奏~Soh~

謡義太郎

第一章 巣

第1話

 奏美かなみは入学して直ぐに、高校へ行かなくなった。

 怖かったのだ。

 小さな頃から人と話すのが苦手で、黒髪眼鏡っ娘という容姿もあってか、クラスに溶け込めず、学校ではいつも独りだった。

 益々苦手は悪化し、家族を除いて、人と接すること自体が怖くなっていった。

 歩いて通学できた中学校は何とか通い切ったものの、ラッシュの電車で登校することは出来なかった。

 何度か病院にも連れて行かれ、その度に「精神疾患のひとつで……」と長々とした診断をされた。病名や症状の解説など、どうでもよかった。

――私のこれ、病気なんだ……。

 一年間在籍したものの、進級などできるわけもない。両親に申し訳ないと思いながら、高校を辞めた。

 怖いだけで、パニックになるわけでも、震えがくるわけでもない。

 コンビニで買い物くらいはできるし、近くに一人二人いたところで怖くはない。顔を見ず、話さなければいいのだ。

 だから完全に引き籠っているわけではない。

 そうは言っても、街中は流石に怖いので、ほとんど自宅から出ることはないのだが。

 この日も朝から自宅地下にあるスタジオで、兄の奏一そういちが仕事をしている姿を眺めている。

「奏美、上行って何か食いもんゲットしてきて」

 外したヘッドホンから微かにドラムのビートが漏れている。

「いいよ。あ、もうお昼……」

 奏一は、スウェット上下にボサボサ髪という格好で朗らかに応える妹を見て、溜息を吐いた。

「あと、着替えておけよ。紗季さきが来たら絶対怒られるぞ」

「うん……」

 よほど慌てたのだろう。奏美はスリッパをパタパタいわせながら、防音扉の向こうへ消えていった。

 普段ならスタジオで大きな音を無駄にたてることはない。

「最初からちゃんと着替えとけっての、まったく……」

 妹がニートのようになって一年。この度、正式なニートになってしまった。

「はあ、兄弟揃って高校中退か……。先にやらかしたのは俺だから、何も言えないが」

 奏一がバンドのギタリストとしてメジャーデビューしたのは十七歳の時だった。もう学校に用はないとばかりに、デビューと同時に退学した。

 バンドの命は短く、二年後に解散。プロデューサーの伝手で、ミュージックスクールのギター講師で食いつなぎながら、作曲とスタジオミュージシャンを細々とやっている。

 両親の趣味が音楽で本当にラッキーだった。どちらか片親では駄目だっただろう。二人の趣味だったからこそ、自宅の地下にスタジオなんてものがあるのだ。そして、このスタジオがあったからこそ、今の奏一がある。

 講師やレコーディングのない日は、ほとんど妹と二人、この地下スタジオで過ごしている。

 ドンッ、ドンッ

「こら、扉を蹴るんじゃない」

 扉を開けてやると、奏美は両手にカップラーメンを持っていた。

 ボサボサだった髪は、ゴムで乱暴に括られている。服装も黒いワンピースに、グレーのパーカーと、寝間着にしているスウェットより幾分マシな格好になった。

「カップラーメンか……」

「料理する……? 」

「いえ、カップラーメンがいいです」

「ナニソレヒドイ……」

「棒読みじゃねぇか」

 こうやって妹とじゃれているのは楽しい。

――こうしてると普通の可愛い妹なんだけどなあ。

 壁際のソファに並んで腰かけてラーメンを啜る。

「我慢して、紗季さんに作ってもらえばよかった……」

 ボソリと正解を呟く妹。

 紗季は奏一と同じミュージックスクールで、ヴォーカルの講師をしている。奏一の恋人であり、奏美が普通に顔を見て話せる数少ない相手でもある。

 奏美が次に言う台詞は予想できるので、奏一は聞こえない振りをした。

「こんなだから、早く結婚……」

「いや、紗季だって普段は仕事してるんだから、状況は変わらないと思うぞ。そもそも同居前提 ?」

「お兄ちゃんは居なくてもいいよ……。紗季さんはアタシの嫁……」

「な、なんだと……紗季はともかく、奏美にまで捨てられるというのかっ! 」

「アタシはともかくって? 」

 気が付けば、スタジオの入り口に、腕を組んだ紗季が立っていた。

「え? あ、いや違……」

「奏美ちゃんが捨てたら、アタシだって捨てるわよ。ねぇ? 」

 にやりと頷き合う二人。

 紗季は鍵も持っているし、何時だろうと、ただいまとばかりに入ってくる。奏美が認めているということもあって、両親も家族同然と見做しているのだ。

 この分なら本当に同居が実現しそうな雰囲気である。

「で? アタシが唄わなきゃいけない曲は出来てるの? 」

「もちろん。ってか、さっき出来上がった。後は仮歌だけ」

 今日は奏一が依頼されている曲のデモに、紗季が仮歌を入れるのだ。女性が歌う曲の時は、いつもそうしてもらっている。

 紗季は色々あって今は活動していないが、メジャーで唄っていたシンガーである。アルバムも二枚リリースしている。

「じゃ、スピーカーで流して。あと歌詞」

 さあさあ、と奏一を急かして、自分は奏美を抱き枕のようにしてソファに沈む。

 奏一は、DTMソフトとミキサーを操作して、無駄に大きい桜材のスピーカーから出力した。

 歌詞とミネラルウォーターを受け取った紗季は、奏美の頭を撫でながら耳を傾ける。

 今日の紗季は、背中まである茶髪をひっつめに結んで、大きな目が吊り気味になっている。色白で細い首筋に何とも色気があって、ザ・綺麗な人といった感じだ。奏美は小さすぎず、大きすぎない紗季の胸に顔を埋めて、ウットリしていた。

