第二章 騒
第5話
奏一はスランプ気味である。
レモンサーカスの人気が上がっていくにつれて、奏一への作曲依頼も増えているのだが、やる気が起きないというか、テンションが上がらないというか。
「だぁぁっ! アイドルやる気にならんとか、失業するぅぅっ!」
何とか気分だけでも盛り上げようと、叫んでみる奏一。
「そういう、よくわからない音楽ジャンル的差別は良くないよ、お兄ちゃん」
「……」
言葉を失う奏一の、調子が上がらない原因は明らかだ。
毎週毎週この地下スタジオで繰り広げられる、レッスンという名のセッションである。
思わずジト目で妹を見てしまった奏一にも、
「な…何、お兄ちゃん? 気持ち悪いよ……」
「だぁぁぁっ!」
「あ、携帯鳴ってるよ」
奏一のスマホには「真下」と表示されている。
「奏美、ちょっと静かにな。存在を感じさせるな」
「え、何? 女? 紗季さんというものがありながらっ!」
「違うから……。いいから絶対声出すなよ」
外に出て通話しようかと考えた奏一だが、仕事の話ならこの場で受けたほうが、何かと都合がいい。
「お世話になってます」
『はいはい、お疲れ。今、大丈夫?』
「大丈夫ですよ」
と言いながら、ちらりと奏美のほうを見ると、大人しく雑誌を読んでいる。
『
「そうですか……うーん……」
レモンサーカスの依頼自体、悪い話ではない。歓迎すべきことだ。
だが、デモの問題がある。
相手は真下だ。警戒して、し過ぎだということはない。
『奏一も人気出てきたからね。忙しいのはわかってるけど、なんとかお願いできないかな? 年明けにはアルバムも計画してるからさ』
立場的に断ることは出来ない仕事だ。
「わかりました。打合せ、決まったら連絡下さい」
『助かるよ。よろしくー』
これはフラグだ。
またデモで、奏美の唄をよこせという振りだ。
通話を終えた奏一は、ふう、とため息を一つ吐いた。
「どうしたの? 難しいお仕事?」
「いや、またこの間の女子高生バンドだよ」
「ふーん……またデモ、唄った方がいい?」
それが問題だ。
「曲次第かな……。なんだ、唄いたいのか?」
以前にはない奏美の反応だ。
「うんと……お仕事のお手伝いできるなら唄いたい……かな?」
「そっか……」
―― うわ、唄わせてあげたい!
「あれ? 駄目?」
これで断ったら罪悪感が半端ない。
「そ、それじゃあ、奏美が唄いたくなるような曲、書かないとな」
妹に弱い兄である。
一方で奏美の積極性に喜びつつ、また一方では奏美の将来への不安があって、複雑な心境だ。
「そういえば、お父さんとお母さん、明日休みだって」
最近、週末を休みにするために、平日の秀一と恵美の帰宅は遅い。付き合わされている社員さん達は、大丈夫なのだろうか。
「また
翌日、地下室は朝から
「奏一、今日
「おい、換えの弦よこせ」
休日に娘と
「カナちゃん、今のうちに軽く食べておくのよー」
「奏一、この野郎、とっとと換えの弦だせ、
恵美は
「お兄ちゃん、アタシなんか食べてくる……あと、よろしく……」
「ま……待て、無理だ、無理。おいっ! 見捨てるな!」
こんな惨状は紗季が来るまで続いた。
いや、奏一にとっては紗季が来てからも続いていたが。
「こんにちはー。今日も全員集合ですね」
「あらー、紗季ちゃん。ただいまでしょ?」
「た……ただいま……です、恵美さん……」
来て早々にハイテンションの洗礼を受けた紗季は、部屋の隅に奏一を手招きした。
「これなに?」
「奏美が最近すごく元気なのが嬉しいってのと、紗季を含む家族全員で何かするのが嬉しい、が合わさった結果」
「回を追うごとに、盛り上がってない?」
紗季の到着と同時に、奏美は我関せずと準備運動を始める。ちゃんとレッスンだと受け止めているようで、真面目な生徒さんなのだ。
奏美にとって、紗季はずっと憧れだった。だから教えてくれる内容に疑問など持たない。全て真っすぐ吸収していく。
紗季の方針も
まず、楽しむこと。楽しいからこそ、苦しいことも笑いながら続けられるのだ。ただ辛いだけでは、唄うことが嫌いになってしまう。
