き勝手スキャットしているようで、しっかり絡みあっていた。音が決壊して溢れ出ているようだった。

 二十分以上ドラムを叩き続けた奏一は、曲の終わりと共にダウン。奏美と紗季はテンションが可笑しなところに行ってしまったらしく、涙を流しながら笑い転げている。秀一はぐったりと天井を眺めながらニヤニヤしているし、恵美に至っては「まあまあ、まあまあ」と頬を押さえながら歩き回っている。

カオスだ。

「び……ビデオ……誰か……ビデオ……停めて……」

 奏一のダイイングメッセージは誰にも届かなかった。


 翌日の昼、朝一からサクッと入籍を済ませた奏一と紗季は、真下のオフィスに居た。

「久しぶりだね、紗季。以前より顔色が良さそうで安心したよ」

「ご無沙汰しております」

 紗季は真下が大嫌いだ。奏一は何があったのか詳しくは聞いていないが、これだけは確かだ。

 今でこそ会社も大きくなり、真下も柔らかくなったが、数年前までは容赦のない人だった。アーティストの体調などは考慮せず、スケジュールを詰め込むだけ詰め込んで、売れる時に売れるだけ売る。一般には知られていないが、真下に酷使され潰された才能は数知れない。

 潰れてしまったアーティストを捨てるわけではないのだけれど、潰してしまった事実は消えない。

 紗季もその一人だ。

「お忙しいのにお時間頂いてすいません」

「奏一が紗季を連れてくるというんだから、他を断ったって時間を作るよ」

「ありがとうございます」

「今日はレモンサーカスの件かな?」

「いえ、それもありますが、先にご報告がありまして」

「独立、かい?」

「えっと、今日、紗季と結婚しました」

 真下は一瞬「ん?」という表情をしたが、直ぐにニヤリとすると、

「それは、おめでとう……と言いたいところだけど、まだしてなかったのかい? とも言いたいね。式は来年?」

「その辺りはまだ何も。何せプロポーズしたのが先週だったもので」

「まったく、今まで何をやっていたのか……まあ、いいよ。他でもない、紗季の結婚式だ。僕が仕切って、そうだな、どこか南国の島でも貸り切って……」

「いやいや、勘弁して下さい。大規模過ぎるでしょ」

「何を言ってるんだい。紗季だよ? モンサンミッシェルって言ったって不思議じゃないよ」

「あの、二人とも? 」

 紗季が眉間を揉みながら、どこまでも脱線していく二人を引き戻した。

「ご、ごめんなさい」

「ああ、すまない。遂ね」

「奏一さん、お忙しい真下さんのお時間頂いてるんですから、話進めて下さい」

(訳:早くここを出たいから、とっとと話を終わらせろ)

「あ、はい……」

「奏一、強く生きろよ」

「はい……。それで、実は既に会社はあるので、直ぐに動き出したいと思うんですが……」

「法律顧問だね。紹介するよ。今日中に連絡させる」

 この業界、一番の問題は権利関係だ。そこを押さえないと、後で酷い目にあう。

「助かります」

「今日の本題は紗季の件だね。わざわざ筋を通しに来たというわけだ。殊勝な心掛けだよ。まったく君達ときたら。まあ、嫌いじゃないよ、そういうとこ。紗季なんか僕のこと大っ嫌いな癖に、こうして足を運んで、顔を見せてくれるんだからね。本当は僕のところで面倒みたいんだけど、本人が嫌がるしね。奏一なら僕としても安心だよ」

「すいません」

「紗季が謝ることじゃないよ。今後、紗季がどこのレーベルと仕事しようと、うちは一切文句を言わない。出来れば、うちのレーベルを使って欲しいけどね」

「ありがとうございます。事務所の体裁が整ったら、代表を連れて改めて挨拶させてください」

「奏一が代表じゃなかったんだ?」

「はい、父がやってくれることになりまして」

「おお、有名なギターコレクターにお会いできるなんて光栄だね」

「お義父さん、有名なんですか?」

「天然は奏一だけかと思ってたよ。世界有数のコレクターだよ。日本には一本しかない、なんてのもあったはずだよ。お母さまもインテリアの世界ではそこそこ有名だからね」

 真下はやれやれといった様子で、二人を眺めやった。

「ある意味、君達の家は有名人揃いだからね?」

 その後、やっとレモンサーカスの話になり、大枠を決めて、会談は終了となった。

「最悪、うちじゃなくても構わない。紗季がまた唄ってくれるのを待ってるよ」

 真下は別れ際、手を振りながら、そんな言葉を残したのだった。


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