「ねえ、これどんな子が歌うの? 歌詞の内容といい、メロディといい、背伸びしたティーンって感じなんだけど? 」

「正解。レモンサーカスっていう高校生ガールズバンド」

「それをアタシに唄えと……」

 かなり嫌そうな顔をしている。

「仮歌とはいえ、アタシの声でしっかり唄っちゃったら、イメージ変な方に固まっちゃわない? 」

「そうは言っても俺が唄うわけにもいかないし、他にあてもないし……」

 むう、という表情で考え込む奏一と紗季。

 そんな二人を他所に、奏美は歌詞を見ながら口ずさんでいた。

 制作中にさんざん聴いていた曲なので、メロディはすっかり覚えている。初めて見る歌詞に興味津々で、自分が口ずさんでいることにも気付いていなかった。

 そんな様子に気づいたのは奏一と紗季だった。

「あ……」

 二人は目で会話していた。

『これ奏美ちゃんの方がよくない? 』

『いや、言いたいことはわかるけどさ』

『頼みづらいわよね……』

『うん……』

 結局、曲が終わるまでその状態は続き、二人は奏美が口ずさむのを、ずっと聴いていたのだった。

 紗季は奏美を優しく開放して立ち上がると、

「と……とにかく一回唄ってみるわ」

 そう言いながら奏一に目配せをした。

「あ……ああ、了解」

 いくら元シンガーと言っても、流石に一度聴いたくらいでは唄えないだろうと、メロディのシンセサイザーは残したまま、録音の準備をする。

 何テイクか録るうちに決まって来るだろう。

「メロディ、もう要らないわよ。奏美ちゃんの歌で覚えたから」

 訂正。覚えていた……。

「了解。まあ節回しとか調整しながらだから、発声練習ついでに軽くね」

 奏一が応える間に、とっととミキサーの奥に移動した紗季は、マイクの位置を調整しながら発声練習をしている。

「あぁぁぁぁるろぁぁぁぁぁぁ……おぉぉぉおおおおおぉぉはっはっはっ……レベルは? 」

「こっちは準備いいよ。いつでもどうぞ」

 ヘッドホンを左耳にだけ当てた紗季が右手を上げると、録音を開始した。

 きちんとしたスタジオと違って、ブースが仕切られているわけではないので、ヘッドホンにしか伴奏は聴こえない。

 奏一もヘッドホンで聴いているので、部屋には紗季の歌声だけが響いている。

 力強く、ハスキーなのに透明で艶やかな声。いきなり全開に近いテンションで唄っている。

 確かに十代の女の子が出せる声ではないし、歌詞ともマッチしていない。

 でも良い。この歌声が聴けるなら、曲なんてなんでもいい。ビートが利いたロック調の曲調だというのに、聴き惚れてしまう。

 奏美は目をつぶってクッションを抱きながら陶酔している。

 間奏にはフェイクまで入る。

――やり過ぎだろ。唄うの高校生だぞ……。

 一発目から完成度が高過ぎる。そう思う一方で、曲の終わりが近づくにつれ、

――まだ聴いていたい。終わらないで……。

 奏美も奏一も同じことを感じていた。

 紗季はご丁寧にも、最後もフェイクで締める。歌声が途切れたスタジオに二つの溜息が漏れた。

「紗季……、次はもうちょい可愛くな。R&Bシンガーじゃなくて高校生ガールズバンドな? 」

「これ以上可愛くなんてできないわよ。今のだって半分も声出してないのよ」

「マジかっ! ま……まあ、今の聴きながら考えるか」

 最悪、エフェクトで加工するしかないかと思いながら、スピーカーから再生する。

 メトロノームのカウントの後、激しいけど単純なパワーコードの前奏が始まる。そこへ、ドンっとヴォーカルの音圧が乗った。

 楽器と合わさると、先ほどのアカペラ状態とはまた印象が変わる。

「大御所ロックバンドが、若手の可愛い曲をカヴァーしてる感じだな」

 若干顔を引きつらせながら奏一が感想を口にすれば、

「でも、カッコイイ……」

と、奏美が呟く。

「悪かったわねぇ、年増でっ。大体、アタシに可愛さを求めるそうちゃんが間違ってる」

 ほど良い胸を張って紗季が宣うと、思わず目がいった奏一の鼻の下が伸びる。

 白いティーシャツと細身のデニムが、紗季のスラリとしたシルエットを余計意識させるのだ。

「可愛さなら奏美ちゃんに求めなさい。ねぇ? 」

 そういう作戦か。ソファの定位置に戻った紗季が、奏美の顔を抱えながら、奏一に目配せをする。

「いや、確かに奏美は可愛いけど……」

