第6話 時は経つ

 しかし村へ帰っても、頭にあるのはイリイロをどうしてやろうか、という考えばかりだった。どうして今まで思いつかなかったのだろう、と思う。ここまで不快でここまで不満なのだから、あいつがいなくなればいかにすっきりすることか。


 家を片付けていても、母さんの手伝いをしていても、婆さまの話を聞いていても、胸の中ではくすんだ感情が渦を巻いている。時折目や耳や口から、噴き出しそうになった。


「……何を考えているんだい」

 婆さまが糸繰り車をふいに止めて、私にそう尋ねた。私は答えた。

「……何も」

「何も考えてない人間なんか見たことがないよ。そりゃ死んでるんだ。生きてる人間は何か考えてるだろう。ほれ、お言い」

「……」


 上手いこと嘘を吐けるほど、器用な性質たちでもなかった。黙る私に、婆さまはフン、と鼻を鳴らす。でも、腹を立てている様子ではない。どちらかといえば、面白がっているようでもあった。


「ろくでもないこと考えてるのかい。忘れてしまったがいいよ。自分でもろくでもないと思うことなんて、本当にろくでもないんだから。せめて自分でましだと思うことだけ考えたがいいさ。そうすりゃ、他人様からろくでもないと言われるだけで済むんだから」


 そうぼそぼそ言うと、婆さまは椅子の上でけたけたと歯抜けの口を震わせて笑った。


 そんな間にも、私の頭の中では酒が醸造されるように、イリイロの殺し方が細かく定められていく。炎で焼き殺すのがたやすい。だったら、いつどこでやるか。日付は、むしろ婚姻の儀の近くがいいだろう。あいつや村の連中が浮き足立っているところを狙った方が簡単だ。場所は、村の中ではいけないが、でも屍体が一日や二日で見つかるところ。狩り場から少し離れた辺りがいいだろうか。


 そこで一斉にあいつへ襲いかかるよう、炎をし向けるのだ。幸い、イリイロは炎から嫌われている。だからあいつをことさらに嫌っている炎を見つけ出して、あいつを焼いて、それでおしまいだ。数日後、捜しに出た村の誰かがあいつの焼死体を見つけるから、私は後はしばらく悲しむ振りをしていればいい。簡単な話だ。


 簡単な話なのに、実行するにはどうも二の足を踏む。


 叔父さんの小屋から戻って三日が過ぎ、四日が過ぎた。じわりじわりと周りでは婚姻の儀の支度が進められていく。私に知らされる部分もあれば、秘密裏に進行する部分もある。秘密裏の部分というのは、男だけでやっているところであって、つまりろくでもない内容なのだ。「女には手出しさせない」というところが、必ずどんな行事にも儀礼にも入っている。


 まあ、それ自体は構わない。当然女だけでやって男には手を出させない仕事というのもあるのだし、それが役割分担なのだからやむを得ないものだ、ある程度は。男たちがろくでもないのは、自分たちが独占していることを威張り、調子に乗っているところだと思う。女に手出しさせない部分というのは立派であり大切であり価値があり、偉大なものだと思いこんでいるのだ。馬鹿馬鹿しい。男には手出しさせない女の仕事がなければ、男どもは食事一つることが出来ないというのに。


 そして、今日でもう六日経った。私は家から出ると、空を見上げた。天空にはかんかんと尊大に太陽が照り映えていた。太陽から伸びる光の矢は、まっすぐ私たちの足下にまで届き、地面を焼き、日々世界に力を与えている。それは炎を見ても分かることだ。天気のいい日には、生きている炎たちは明らかに普段よりも活発に活動している。飛びはね、転がり回り、たまに戯けて身を大きくしたりする。ちょうど、動物が毛を逆立てるようだった。


 太陽と炎の伝承というものがある。先にも語ったように、炎は大地から噴き出し生まれた。では炎の塊である太陽が、なぜ天に浮いているのだろう、というお話だ。一言で言えばこれは、月が地上から炎を連れ去っていったからなのだ。


