第6話

 奏一はファーストフードで軽く昼食を済ますと、そのまま渋谷のミュージックスクールに向かった。

 レッスンの始まる十七時までまだ時間があるが、空いている部屋を借りて、預かった詩をチェックしてしまうつもりだった。

 まずは青い付箋が付いた十月分からだ。これだけでも十枚はある。

「はあ……、コールアンドレスポンスねえ……あ……」

 奏一は慌ててスマホを取り出すと、SNSを立ち上げた。

「内容はじかに話さなきゃだなあ」

 『相談あり。お手隙で電話求む』と送信すると、ほとんど差がなく電話が返ってきた。

『今度はなに?』

「お、まだ家?」

『そうだけど?』

「何か怒ってる?」

『別に怒ってない。で、何? アタシが怒るようなことしたの?』

 鋭い。

「あー……今晩、レッスン終わったら、あの……この間見付けた、宇田川町の和食のお店行かない? 今回、シングル二枚とアルバムって大量発注貰っちゃってさ、お祝いと、ついでと相談に乗って欲しいなあ……」

 色々だ。嘘はいていない。詳しく言っていないだけで。

 紗季もレッスンが二コマ入っているので、合流するには都合がいい。

『何か怪しい感じだけど、まあいいわ。今日はアタシんとこ泊まる予定?』

「泊まり予定……」

 それは話の流れとアナタ次第です、とは言えない。

『わかった。じゃあ後でね』

 結局、詩は眺めているだけで、まったく読めずに時間が過ぎた。

 レッスンも、違うフロアにいる紗季のことが気になって身が入らず、最後のコマの拓海には溜息をかれる始末だった。心ここに在らず。

「頼むよ、先生。もう来月なんすよ、ライブ」

 拓海の言うライブとは、スクールが主催する発表会みたいなものだ。生徒同士がバンドを組んで演奏するイベントで、会場も大きなところを押さえているし、音楽関係者も観に来る。当然、生徒達の士気は高い。

「あー、そんなのもあったな」

「うっそ……俺の将来掛かってんすよ」

「何言ってんだよ。将来も何も、お前もうプロじゃん」

「へ?」

 そう、拓海はすでにプロデビューを済ませている。この先はマネージメントの問題である。まあ、イベントでアピールするのも悪くないが、将来が掛かっているという程でもない。

「スタジオミュージシャンとしてギャラ貰ったろ」

「貰ったっす……」

「そゆこと。そうそう、来月から年内ずっとレコーディン続くから、よろしく。ライブも手ぇ抜くなよ。いやいや、いきなり売れっ子ですな、拓海さん。お、時間だ。決まったら連絡すっから。じゃあな」

「ちょっと待っ……えぇっ? ……えぇっ?」

 二時間あったレッスンで、奏一がまともに話したのは最後だけ。しかも、去り際の爆弾は中々の破壊力で、パニック状態の拓海が四畳半ほどのスタジオに独り、取り残されたのだった。

 ロビーで落ち合った奏一と紗季は、センター街を抜けて道玄坂を登る。

 ギターはスクールに保管しているので、手にはビジネスバッグのみ。

 今日は二人とも黒っぽいビジネススーツを着ている。奏一は長髪ではないし、紗季もこの格好なら渋谷の街を歩いても、まず見抜かれない。芸能人が着て歩くわけないという固定概念をついた格好である。コスプレではない。

 紗季は未だカリスマ的なところがあるので、二人で繁華街を歩く時は一応気を使うのだ。

 交番のある交差点を左に曲がり、古いラブホテルの裏手にまわると、そのお店はある。半地下にあるので、通りから中を覗けない、まさに隠れ家。

 テーブルも空いていたが、紗季が残り二席のカウンターに滑り込んでしまった。

 ビールで乾杯する。

「んで、相談って、奏美ちゃん?」

 お通しに出てきたはもの梅肉ソース和えを摘む紗季はご機嫌な様子だ。

「いや、それはまだかな。それより俺たちのこと……と、紗季のこと」

 フッと紗季の箸が止まる。

「はあ? それって……もしかして?」

「いや、あの……結婚じゃな……あれ? そうか……うん、俺と結婚して下さい」

「え? ん? まあ……うんと、はい……」

 人生の決定的瞬間であるにもかかわらず、若干気まずい沈黙が流れる。

「あの、俺の仕事も順調っていうか、食っていけそうではあるし、そろそろ独立もしなきゃだし、色々あるんだけど、その、紗季がいてくれないと困るというか、だからその、結婚して欲しい」

