1話「土曜日に始まる」②


     2



 ドアが開く音が聞こえて、浅井ケイは店内の時計を確認した。九時五五分。きっちり約束の時間の五分前だった。

 ケイは立ち上がり、入口に向き直る。隣で春埼も席を立つ。ドアを押し開けて店内に入ってきたのは、赤い眼鏡をかけた少女だった。

 彼女は真剣な表情で店内を見回してから、こちらに歩み寄る。


村瀬むらせさんですか?」


 尋ねると、彼女は少しだけまゆをひそめて頷いた。警戒しているのか、緊張しているのかわからないけれど、表情が硬い。ケイは意識して柔らかく微笑む。


「初めまして、浅井ケイです。彼女は、春埼美空」


 それにあわせて、少女――村瀬陽香ようかも笑おうとしたようだった。やはり表情は硬いけれど、少しだけ頬が持ち上がる。一方でレンズの奥の眼差まなざしはにらみつけるように強い。ケイはその視線の意味について、つい考え込みそうになったけれど、あまり第一印象を強く持つのもよくないだろう。微笑むことに集中する。

 彼女は意図的に抑えつけたような声で言った。


「村瀬陽香です。津島さんから紹介を受けてきました」


 津島信太郎は、ケイの通う学校――芦原橋あしはらばし高校の教師だ。そして同時に、管理局の局員でもある。この街の学校には彼のような教師が必ずひとりはいる。保健室に専門の資格を持った先生がいるように。学校でも能力に関する問題は起こり得るのだから、備えないわけにはいかない。

 ケイと春埼も津島に指示されて、村瀬に会いにきた。でも彼女のことは、名前と年齢くらいしか聞いていない。たしかケイたちよりもひとつ年上。だから高校生だろうと思うけれど、どの学校に通っているのかも知らない。

 村瀬は口早につぶやいた。


「ごめんなさい、こういうのは慣れてなくって」


 ケイは笑って答える。


「実は、僕たちもなんです」


 津島以外の人から依頼の内容を聞くことは、あまりない。

 とりあえず座りましょう、とケイは言った。なんとなく座ったまま挨拶あいさつするのも態度が悪いかと思って立ち上がってみたけれど、席に戻るタイミングがわからなくて困っていたのだ。

 店員が注文を取りにきて、村瀬は「コーヒー」とだけ告げた。ついでにケイは、アイスクリームを注文する。

 店員が立ち去ってから、村瀬は小さな声で言った。


「浅井さんは、高校生ですよね?」


「ええ。一年生です」


「どうして管理局の仕事を手伝っているんですか?」


 尋ねられ、ケイは曖昧あいまいに笑った。


「そういうクラブに入っているからです」


「奉仕クラブ」


「はい」


 芦原橋高校奉仕クラブ。奉仕クラブと呼ばれる部活動は、咲良田内のすべての学校にある。そして管理局員を兼ねる教師が顧問につく。

 管理局は特殊な能力の持ち主を監視する。いや、特殊ではない能力なんてありはしないけれど、中でも特別に危険だとみなされた能力は管理局から強い監視を受ける。

 奉仕クラブに入るのは、その監視を少しだけ和らげる方法のひとつだった。管理局は顧問の教師を通じて部員の能力に応じた仕事を与え、その経過について詳細な報告を求める。部員たちはテンプレートに従った報告書を提出することで、通常管理される上で必要な手順のいくつかを省き、ある程度の自由を得る。


「あんまり、気持ちのいい名前ではありませんね」


 と村瀬は言った。


「名前?」


「ほら、奉仕クラブって」


「そうですか? 僕は好きです」


 ケイがそう答えて、会話が途切れる。彼女は次の言葉を探しているようだった。ケイは少し時間をおいてから、尋ねた。


「事情を説明していただけますか? 僕たちはなにをすればいいんでしょう?」


「なにも連絡がいってないの?」


 小さいが不機嫌だとわかる、強い声だ。彼女は「連絡がいっていないんですか?」と言い直す。敬語でしゃべることにあまり慣れていないのだろう。

 依頼内容は、ごく簡単に説明を受けている。


「迷子になった猫の捜索、とうかがっています。でも、それならもっと適任がいるはずですよ」


貴方あなたたちは、捜し物のエキスパートだと聞きました」


 つい最近失くしたものであれば、そうかもしれない。


「猫がいなくなったのはいつですか?」


「一週間ほど前です」


 それでは遅すぎる。いなくなったのが三日前の正午以降なら、なんの問題もなかったのに。

 村瀬は軽くまぶたを落として、暗い表情で続ける。


「でもその猫を捜しているわけじゃないんです。猫は昨日の朝にみつかりました。近所の道端で、私がみつけました」


「なら、僕たちはなにをすればいいんでしょう?」


「私がみつけたとき、その猫は冷たくなっていました」


 嫌いな表現だ。――冷たくなっていた。


「交通事故ですか?」


「はい」


 おおよそ、依頼の内容がわかった。どうして津島がそれを「猫の捜索」と表現したのかも理解する。

 村瀬に視線を戻すと、彼女もまた、こちらをみていた。相変わらずの睨みつけるような目だ。そのひとみが、席についてから少しも変わっていないことに気づく。表情は感情的に変化するけれど、彼女の目だけはじっと、まっすぐに前をみている。うつむくことも見上げることもない、虹をみつけられない目だ。

 強い口調で、村瀬は言った。


「依頼の内容は、死んだ猫を生き返らせることです」


 とても難しい依頼だ。ケイが知る限り、死者を生き返らせる能力は、咲良田には存在しない。人間であれ、猫であれ。とはいえ、確かにこれは、ケイと春埼に向いた依頼でもあった。


「わかりました」


「できるんですか?」


「いいえ。でも、死ななかったことにならできます」


「本当に?」


 村瀬は笑わなかった。安堵あんどの表情もみせなかった。ただ、やっぱり切実な目つきで、挑むようにこちらを睨んでいた。

 彼女の質問には答えずに、ケイは尋ねる。


「どうして貴女あなたは、その猫を助けたいんですか?」


「飼っていた猫を取り戻したいだけです。いけませんか?」


「いえ。もちろん充分です」


 初めから、津島を通している依頼を拒否するつもりはない。

 隣の春埼に視線を向ける。彼女は村瀬の話になんの興味も持っていない様子で、携帯電話についた黒猫のキーホルダーをいじっていた。いつものことだ。こういったやり取りはすべてケイが担当している。

 ついため息をつきそうになるけれど、それは呑み込む。また村瀬に向き直り、意識して真剣な表情を作った。


「貴女はその猫のために、世界を三日間殺す覚悟がありますか?」


 この質問に意味はない。ケイの自己満足でしかない。どうせ彼女は、すぐにこんな会話なんて忘れてしまう。

 村瀬は眉をひそめる。


「どういう意味ですか?」


「貴女の猫のために、今日と昨日と一昨日おとといが、なかったことになるかもしれない。世界中すべての人に、もう一度三日前からやり直させる覚悟がありますか?」


 村瀬はしばらく考え込んでいる様子だった。そのあいだに店員がコーヒーとアイスクリームを運んできた。

 その店員が歩み去るのを待ってから、村瀬は短く答える。


「あります」


 ケイは一口、アイスを食べる。


「では、その猫について教えてください」


 猫は元々野良だったという。半年ほど前に、村瀬陽香が拾った。当時は子猫だったけれど、すぐに大きくなった。雑種でオス。名前はミケ。

 村瀬は携帯でその猫の写真を撮っていた。メールアドレスを交換して、送信してもらう。汚れたような灰色の毛と曲がったしっぽの、青い目をした猫が、電柱の陰で餌を食べている。あまり人懐っこい様子はないが、それもまた魅力的な猫だった。彼は昨日の朝、近所の商店街で車にひかれて死んだ。村瀬がその遺体をみつけたのは、九時一五分ごろ。パン屋の前だった。

