第7話 雨と炎

 婆さまの言ったとおり、夜半には大雨になった。真っ暗な時刻、私は降り募る雨音で目を覚ました。


 昼見た光景が嘘であったように、家の外にはごうごうと雨が注いでいた。もう、叔父さんの小屋から戻って一週になる。雨脚がもう少し弱まったら、日の出ているうちに叔父さんの処へ行き、花嫁冠をもらってこないといけない。


 そこまで考えた私は、ということはイリイロの処へ嫁に行くまであと一週しかないのだ、と気づいて、何だか世界の全てが地に沈んでいくような倦怠感に襲われた。このまま私も、イリイロも、叔父さんも、母さんも婆さまも村の人も、みんな溶けて死んでしまえばいいのに、と思う。そうすれば、誰も不幸にならず済む。私は雨を気に留めず、家から外へ出た。


 村の中央にある広場(ここで婚礼の儀は行われるはずだ)まで出向いてみれば、いつも通り、生きている炎たちは寄り集まって震えながら、小さくなっていた。私はぐしょ濡れになって近付いていった。


 広場には小さなやぐらがある。祭事がある時には、ここを村のみんなが取り囲む。その櫓の下に、炎たちは隠れていた。陰の中に小さな小さな火の粉の灯りが見える。雨の日には、炎は木の実ほどの大きさに縮んでしまうのだ。ぶるぶると小刻みに震えているものもある。どれも、今にも消えてしまいそうだった。


 生きている炎は、少々水に濡れたくらいでは消えたりしない。悪餓鬼がたまに炎へ水をかけることはあるが、じゅっという音と共にたちまち蒸発させてしまい、じきに悪餓鬼の方が炎に追い回される結果となる。だから普通なら炎を心配する必要はないのだけれど、こうした豪雨の日は話が別だ。


 この村の近辺にこれほどの大雨が降ることは、年に数回しかない。いつも霧がぼんやりと煙って、草葉を湿らす程度で済むのだ。しかしこのように大雨が降ると、狩りや木の実取りにもいけなくなるから、しばらく村に食べ物がなくなる。いざそのときになって困らないよう、私たちは普段から食べ物を倉庫に蓄えている。だが、炎のことは別問題だった。


 私は家から持ち出してきた小さなカンテラを二つ取り出して、蓋を開けた。もう婆さまが娘の頃からずっと使っているものだから、あちこち錆び付いて、壊れかけている。蝶番の軋む音を聴いたのか、炎の一つが陰から恐る恐る、姿を現した。


 私は、炎を怯えさせないよう濡れた髪を絞り、それからカンテラの隅をカチカチと指先でつついて、音を鳴らした。炎はその音につられ、ゆるゆると地面を転がり、濡れたところを器用に避けて、私の元までやってきた。そしてそのまま、カンテラの中に入って身を落ち着かせた。


 一つ目の炎が収まるやいなや、あちこちの陰から次から次へと、小指の先程の小さな炎たちが現れる。暗い地面を小さく照らしながら、炎たちは私の持ってきたカンテラへ、我先にと入り込んでいった。たちまちカンテラは、夜の広場をぼやりと照らし出すだけの灯りを放ちだした。


 もう炎が出てこなくなったと思った私は、カンテラの蓋を火傷しないようそっと閉じ、腰を上げた。雨が降っている間は、手空きの家が炎の守をしなければならないのだ。村の昔からの習わしである。早めに炎を確保しておいた方が、豪雨の中での灯りに困らない、という実際的な理由もあるのだが。


 カンテラの中を覗き込むと、小指の先程に小さくなった炎が、ころころと転がったり、ぶるぶる震えたりしていた。櫓の外からは耳をつんざくごうごうという雨音が響いてくる。そんな暗い処で見るかそけくなった炎の姿には、吸い寄せられそうな魅力があった。


 私は櫓の下から出ると、身体でカンテラを庇いながら家に向けて歩いた。全身が重く濡れていた。こんな天気でも、今日は叔父さんのところへ行って、冠を受け取ってこなければならない。そういえば、イリイロを殺すのかどうかを叔父さんに返事しなければならないのだった。次第に気が進まなくなって、この数日すっかり忘れていたのだ。気持ちがますます億劫になった。


 でも――恐らく、叔父さんはそんなことはとっくに忘れているだろう。冠が出来上がっているかどうかすら危うい。


 気にする必要はないのだ、と私は思い直した。そして、戸口をくぐり、カンテラを大事に抱えたまま屋内に入った。

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