第21話
アリサはミランダの元に戻ると、話しかけた。
「先生が何を隠しているのか、あなた知らない?」
「あのね、私は一番年下の看護師なのよ。下っ端も下っ端、面倒な作業を押しつけられて走り回ってる小間使いなの。ボスの秘密なんて知らない紙知りたくもない。隠されてる物事って、大体知らない方がいいことよ。実家の車の中からコンドーム見つけたのがきっかけでお父さんの浮気を知った時に私が得た真理」
汗で髪が顔に絡みつきながらも、いつも通りの軽口をミランダは叩いてみせた。アリサがほっとした顔を見せたからか、さらに彼女はこう言った。
「こんなの、サウナに入っているようなものよ。これで一日とか経ってくると、本当にまずくなってくると思うけど」
ミランダはこともなげにそう告げた。
そのとき、不意にスピーカーからノイズ音が聞こえた。それは次第に大きくなっていき、アリサも聴くに堪えなくなって両耳を塞いだ。
そして、音は唐突に途切れた。
「何が起きたのですか」
アリサは外に向かって問いかけた。しかし、先生も他の看護師たちも、何の反応も示さなかった。眉を顰め、怪訝な表情を浮かべている。
それから先生は慌てて、マイクに向かって何かを喋りかける。しかし、スピーカーからは何の音も聞こえてこなかった。どうやら、「ルーム」内と外部の音声のやりとりも、おそらくは犯人の手で断たれたようだった。アリサには推測しか出来ないが、速やかに身代金の支払いを行わなかった場合に作動する「罰」が仕込まれていたのだろう。
たちまち、外部は新たな騒ぎを始めた。先生が狼狽した様子で、ガラス越しに何かを話しかけてくる。しかし、二重の強化ガラスで遮断された「ルーム」の中へは、何の音も届かなかった。こうして、「ルーム」は呆気なく、外界から完全に隔離された。
アリサはそんな彼らの動揺を、応接スペースの中でしばらく見つめていたが、やがて椅子に腰掛けて休むミランダの元へと戻ると、隣に座った。ミランダは尋ねた。
「いいの?」
「いいのよ。マイクが通じていようといまいと、どうせ私の話なんて聞いてないんだから」
そうは言ってはみたが、しかし現実には、ミランダの命が関わっている。本当ならあの何かを隠している男に、いいから犯人に金を払いなさいと命じなければならないのだ。本来なら後見人でも何でもないルジンスキに決定権はないはずだが、彼はこの状況になっても、強引に押せば自分の無理が通ると思っているらしい。外見とは真逆の、とんだ自信家のようだった。
「こんな状況になっても支払いに躊躇しているということは、金銭関係で何かやらかしてるんじゃないかしら」
ミランダは冷静にそう述べた。たぶん、そうだとアリサも思った。ルジンスキがアリサの顧問弁護士を自分の手駒に変えてから、すでに一年以上が経過している。そして、アリサの治療に対する投資に関して、ルジンスキは誰からも反論を受けない権限を持っている。医療費と称して遺産を使い込むことはできる。
「……両親の遺産はちょっとやそっとの使い込みではなくならないと思うけど、この一件の捜査で警察が関わってくると何が露見するかわからないから、どうやったら少しでもごまかせるかを今考えているのでしょうね」
アリサは窓の外でこちらを凝視しているルジンスキをまっすぐに見据えながら、そう呟いた。何を言われているのかわかっていない彼は、アリサに相づちを打つように大真面目な顔でうんうん頷いていた。
そして首を振ると、ミランダへ向き直る。彼女は気丈そうに見せてはいるが、そう長く保つとは思えなかった。
「そんなに難しい状況じゃないわ」
アリサは呟いた。
「あの男がお金を払えば解決するし、払わなければあなたも私も死ぬ、というそれだけのこと。きっといずれはあいつも払う。早いか遅いかだけよ」
「どうかしらね」
不意に、背後から話しかけられた。アリサは振り返らず、沈黙した。もちろんそれはイライザの声だった。
「『外』をあなたはどれだけ信じるの? あんなもの、全部嘘かも知れないでしょう? 『脅迫された』と彼らは主張しているけれど、そのディスプレイの脅迫文をあなた、読んだ? ちらりとも見せてもらっていないじゃない。彼ら全員が共謀して、あなたから合法的にお金をむしり取ろうとしているのかも知れない。あるいは、脅迫にかこつけてあなたを閉じ込めて殺そうとしているのかも知れない」
「……『かも知れない』なんて、もううんざりよ」
アリサは呟いた。保護衣の中で汗をかいているミランダは、え、と不審げに声を漏らした。イライザは言葉を続ける。
「確かに外の世界にはありとあらゆる『かも知れない』があるわ。どう対処するか。一、流れ込んでくるものを諾々と受け入れて信じる。二、一つ一つを疑いの眼で見て慎重に検討する。三、いっそのこと何もかも信じない。今あなた、もううんざり、って言ったけど、それってどういう意味? 二の賢明な反応が面倒になった人間は、次第に一か三かどちらかの対応をするものだけど」
アリサは返事をしなかった。イライザは続ける。
「でもね、これってあなただけじゃないのよ。あなたはこの部屋に閉じ込められているけど、どの人間だってそうなの。誰だって『外』を信じるかどうか、常に試されているの。『外』が真実である保証なんて、誰一人としてない。あなたの場合、それがたまさか、ちょっと露骨なだけ。幸か不幸かわからないけれど」
そのとき、甲高い信号音が「ルーム」内に鳴り渡った。それと同時に、今度は「ルーム」と、窓の向こうの医師たちの控え室の照明が、一斉に消えた。窓がない「ルーム」はたちまち、夜の暗さになった。
残っているのは、ルジンスキが操作している端末のディスプレイから漏れる、バックライトだけになった。時間は、着実に過ぎ去っている様子だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます