第2話

 デモ完成から一週間後、奏一は赤坂にあるレコーディングスタジオで、ミキサーの前に座っていた。

 譜面が起こされ、スタジオミュージシャンが各パートの録音を行っているところだ。

 現役女子高生バンド、レモンサーカスのシングルではあるものの、まだまだ技術的につたない彼女たちは、レコーディングで演奏させて貰えない。

 テレビの収録でも、カラオケを流して、演奏している振りをさせられる。番組によっては、ベテランでも演奏させて貰えない。

 演奏できるのはライブだけ。

 現実はそんなものだ。

 奏一もスタジオミュージシャンの端くれであるから、いろいろなミュージシャンの代わりに演奏してきた。

 だが、今回は作曲と編曲アレンジだけで、奏一は演奏しない。

 さっきドラム録りが終わって、今ブースで録音しているのはベースだ。

 奏一のデモを元に、更にアレンジしていくのだが、あまり難しいリフ(リフレインの略)にしてしまうと、本人たちが演奏できなくなってしまう。

 録音しないまでも、本人たちも楽器を持ち込んで、スタジオミュージシャンと、ああでもない、こうでもないと言葉を交わしている。

 ドラムとベースは知り合いだったが、まだギターはスタジオ入りしていない。

 そろそろ来るだろう、と考えていたところで、コントロールルームのドアが開いた。

「失礼します。お疲れ様です、先生」

 ギターケースを抱えて入って来たのは、ミュージックスクールで奏一が担当している生徒だった。

「おお、拓海たくみじゃん。どうした? 」

「どうしたじゃないでしょ、先生。呼び出したの先生じゃないっすか」

「おお、そうだった、そうだった」

 一応、お約束のボケをかまして、卓の後ろにあるソファに座らせた。

「先生がくところ見学させてくれるんすか? 」

 奏一は、呼び出した理由を拓海に説明していない。ただ何時頃、ギター担いで赤坂のスタジオに来いと伝えただけだ。

「見学するのは俺。くのはお前」

「は? 」

 怪訝な顔で問い返す拓海に譜面を押し付ける。

「ベース録り終わったら、次お前だから。とっとと覚えろ。デモが聴きたきゃ、そこのiTunesに入ってるから、勝手に聴いとけ」

「マジで言ってんすか? は? 意味わかねぇんすけど……」

「うっせい。安いがギャラも出してやるから、キリキリきやがれ」

 拓海は十七歳にして、既にスタジオミュージシャン手前ぐらいの腕を持っている。奏一の秘蔵っ子といえる逸材だ。

 本人がビジュアル系アイドルバンドでヨシとするならば、今すぐにでもデビューできるだろう。

 このレコーディングに呼び出したのも、その手前くらいが欲しかったからだ。

 奏一が弾いてしまうと、あまりに綺麗にまとまりすぎて、とても女子高生がいているようには聴こえないのだ。

 ご本人様と奏一の中間くらいのレベル。たまたま上手くいったテイクと、言い訳ができるライン。

 それで拓海なのだ。

 いてもらうリフも、難しいものはない。まあご本人様はちょっと大変かも知れないが、拓海なら楽勝である。

 だからこそ、事前準備なしのぶっつけ本番でやらせる。

「おはようございます!」

 ちょっと遅れて、もうひとつ、

「おはようございます!」

と、黄色い声で制服姿の二人が入って来た。

 レモンサーカスのヴォーカル・ギターのYUNAと、ギター・ヴォーカルのMARINAだ。

「おはよう。もうすぐベース終わるけど、どっちのパートから録ろっかね? 」

 いてもらうわけではないが、一応ご本人様たちのご意向を伺う。

「んと、じゃあ私からお願いしてもいいですか? 」

と、頭を下げたのはYUNAだ。

「了解。おい拓海、G1のパートからな。あ、こいつ俺の弟子で、今回かせる拓海、十七歳独身彼女いない歴十七年」

「YUNAです。今日はよろしくお願いします」

「ボクはMARINAだよ。同じ歳なのに凄いね。よろしくお願いします」

 拓海は真っ赤な顔をして固まっている。

「か……可愛い……」

 これは遊んで下さいという振りだな。

「どっちが? 」

「ゆ……って何言わすんすかっ! しかもいらん情報流してるしっ! 」

「そうかそうか、お前の好みはゆ……」

「だぁぁぁぁ」

 今更手遅れだろうに。

 レモンサーカスの二人は、ソファで笑い転げている。

「そっかぁ、ボク振られちゃった。がーん」

「勝った。この勝利を今日のヴォーカル録りに活かそう」

 まあ、場の空気は良いところで落ち着いたようなので、拓海と軽く打合せをする。

「お前の好みは置いといて、ギターはYUNAちゃんとMARINAちゃんのをいてもらうからな。エフェクターもそれぞれのセッティングで行くから、音作りながらやるぞ」

「え、俺のギターじゃダメっすか? 」

「お前の音が欲しいわけじゃないからな。あくまで、お前は二人の代わりにくだけ。ライブでは本人たちがかなきゃなんねぇんだから。ポジションの相談と確認しとけよ」

「そゆことっすか……先生、お手本見せてくださいっす」

 ギターは弦が六本あるので、同じ音が鳴るポジションが何か所か存在する。

 音の響きや、前後のリフへの移りやすさなどを考えてポジションを決めるのだが、ギタリストにはそれぞれの手癖がある。再現性を考えるとすり合わせが必要なのだ。

「お手本は見せてやらんこともないが、どちらにせよ、お前のきやすさじゃなくて、二人のきやすさが最優先だからな」

 YUNA愛用のテレキャスターを受け取って構えると、三人の視線が奏一の左手に集中する。

「この曲のYUNAちゃんパートのポイントは右手。基本パワーコードしか押さえないから、難しくない」

 軽く前奏イントロのリフをいて見せる。

「ストロークは一定のリズム。カッティングの要領で、いたりかなかったり。左手は伸ばす音、切る音を意識して。一弦から三弦は終始使わないから、ミュートしっ放しで余計な音を鳴らさないこと」