順番に習得していくのではなく、出来るようになったことを広げていくこと。スクールと違って、全ての技術を教える必要はないのだ。それに、出来ることの幅を広げていけば、最終的には一通りの技術は身に付いているはずだ。
この二つの方針によって、毎回毎回、
ただでさえ、声は天性のものだ。楽器としては大当たりだ。しかも、一度目で鳴らすことができてしまった。
今日でレッスンは十回目。
それこそ、基本的なテクニックは、ほぼ出尽くしている。
ここまで来ると、紗季はもうトレーナーでしかない。
「紗季、今日の夜、ちょっと相談あるんだ。親父とお袋も一緒に」
「あ、うん。なに?」
遠回しなプロポーズに聞こえなくもない。
「奏美のこと」
「なんだ、やっぱそっちか。うん、わかった」
そして、地下スタジオには大人の面々が顔を揃えていた。
「で、なんだ相談って? 紗季ちゃんが
「あら、それならこのまま……」
「だぁぁぁ、そうじゃない、そうじゃない。奏美のことだよ」
紗季としては、別にもう
「紗季のレッスン受けるようになってから、大分元気になっただろ」
「ああ、そのことについては、俺たちも紗季ちゃんに感謝してる」
「そうよ。本当にありがとう、紗季ちゃん」
秀一と恵美は、紗季に向かって丁寧に頭を下げた。
「あ、いえ、恵美さん、おじ……おと……秀一さん、アタシも楽しいですし、奏美ちゃんと遊びたかっただけで、その……」
「まあ、それは置いといて、どう思った? 奏美の歌聴いて」
「お
「そうね、紗季ちゃんと唄ってるカナちゃん、プロになれるんじゃないかって、親馬鹿しちゃうわ」
「それが、そう親馬鹿な反応ってわけじゃないんだよ。な? 紗季?」
紗季は「うん」と
「アタシとあの近距離で向き合って、まともに声ぶつけ合えるヴォーカリストなんて、そうそういません。それにあの声。アタシでも
「そんなにかい? 」
秀一は実感がわかないのか、首を傾げる。
「逆親馬鹿だな。奏美の声は凄いよ。それに実際、真下に目を付けられてる」
「真下って、あのプロデューサーだよな? 」
「そう、それで相談なんだよ」
秀一と恵美が顔を見合わせ、やれやれと首を振りながら秀一が口を開く。
「奏美の将来か?」
ずばり、その通りだと奏一は首肯した。
「病気のこともある。人前に引っ張り出されるのは、奏美にとって恐怖でしかないんじゃないかと思うんだ。だけど、あの才能を世に出さないって……」
「おい」
奏一が言い終わらないうちに、秀一が睨むように止めた。
「心配なのはわかる。だが、それを決めるのは奏美であって、お前じゃない」
奏一は、ハッとした顔で固まってしまった。
「俺だって心配だ。だけどな、いつまでも転ばねえように、支えてやるわけにはいかねえんだよ。今、転んでた娘が立ち上がったところなんだ。やるべきは歩きだせるように応援してやることで、また転ばねえように支えることじゃねえ」
「親父の言ってることはわかる。でも……」
「でもも何もねえ。まずは奏美の気持ち確かめてからだろ?」
そう言った秀一は、フッと優しい顔になって、
「その時は俺たちは多分何もできねえから、お前が助けてやってくれ。頼むぜ」
と、頭を下げたのだった。
「もし、奏美が唄いたいっていうなら、唄わせてやってくれ」
奏一は朝から、青山にある真下のオフィスに来ていた。朝とは言っても、十時過ぎである。ミュージシャンの朝一なんて、そんなものだ。
何の用かといえば、レモンサーカスの新曲打合せである。
広いミーティングルームで、二十人ほどの関係者がテーブルを囲んでいた。
そこには真下は勿論、レモンサーカスのメンバー、マネージャー、メイク、衣装、営業など、レモンサーカスのプロジェクトに係わる者たちが、ほぼ一堂に会している。そしてなぜか、奏一の他にも作曲家が数人来ている。
奏一が何故だろうと
「さて、次のシングルなんだけど、十月中旬リリースをターゲットに進めたい。で、ちょっと先の予定も言っちゃうと、十一月にもう一枚シングル出して、年明けにアルバムっていう流れで」
そこで一度言葉を切って、場を見回す。
「
これで、奏一以外にも作曲家が出席している理由がわかった。
アルバムとなれば、候補曲としてかなりの数を用意しなければならない。
年明け、一月か二月の初旬にリリースするとして、残り五か月。年内にレコーディングまで終わらせようとすると、四か月しかない。