「だから、って。もう……馬鹿」

 箸を置いて俯いた紗季は、泣いているのか、笑っているのか、肩が細かく震えていた。

「あ、あの鱧の天ぷらと、あと無花果いちじくの揚げ出し?ください。それとビールのお替り……」

「アタシも」

「二つ」

「ハイヨ、ビール二丁ふたちょう! それとドンペリあったろ? お客さんにお配りしなっ! 俺にもよこせ!」

「え、あの?」

「すいませんね。聞いちまいまして。おめでとうございます。いや目出度めでてぇ」

 笑顔全開の大将が音頭をとってそのまま乾杯となり、店中からお祝いされてしまったわけで、

「あーもう……相談は後で、いや明日かな……アハハハ……」

 自爆に次ぐ自爆を重ね(?)、結局相談したかったことも言えず、なぜかプロポーズまでしてしまった奏一は、紗季の部屋で朝を迎えたのだった。

 時計を見れば、もうお昼近い。

 乾杯の後、大将が巻き込んだお客さん達と大宴会になり、二軒目に行ったような気もするが、記憶が定かではない。

 酒臭い息で周囲を見渡せば、脱ぎ散らかした服。スッポンポンである。

 肉体関係という意味では今更なわけだが、記憶にない行為、いや行為に及んだかも覚えていないというのはどうか、と反省しながら紗季を起こす奏一だった。

「紗季、起きてシャワー浴びよう?」

 エアコンは掛かっているものの、汗でべとべとな上に、紗季を見れば化粧も落としていない。

「ん……奏ちゃん? あ……もう、こんなんじゃお嫁に行けない……」

 どこまでかはわからないが、昨日のことを思い出したらしい紗季は、タオルケットに顔を埋めてしまった。

「いや、昨日お嫁に来るって言ってたと思うんだけど」

「あー、言ったわね……あのプロポーズ……まあ、奏ちゃんらしいというか」

「出来れば撤回はなしの方向で」

「当たり前でしょ。あー、まだ酔ってる。先にシャワー浴びてくる」

 スルリとベッドを抜け出し、裸のまま堂々とバスルームに向かった紗季は、

「待ってたんだから」

 そう言ってバスルームのドアを閉めた。

「待たせてごめんな……」

 今日もレッスンがある二人は、いつの間にか買っていたらしいコンビニのお握りをキッチンで発見、腹に収めると頭痛薬を服用した。

 頭がスッキリしてきたところで、出掛ける時間までミーティングである。

 向かい合って話したい場面ではあるが、居間のソファに並んで座っている。

 プロポーズしたことによって、昨日の昼間より更に議題が増えていることだし、時間が惜しい。

「まず、状況を説明すると、十月リリースのシングル、十一月リリースのシングル、年明け、恐らく一月下旬か二月頭にリリースのアルバムの仕事を依頼された」

「またてんこ盛りな上に、かなりギリギリね」

「更なる無茶ぶりがあってだな……」

 奏一は真下の余計なコメントを省いて、昨日打合せした内容を報告した。

「ヴォーカルレッスンはいいけど、作詞ねえ……」

 紗季があまりいい顔をしないだろうことは予想していたが、奏一は自分の覚悟次第だと思っていた。

「紗季、俺が守るから、アルバム用に書いてみないか?」

「守るって……、まさかそれで結婚しようって?」

「結婚と同時に独立して事務所を立ち上げる。俺の奥さんで、共同経営者で、所属タレント。それだけ揃えば、どんな時でも俺が盾になれる」

「奏ちゃん……」

ついでに奏美をうちのタレントにしちゃえば、奏美も守れるかなって」

「うん。一緒に守ろう。でも、作詞はちょっと考えさせて?」

「わかった。今月中には登記しちゃいたいし、色々と忙しくなるけど、これからもよろしく」

「はい」

 そのまま必然的にイチャイチャ……。遅刻寸前でスクールに駆け込むはめになったのは、多分仕方ないことだろう。

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