 本当に初心者向けのアドバイスだ。続けてコーラス部分に入る。

「唄いながらかなきゃならないのは、サビだけ。サビ前のこっから入って、バッキングだね」

 通しでき終わって、YUNAのテレキャスを拓海に渡す。

 ふと気づけば、MARINAがスマホで撮影している。

 特典映像として付いてくる、曲の解説みたいなノリだな、こりゃ。

「MARINAちゃんのギターも貸してみな」

 リードギターパートを解説している間、拓海とYUNAは早速打合せを始めていた。

 そうこうしている内に、ベース録りが終了したようだ。

 聴く限り、デモからの変更はないように思える。

「ギターパートも今のところ変更なしでいくからな」

 ベースと入れ替わりに、拓海とYUNAを送り出す。

 変更しないならデモのままでいいじゃなかと思うかも知れないが、そうもいかないのが業界のさがというやつである。

 今回は、デモよりも演奏をレベルダウンさせるという鬼畜きちくっぷりだ。

 奏一は拓海に対して、アドバイスらしいアドバイスはしない。プロデューサーがオーケーを出すか出さないかだけで、レコーディングは進行する。

 作曲と編曲アレンジが奏一の仕事の範疇であって、作品として世に送り出すのは、プロデューサーとアーティストの仕事だ。

 両親が営む設計事務所と同じ。クライアントの希望を叶えるだけ。

 レコーディングは順調に進み、夜の八時には終了した。

 ヴォーカル録りも見学したいと、最後まで残っていた拓海を伴ってスタジオを出る。

「飯でも食ってくか」

「ざっす」

 YUNAちゃんが可愛かったと、テンションの下がらない拓海を連れて、赤坂見附まで歩く。

「どうだった? 初めてったメジャーのレコーディングは」

 うーん、とうなった後、拓海はちょっと不思議そうな顔した。

「あんな簡単なリフでいいのかなあ? って思ったっす。YUNAもMARINAも、もう少し難しくてもけるっすよ、多分」

「あのバンド、中高生に人気だろ。お前、好きなバンドの曲はどうする? 」

 間髪入れずに応えが帰ってくる。

「コピーするっす……え? わざわざコピーしやすいように? 」

 その奥にある複雑な戦略を、拓海はまだ知らなくていい。

 彼女たち、レモンサーカスは少女達が届くかも知れない、ある意味身近な夢の形だ。実際、レモンサーカスファンの半分は女子中高生なのだ。

 雲の上ではなく、先を走るあこがれ。部活の先輩のメジャーバージョン。

 コピーされると、校内で自然にメロディやリフが定着する。スモークオンザウォーターという曲を知らなくても、前奏部分イントロのリフはみんな聴いたことがある。

 そういった印象として刷り込むような戦略の一端が、簡単なリフというわけだ。

「確かに単純なリフだけど、だからこそグルーヴを乗せるのが難しいし、技術力や表現力がわかりやすいんだぜ。俺じゃなくて、お前にかせた意味はそこにある」

「難しすぎてよくわかんねっす。肉喰いたいっす」

「おう、焼き肉にすっか」

 スタジオの帰りに立ち寄る定番な焼き肉屋に入り、注文を終えたところで奏一のスマホに着信が入った。

「ん、真下ましたさんかよ。まさかの録り直し発生か? 」

 終わったと思ったら呼び戻されるなんて、よくあることだ。真下は今回のプロデューサーである。

「お疲れです。何かありましたか? 」

『おう、お疲れ。いや、問題はないよ』

「んじゃ、飯のお誘い? 今、焼き肉屋にいますけど」

 肉が届き始めたので、「じゃんじゃん食っとけ」と拓海に合図して電話に戻る。

『それもいいけど、拓海君だっけ? なかなかいいね。将来有望だ。うちでつばつけていいかな? 』

つばも何も、スクールの生徒ですよ」

 奏一が講師をしているスクールの経営者は真下だ。

 常にタレントを探している真下は、生徒全員の音源をチェックしている。

「知ってるでしょうに。ってことは、本題は別ですか」

『あのデモ唄ってるの誰? うちの生徒じゃない? 』

「可愛い声でしょ?どこの 誰かは内緒ですが」

 奏美との約束なので、正体は伏せる。

『あの声いいよ。ちゃんとトレーニングしたら、きっとける。一度連れて来てよ』

「無理ですね。彼女、表に出たがらないタイプなので」

 真下のお眼鏡にかなうとは、我妹の可愛さは本物である。

『うーん、一応伝えておいてよ。何か持ってる声なんだよ。紗季以来かな、こんな感じ』

「わかりました。伝えておきますよ。期待しないで下さいね」

 真下の最後の一言に、不快を感じながら電話を切った。

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