第10話 喪

 婚姻の儀は、なし崩しで中止になった。当然だ。村全体が喪に入るし、私自身はもっと厳しい喪に服さねばならない。


 それに、冠が問題だった。すでに作られてしまった以上、私の婚姻では叔父さんのあの冠を使わなければならない。代用品を作れる叔父さんより親しい近親がいないのだから致し方ない。けれど、かといってあの冠を使うわけにもいかないのだ。あんな悲惨な遺体と共に置かれていた冠には、死穢しえがまとわりついている。そんなものを婚姻の儀に用いるわけにはいかない。つまり、板挟みの状態になってしまったのだ。婚姻の儀を進めるわけにも、やり直すわけにもいかない。


 それを聞かされたとき、イリイロは顔を真っ赤にして癇癪を起こした。

「そんな馬鹿な話はないだろう! それじゃあいつまで経っても、オブラは嫁に来れないじゃないか!」

「そういうことになるね」


 うちにやって来て地団駄を踏んでいるイリイロに、婆さまは落ち着き払って答えた。


「どうしようもないよ。そういう決まり事なんだから。生きてるもんにはどうすることも出来ない」

「そんな話、納得できるか!」


 激昂して机に拳を叩き付けたイリイロは、きっと私を睨み付けると、いきなり腕を掴んで、連れ去ろうとしてきた。私は振り払い、眉を顰める。


「……何をするのだ」

「何をするんだじゃない。うちに来るんだよ! お前はもう、俺の嫁だ。そっちが決まり事だ。何が冠の事情だ。そんなもの、どうだっていい! 下らない。俺はもう、お前をもらうと決めたんだ。お前も頷いたろう」

「頷いた憶えはない」

「いいや頷いた。はっきり頷いた。憶えてる。別に構わないと言って頷いたはずだ。今さら文句は言わせない。来い! 絶対逃がさない!」


 目を血走らせて真剣にそんなことを言うイリイロとは対照的に、その頃私はすでに、すっかり冷め切っていた。もしかしたら、このまま勢いで連れ去られていったら、何となしで本当に嫁になっていたかも知れない。


 しかし、そうはならなかった。


「恥を知れ、イリイロ!」

 地鳴りのような声を上げて、イリイロの親父がうちに乗り込んできた。


 私たちの様相を見るなり、息子の返事すら待たず、親父は拳をまっすぐ息子の脳天へと振り下ろす。木がへし折れるような音が鳴り、イリイロは私の手を放すと、そのままその場に昏倒した。白目を剥いていた。


 結局、そんな流れで私の婚姻はなかったことになった。



 そればかりか、他の嫁入りの話すら来なくなってしまった。元々イリイロの話が押し通される前までは、それなりに村の男連中から話しかけられたりもしていたというのに、叔父さんの死以来、めっきりなくなってしまった。おかげで男と仲良くなるきっかけもなく、婚姻など叶いそうもない。



 そしてもう、それから六年ばかりが過ぎている。私は二十歳になった。完全に行き遅れだ。周りに同い年でも年上でも、独り身でいる者など一人もいない。子をなして育てている女がほとんどだ。


 そんな中、私は一人だけ、相も変わらず母の家に住み続け、家の手伝いをしたり、村の仕事をしたりして生きている。婆さまは三年前に死んだ。幸い、すでに周囲の男たちも私を女として扱わず、仕事を手伝う一人前の人間として見なしてくれる。おかげで働きやすかった。


 イリイロも当然嫁をもらい、子を作り、立派に男として村の仕事をこなしている。あの頃の愚かさはどこへ行ったのか、今や謙虚に人の話を聴きながらも、筋の通った働きぶりを見せている。たまに顔を合わせると、挨拶をしてくる。村長や大人の男からの評価も高かった。ひょっとしたら将来、村長になるかも知れない。しかし周りからそう言われても、イリイロは一向に驕ることなく、日々を淡々と過ごしている様子だった。私はそんな彼を、家の窓からつまらなく眺めている。


 私はといえば、婆さまから伝えられた昔話を幼い子たちに語ってやったり、オンディラ叔父が小屋に残した道具なんかを整理することを、日々の楽しみにしていた。この二つの仕事は、ずいぶん楽しんで出来た。特に、オンディラ叔父は小屋に様々な書き付けを残していた。それは絵だったり記号だったりもしたが、不思議なものでじいっと眺めていると、少しずつ、にじみ出るように意味が分かってくる代物だった。


 私はそれを毎日見つめ、時たま内容を解した気になったときは、生きている炎を見つけ出してきて試してみるのが常だった。書き付けの中味は、八割方が炎に関すること、つまり炎の生き様や炎の操り方についてだったのだ。それも多くは、これまで誰からも聞いたことのない、意外な事実ばかりだった。


 初めは読み違えや、失敗ばかりだった。人の家を焼きかけたり、逆に自分の衣服を焼きかけたりすることも、珍しくなかった。けれど、一つ一つを実地でやってみると、何かと便利なことが多かった。感心し、最初のうちは私も、村のみんなにその叔父さんの遺したすべを教えていた。


 けれど、段々と「どうしてそこまでやってやらなければならないんだ?」という疑問が私の内で大きくなっていった。叔父さんだったら、こうした発見を大勢に向けて語ろうとするだろうか。オンディラ叔父なら、自分の考えたことは自分の持ち物なのだから、他人に話すなどもってのほかだ、ぐらいのことは言いそうである。私も元々多弁な方ではないし、今となっては、村にあまり親しい友人もいない。そこであえてあれこれ教えてやるのも、面白くなかった。


 仕事場から家へ戻ると叔父さんの残した言葉を読み取り、炎を操り、毎日が過ぎていく。そうしていると次第に、一日が長くなっていく気がした。周りの同い年の者たちは歳をとるごとに時間が短く感じられるというけれど、私は逆だった。炎と共に生き、炎を見つめていると、時間は緩やかに流れた。


 炎は私の目の前で飛び上がり、伸び上がり、あるいは横に拡がり、転がり、滑稽に戯れ、しきりに戯けてみせ、時には膨れあがったり縮んだりしてみせた。私は彼らの素振りを熱心に眺め、たまに笑った。叔父さんの書き残した文言は、いちいち正確で、私は徐々に叔父さんがどんな眼で炎を見ていたか、そして、世界を見ていたかを理解していった。



「炎は炎だけで動いているのではないということだ……オブラには今、炎しか見えんだろう? でも炎は炎だけではないのだよ。炎には向かう先がある。俺はそれを知っているに過ぎん。行く先を知っていれば操るのが用意なのは、人間と同じだ。だろう?」



 きっと、そうなのだろう。

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