レモンサーカスのシングルは詩先(詩に合わせて曲を作る)ことが多いが、今回のアルバムでは、曲先(曲に詩をつける)も視野に入れているのだろう。曲先なら、アルバムテーマに合いそうな曲を、ストックから放出してもいい。
十月のシングルはバタバタだ。今月中に曲を書きあげないと、間に合わない。当然、複数曲を候補として用意することになるわけで。やってくれる。
その後、バレンタイン前後にミニライブ、二月下旬からは全国ツアーを予定しており、季節的なことも含め、ゴシック調なイメージで行くことが決まった。
次は二週間後ということで、全体打合せは終了したが、奏一はこのまま個別打合せである。
「まず、メンバーから貰ってる詞で、今回のイメージに合いそうなやつを渡しとくよ」
真下から受け取ったクリアフォルダーには、数十枚入っている。
「お、かなりありますね。アルバムも含めって感じですか?」
「そうだね。青い付箋が十月、赤い付箋が十一月ね」
「真下さんのお薦めは?」
「
「なるほど。検閲済ってやつですか……メンバーからの希望は?」
顔を見合わせたあと、YUNAが代表して発言する。
「希望というか、お願いなんですけど……」
「あ、それ、僕の希望でもあるよ」
YUNAが言い終わらないうちに、真下が被せるように主張し、「どうぞ」と促して、発言権を戻す。
「あの……出来ればなんですけど……作曲に参加……というか、見学? させて欲しいっていうのと……あと、ギターをコーチして欲しいです」
ギターはスクールでも、貸しスタジオでもいいとして、問題は作曲作業のほうだ。
「うーん……ギターの件は、まあオーケーだけど……作曲のほうは保留させてもらってもいいですか? うちのスタジオ使ってるの、俺だけじゃないんで……」
知らない人間が
「それなら相談してみてよ。僕からの追加希望で、紗季にヴォーカルレッスンをお願いしたい」
「それならスクール経由で指名依頼すればよくないですか?」
「一応、奏一の許可を取ろうかと思ってね。それに、前から二人で事務所作れって言ってるでしょ? その流れでね」
以前から、真下にはそう勧められていた。マネージメントは真下の会社でやるから、独立しろということだ。そうすれば、他の事務所やレコード会社からの仕事も受けやすくなる。
「これを機にってことでも構わないから、それも相談しといて」
「わかりました。他に希望は? 」
奏一はもう一度メンバーに話を振り直した。
すると、ドラムのKARENが手を挙げた。
「ライブでコール アンド レスポンスできるような曲が欲しいです。あれ、やってみたいです」
メンバーが「うん、うん」と頷いている。
ライブでは、
「ん? じゃあ、そういう詩もあるってことかな?」
「いや、僕の記憶ではないかな。その辺のアドバイスも欲しいってことじゃない?」
「そうして貰えると……あの、その辺りも相談に乗って欲しいっていうか……」
これはまさかの展開である。
只でさえ時間がないというのに、詞も書かなければならない可能性がある。
「今から作詞かあ。そっちは紗季のほうが得意だから、ちょっと相談してからかなあ……あっ……」
奏一が失言に気づくが、時すでに遅し。
「紗季さんに詩を書いてもらえるんですかっ!」
YUNAが釣れてしまった。
紗季がメジャーで活動していたのは三年ほどだが、未だその人気は衰えていない。特に女性には根強いファンが多いのだ。YUNAも紗季に憧れている一人だった。
「いや、書くかどうかはわからないよ。僕が書くのに相談してみるという意味だし、真下さんが正式にオファーしてるわけでもないからね」
「そうですよね……」
落ち込むYUNAをフォローするように、真下が口を出した。
「いいよ、正式にオファーしても」
失言からの大波乱である。
「僕は紗季に復帰してもらいたい派だから。どんな形でも、紗季がメジャーに戻って来てくれるなら、大歓迎だよ」
「と……兎も
自爆とはいえ、重たい宿題を抱えて帰る羽目になったのだった。
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