第11話 手紙

 その日、ユウくんに会っていこうと思っていたのだけれど、なぜかどこを探しても彼は見あたらなかった。仕方がなく、受付の看護師さんに、どうやったら連絡を取れるか、と尋ねると、手紙なら取り次ぐことが出来る、と言われた。電話もメールもダメらしい。わたしは宛先を教えてもらって、そのまま大人しく親と一緒に家へ帰った。


 帰ってから、わたしは数日をかけて、ユウくんに長い長い手紙を書いた。直接は言えなかったこと、訊きたかったことは数え切れないほどあって、いくら書いても、手が止まることはなかった。


 わたしは納得いくまで何度も何度も書き直し、その度に自分の優柔不断さや、ぼんやりした性格にうんざりした。けれど諦めることなく、最後には書き上げて、それの入った封筒をポストに入れた。郵便を出すなんて、幼稚園の頃、友だちだと思っていた子に年賀状を出したとき以来の気がした。


 それからまた、二週間ほどが過ぎた。弟も退院し、家は弟中心に回り出す。時間が経つにつれ、わたしはますます隅へと追いやられていき、居場所はなくなっていく。そして、それでも何となく平気な顔をして過ごせるようになった頃になって、ようやくユウくんから、長い返事が届いた。まさか返ってくるなんて期待していなかったので、正直驚いた。


 丁寧な彼の文字と文章を、わたしはゆっくりと眺めた。


早河はやかわゆか様

 寒い日が続きますが、いかがお過ごしですか。もとゆうです。先日はお手紙、ありがとうございました。返事を考えているうち、すっかり時間が経ってしまいました。遅くなってすいません。


 こうの性格のこと、気になったことと思います。結論から言えば、確かにそういうことはあるらしい、と聞きます。翼がなくなることで、確実にその子の「何か」が変わってしまいます。性格、行動、考え方、呼び名は様々ですが、手術の前後で、その子の目に見えない「何か」が変化するのは、間違いないです。


 ただそれは、医学的には何も証明されていません。今後もされることはないし、むしろ不可能でしょう。あんな大手術を受ければ物事の捉え方が変わるのは当然だ、と言えばそれまでですし、誰もその変化が、翼の喪失に原因があると断定することは出来ません。


 施設の連中にも、そうやって変わり果てていった奴が何人もいます。もっとも本人は、何も変わっていない、とはっきり言います。彼らの親や担当の医師も、そんなことはあり得ない、と口をそろえます。でも端から見て、明らかに違っているのです。人間として薄っぺらになっているというか、何か大切な、心のパーツが抜け落ちてしまっているというか。そういう印象を受けます。そして、何より嫌なのが、そういう性格の方が、世間的には『好ましい人間』であるかのように受け入れられることが多い、ということなのです。


 これは長期治療の患者であっても、実は変わりありません。長期治療でも最終的には翼が脱落するのですが、その結果、患者はひどく虚無的な性格になることが多いです。その落差は、手術で取ったときとは比較になりません。中には、廃人のようになることすらあります。あまりに変化が露骨な場合は、また改めて別の治療が施される場合もあるらしいです。しかし、何しろ長期治療で家族の元からも長らく離されているので、少々変化があったところで家に戻る頃には誰も気づかない、というのが実情です。


 それから、僕のことを気遣ってくれてありがとうございました。今はまだ最終段階には至っていませんが、恐らく僕も、近いうちにそうなるでしょう。そしてなったら最後、こうして手紙を書くことも出来ません。数ヶ月に渡って専用の病棟に入れられて、外へ出ることもままならなくなります。


 最終段階が近付くと、患者は次第に空への憧れの気持ちが胸に湧き上がってきます。前も話しましたが、僕もたまにそんなことを考えるときがあります。翼というのは腕や足のようなもので、動かしていないと筋肉が強張ってくるように感じられて、そわそわするのです。なまった身体を伸ばして、力一杯使いたくなります。でも、もしそんなことをしたら看護師や医師たちが僕の元に押し寄せてきて、取り押さえられるに決まっているので、いつも少し震わせる程度で我慢しているのです。これが本当に最終段階になったら、我慢が出来なくなって思い切り翼を大きく開いてしまいます。そうしたら最後です。



 さて、お手紙にもあったまことのことですが、あの日はまだ迷いがあって話せなかったことについて、ここで書いておこうと思います。僕自身もあの日以来、色々なことを考えてきましたが、それはおおむね、お手紙の中でゆかさんが想像していたとおりのことです。恐らく誠の件は、故意の事故、もっと正直に言えば、殺人に近いことだったのだろうと思っています。


 翼人症候群の患者は、差別は実際少なくなりましたが、それでも疎まれる存在であることに変わりはありません。ある意味そういう『鬱陶しさ』は、僕らが美しい存在だと見られるようになってからの方が、大きくなったかも知れないです。本来なら翼が生えている『異常な』人間なのに、今では逆に、翼が生えているというただそれだけの理由で、善い者扱いされ、疎んじてはいけないことになったのですから。患者の存在を不愉快に思っている人たちにとっては、余計接しづらく、面倒に感じられるでしょう。


 そしてそれは、僕らのような長期治療の患者の家族にしてみると、更に深刻なのです。孝太の入院の時に聞いたと思いますが、長期治療には多大な金額が必要になります。誠も、もちろん僕の家族も、その額を日々施設に支払っているわけです。先日ははっきり言いませんでしたが、僕ら長期治療の患者たちは、基本的に金持ちの家の子どもです。あえて手術を避けるのは、大体どの家も手術に伴う危険を考慮したり、西洋式の医学に不信感を持っていたりするためです。また、患者本人が怖がるということもあります。


 ですが一方で、そうした家では体面や体裁というものが、非常に重要になってきます。親戚づきあいなり取引先との関係なりの事情で、家の中で面倒事が少しあるだけでも疎まれるのが普通なのです。子どもを放り出したり勘当したりするわけにもいかず、長男の人生設計について、親戚一同で集まって相談するような家は実際にあります。うちもそうでした。僕の処遇をどうするかでずいぶん話し合った結果、ここに放り込むことになったらしいです。理由は知らないし、興味もありません。


 ただ、そうして話し合い、対立の結果決まったということは、当然僕らがこの施設に入っているのに反対の人がどこかにいる、ということでもあります。本当に冗談みたいな話ですが、長期治療の患者で集まったところ、誰も彼もが自分の入院を喜んでいない親族の名前を挙げることが出来たのです。それは、誠もでした。従って、僕ら全員が何らかの事情で、誰かに処分される可能性があることになります。僕は、そうした連中の誰かが手を廻して、誠を飛び立たせたのではないか、と疑っています。


 例の『天使の家』事件のせいで、ある世代の人たちには「翼人症候群の患者は外へ放つと空へ飛び立って死ぬ」という印象が色濃く残っていると思います。彼らが、施設の関係者の誰かに話を付けたのでしょう。扉を開けておけば後は勝手に出ていくのですから、大した手間ではありません。


 前にも言ったとおり、これは証明することなど出来ません。犯人が誰なのか、なぜこんなことをしたのか、そんなことを突き止めようという気も、僕にはありません。詰まるところ、全て自己満足でしかないのです。


 それでもこうして手紙にしておこうと思ったのは、このことを誰かに知っておいてもらいたかったからでした。誰も知らないままでなく、誰かが憶えていてさえくれれば、誠も少しは救われるのではないかと思います。



 僕はもうすぐ、最終段階に入ります。最終段階に入った後は、コミュニケーションを取ることもままなりません。そればかりでなく、翼が取れて退院することになっても、今のままの僕でいられるかどうか分からないのです。もしかするとまるきり違った、何の中味もない人間になってしまうかも知れません。


 こんな機会はもうないと思うので正直に書いてしまいますが、僕はいつも、翼人症候群の患者としての自分を考える度、恐ろしくて仕方ありませんでした。普通に最終段階をくぐり抜けても、それまでの期間に何か異常を来してしまっても、あるいは万が一、誠と同じように飛び立つことになってしまったとしても、幸福や安心を得られる可能性というのは、長期治療にはほぼないのです。孝太のような変化がよいことなのかどうかはともかくとしても、手術による短期治療には、まだその先に望みがあります。けれど、僕らのようにひとたび長期治療へ足を踏み入れてしまえば、先には泥沼か、崖ぐらいしか残っていません。


 ゆかさんにこんな愚痴を送ってしまうのは、おかしなことだと自分でも思います。ごめんなさい。でも、書かずにはいられませんでした。



 最後になりますが、二週間あまりの孝太との付き合い、楽しかったです。よい弟さんだと思います。僕には兄弟がいないので、少しの間でも彼と話すことが出来て、幸せでした。彼は言うなと言っていましたが、翼を失う前にも、彼はゆかさんのことを真剣に心配し、僕に相談していました。僕などよりよほどちゃんとした、信頼のおける子だと思います。大切にしてやってください。彼を信じてあげてください。そしてよければ、翼を失う前に、彼自身がどんな人間だったかを、思い出させてやってください。


 長文失礼しました。末筆になりますが、ご多幸をお祈りします。

 ありがとうございました。さようなら。

矢本悠」



 男の子とは思えないくらい、整った綺麗な文字と言葉が並んでいた。少し右に傾いたその字の群は、自然と彼のことを思い起こさせた。


 わたしは厚い便せんの束を丁寧に畳むと、封筒へ大切に戻す。そしてそれを封筒を引き出しに収めると、席を立ち、ベッドに寝そべった。施設に電話しようかとも思ったけれど、そういえばそもそも、電話は受け付けていないと言われている。


 こうなったら、仕方ないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る