 その昔、世界は闇に満ちていた。この世で照り輝いているのは月と星たちだけで、それも弱々しいものだった。そこで、月は地上に降りてきた。すると、一カ所だけ明るい地を見つけた。それがこの村だった。村には、大地から噴き出した数多くの生きている炎たちが棲まっていて、辺り一帯があまりの明るさに、何も見えなくなるほどだった。


 そんな様を見た月は、多くの炎たちを一息に捕まえて、天に連れ戻り、大きな一つの塊にして、それを太陽として放したのだ。天に放たれた多くの生きている炎たちは、思う存分に光り輝き、この世に明るさをもたらした。それによって世界は今のようになったのだが、しかし太古の暗い世界から生き続けている月と星たちにとって、それはあまりにばゆすぎた。


 そのため、月と星たちは闇と共に、太陽から遠く離れた場所へと逃げだし、それが夜となり、世界には昼と夜という秩序が生まれた。そして村には今でも、そのとき月に捕らえられなかった生きている炎たちが、暮らしているのである。だから、炎たちは太陽の照り輝く日には、懐かしさから大きく飛びはね、天の炎に恋い焦がれる。婆さまから聞いた話だ。


 炎たちは今日も、無邪気に跳ねている。幼い子どもたちが珍しく、炎を追いかけ回して遊んでいた。子どもたちはわいわいとにぎやかな声を上げて、炎の周りを駆けている。炎たちは、子どもたちの先に立って転がっていた。時折大きく燃え上がることもあったが、子どもたちに対して敵意がないことは、この距離からでも見て取れた。


 元々炎は、子どもが好きなのだ。悪心のない子どもと遊んでいるとき、炎たちは最も活気づいている。たぶんだけれど、それぐらいの時期、子どもたちは炎と対等なのだ。炎を下に見たり、馬鹿にしたりしていない。炎と同じ立ち位置から、炎と共に物事を楽しむことが出来る。


 ある年齢より上になると、子どもたちは炎のことを操る対象としか見なくなる。私もすでにそうだ。村に生きる以上、それは仕方ないとも言える。炎を巧みに操れる者こそが立派な大人であって、生活もしやすい。だから、少しでも大人びた感情が出てきた子どもは、炎と楽しげに遊んでいる同じ子どもたちを鼻で笑い、蔑むようになる。そして、大人たちに教えてもらった炎を操る術を使い、ちょっとした芸のようなことをやって見せて、それで子どもたちの中で英雄気取りになるのだ。


 しかし、そうなってくると同時に、炎の側が彼らに関心を失っていくらしい。過剰に大人ぶって炎を虐げようとすると、全く言うことを聞かなくなったり、ひどい場合だと反抗してきて、子どもの側が大火傷を負うことになりかねない。子どもはそうした手痛い経験を重ねながら、程よく炎と付き合う方法を学んでいくのである。


 自分があの子たちと同じくらい幼かった頃、炎のことをどう思っていたか、時折私も思い返す。あまりにも身近で、あまりにも自然な存在なので、取り立てて意識することもなかったように思う。共に遊ぶのが当然のものだった。今となっては「生きている」炎、とわざわざ断って呼ぶが、あの頃は炎は生きているのが普通だったから、取り立ててそんな呼び名は使っていなかったと思う。炎と戯れ、渾然一体となって過ごしていた。幸福な時間だった。もうあんな日々は、帰ってこない。


「……明日は、雨だね」

 突然背後から婆さまのしわがれた声が届いて、私は驚き、振り返った。椅子に腰掛けたままの婆さまは、誰に向かってでもなく呟いた様子だった。

「雨? こんないい天気なのに?」


 訝しみながら私が問うと、婆さまはにったりと、余裕ある笑みを浮かべた。


「いい天気だから、雨は激しくなるのさ。今日がいい天気の分、明日はひどい天気になる。しわ寄せだね」

 炎のもりを忘れるでないよ、と婆さまはやや大きな声で言った。

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