 ひと通り説明を済ませてしまうと、彼女は「よろしくお願いします」と頭を下げて席を立った。あとには一度も口をつけられなかったホットコーヒーだけが残された。


「どうするんですか?」


 と春埼がこちらを見上げる。

 ケイはずいぶん柔らかくなったアイスクリームをすくいながら答える。


「もちろん、猫を助けるよ。正式な依頼だし、僕だって猫は好きだ。断る理由はひとつもない」


 上手うまくいけば猫が生き返り、あのまっすぐな目をした少女も喜ぶだろう。芦原橋高校奉仕クラブの実績だって上がるし、もしかしたら部費も増えるかもしれない。奉仕クラブにおける部費は、言ってみればアルバイト料のようなものだ。領収書を切ることさえ忘れなければ、ある程度は自由に使うことができる。

 春埼は音をたててアイスコーヒーを飲み切って、それから言った。


「でもこの依頼、なんだかおかしくないですか?」


「どこが変だと思う?」


「まず依頼の目的。その猫が能力のせいで死んだわけじゃなければ、たぶん管理局は関わりませんよね?」


「その通りだね」


 管理局が動くのは、能力によって問題が起こった場合に限られる。その他の問題にまでいちいち手を出していては、収拾がつかなくなってしまう。


「それに、事故から依頼までが速すぎます」


「うん。僕もそう思う」


 津島から村瀬に会うよう指示を受けたのは、昨日の昼休みだった。話によると、事故に遭った猫をみつけたのが昨日の朝。ほんの数時間で管理局に連絡を取り、管理局が許可を出して、津島に指示がいったことになる。ちょっと不自然に速い。


「それで、どうするんですか?」


 と、春埼はもう一度尋ねた。


「もちろん猫を助ける」


 と、ケイはもう一度答えた。正式な依頼だし――とは続けない。もしかしたらこれは正式な依頼ではないのかもしれない。そもそも村瀬は管理局なんかに連絡せずに、津島に相談したのかもしれない。彼女が芦原橋高校の生徒だったなら、津島と面識があってもおかしくない。ケイだって全校生徒の名前をすべて把握しているわけではない。

 もし津島がプライベートで受けた依頼だったなら、春埼が指摘した部分の違和感はなくなる。そもそも管理局は関わっていないし、時間だって妥当なところだ。

 本心では、他にもいくつか、気になることはある。とはいえ世の中、初めからなにもかもがすっきりわかっているものでもないだろう。それにケイは「猫を助けて欲しい」という依頼が気に入っていた。とても良い。

 春埼は軽く頷いた。感情を感じさせない動作だった。それから、言った。


「じゃあ今夜、お祭りにいきましょう」


 唐突に話題を変えるのは以前のケイの癖で、今は春埼に受け継がれている。


「お祭り?」


 そういえばそんな時期だ。七月の半ばにお祭りがあって、それから夏休みが始まる。咲良田の夏はそういう風に進んでいく。


「いいよ。今夜なら、大丈夫だと思う」


 今回の依頼に関しては、もう片がついているはずだ。なんといっても問題は、昨日死んだ猫なのだから。

 春埼は無邪気な笑顔を浮かべる。


「それなら手早く猫を助けましょう」


「うん。まずは情報を集めよう」


 タイムリミットは昨日の朝。少なくとも九時一五分には、猫は事故に遭っている。その時間は、ケイの体感では二日後に来るはずだった。それまでに猫をみつけだしてしまいたい。

 春埼が首を傾げる。


「情報なら索引さん?」


「いや、今回は非通知くんかな。索引さんを頼ると、必要以上に話が大ごとになっちゃうかもしれない」


 アイスクリームの最後の一欠片かけらを口に含んで、ケイは席を立った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る