「このシスコンがっ」

「冤罪だぁっ! 」

「有罪っ! アタシにも可愛いって言えっ! 」

「そりゃ可愛いけど……もごもご」

「妹の前でまともにデレんなっ! 」

 奏美は頭上でイチャイチャと飛び交う会話を、ニコニコしながら聞いていた。うちの嫁(仮)はなんて可愛い人なんだろう、と。

「じゃあさ、奏美ちゃん、一緒に唄おっ♪ 」

「えっ? 」

 思わぬ振りが飛んできて、奏美はキョトンとしている。

「メロディは覚えてたみたいだし、今ので節回しも何となくわかったでしょ? 」

「え、無理だよ……。紗季さんみたいに歌えないよ……」

「プッ、そりゃそうよ。いきなりアタシみたいに唄われたら、アタシの立場がないわよ」

 吹き出したあとに、優しく頭を撫でる。

「奏美ちゃんは上手に唄おうなんて考えなくいいの。プロじゃないんだから。アタシと一緒に楽しく唄いましょ? 奏美ちゃんの声を参考にして、可愛い唄い方考えるから」

 奏美は少し考えたあと、コックリと頷いた。

「歌うのは好き……。一緒に歌う」

「どうせ何テイクも録るんだから、ちょっと遊んじゃおう」

「うんっ! 」

 あっという間に乗せられた奏美は、やる気十分な足取りでマイクに向かった。

――――。

 午後一から始めた仮歌録りが終わったのは、夕方五時を回ったころだった。何だかんだと、四時間以上歌い続けていた二人はヘロヘロである。

 うっすら汗をかいた紗季が、満足そうにツヤツヤしているのは謎だが。

 奏美の歌声は可愛かった。音も取れていたし、曲のイメージにも近い。まあ、贅沢を言えば、もう少しパワーが欲しいところだが、デモなので問題ないだろう。

「奏美の歌、デモに使っていいかな?」

 折角来てくれた紗季には申し訳ないが、奏美に唄わせたのも紗季だ。

 そう思う奏一が紗季のほうを見れば、うんうん、と頷いている。びっくりした顔をしているのは奏美だけだ。

「なんで? お仕事のやつでしょ? 」

「アタシも奏ちゃんに賛成。奏美ちゃんの声、可愛いんだもん。アタシの声だと、唄う子がビビっちゃうと思うわ」

 奏美が眉間に皺を寄せながら首を傾げると、奏一が鼻血を我慢しながら悶えた。やはり有罪か。

「ん? どんな子が歌うの? 」

「奏美と同い年の女の子だよ。現役女子高生」

 そういえば、歌詞に “恋する乙女”とか、“制服に隠してる”とか、確かに女子高生っぽいなぁと、奏美は思う。

 そんな歌詞を唄っても、大人の色気ムンムンに聴こえる紗季さんは凄い。

そうか、大人の色気が駄目なのか。それなら仕方ない。

「アタシだって言わないならいいよ。絶対バラさないでね」

 謎のサムズアップを交わす奏一と紗季。奏美は、そんな二人を、ちょっとだけジト目で睨んでから溜息を吐いた。

「アタシ、ニートだから。お兄ちゃんの役にたったのなら、まあ良いよ」

「ありがとう。じゃあ奏美の気が変わらないうちに、データ作っちゃうかな」

 奏一はパソコンに向かう。

 紗季は嬉しそうに奏美の肩に手を廻して、

「ねぇ、奏美ちゃん。アタシのヴォーカルレッスン受けてみない? 」

と、唐突に提案したのだった。




LOVE DIVE


作詞:MARINA/作曲・編曲:斉藤奏一


恋する乙女は溺れる覚悟で飛び込むの

男の子にはわからないでしょ?

胸騒ぎがしたら もうカウントダウン

さあ、3・2・1でダイブ


いつだって甘い恋をしていたいわ

全てを受け入れる無償の愛なんてわからないし

リスキーで刺激的な恋がいいわ

キミだってそうでしょ?

胸騒ぎがしたら もうカウントダウン

さあ、3・2・1でダイブ


※私、追いかけたいの

ねえ遊んでよ 私で

制服の中に隠してる

私の魔法 見せてあげる


唇はいつもストロベリーフィールド

甘酸っぱい食べごろのキスはいかが?

リスキーで刺激的な恋がいいわ

キミだってそうでしょ?

胸騒ぎがしたら もうカウントダウン

さあ、3・2・1でダイブ


※繰り返し

子猫の振りで踊るから

ねえ遊んでよ 私で

制服の中に隠してる

私の魔法 見せてあげる


恋する乙女は溺れる覚悟で飛び込むの

女の子にしかわからないのよ

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