第3章 ロック
第17話
ミランダとのつきあいが出来て、そろそろ一年になろうとしていた。アリサは十五歳になり、彼女は二十二歳だったが、二人はすっかり、「友人」と呼んで差し支えない間柄になっていた。
人前ではその関係は、極力表に出さないようにしていた。せいぜいアリサの「ルーム」に彼女が片付けなり荷物運びなりで入ってきた時、二、三の事務的な言葉を交わすくらいだった。雑談をするにしても、最近「外」でトピックになっているニュースについてとか、電車で乗り合わせた赤の他人とでも出来る程度の、他愛のない話題ばかりである。それくらいなら他の看護師たち、たとえば筋肉質のブライアンともする。以前と比べて、アリサは周囲の人々と積極的に交わるようになっていたからだ。
しかし、ウェブ上での二人は全く違った。ある日などは、SNS上でこんなやりとりをしていた。まずミランダが(もちろんルジンスキ先生の監視に気づかれないようハンドルネームで)書き込んだ。
「ストロベリーフレーバーのドーナツが食べたかったの。クリームがいっぱい塗ってある奴を、濃いブラックコーヒーと一緒に。でも仕事帰りに三軒回って一つも置いていなかった。信じられる? 今、私は家でチーズを囓ってる。気の抜けたコーラを飲みながら。惨めを全身で表してるような気分よ」
「よくわからないんだけど」
アリサは考えながら書き込む。
「それはどれぐらい珍しいことなの?」
「駅に入ったらそこに白人しかいないようなものね。個人的な意見だけど、これって多様性を全面的に否定していると思わない? 見渡す限り全部オールドファッションかチョコ。凄く禁欲的な光景だったわ」
「イチゴ味にそこまで価値を見いだしてるのは、街でもあなたぐらいだと思う」
「ストロベリーフレーバーっていうのは言ってみればポップソングを歌うガールズバンドのようなものなのよ。味がどうこうじゃない。そこに存在して、彩りになることで結果的に周囲の全ても鮮やかにするの。もしもこの世から下手くそなギターでラブソングを歌いまくるガールズバンドがなくなったらどうなると思う?」
「何の問題もないと思う」
「確かに社会的なダメージは一切ないと思うわ。ストロベリードーナツも同じ。所詮ただのフレーバーだし。本物のイチゴなんてほんの僅かしか含まれてない。味に関して言えば、オールドファッションとチョコで事足りてる。でもストロベリーがないだけで、ドーナツというものはまるで共産主義の計画経済みたいな味気なさに陥ると思うの。機能的で無駄がなければいいというものでもないのよ。馬鹿らしさというか、余剰を象徴するものとして、ストロベリーフレーバーは存在して欲しい。そしてそんな小理屈はともかく、私はイチゴのクリームが掛かったドーナツが食べたかったの。上司に怒られてイライラしてたから」
万事、ウェブ上に限って彼女はこの調子で饒舌だった。アリサは当初は意外に思ったが、今はすっかり慣れて、むしろこれを楽しみにしているくらいだった。とにかくいちいち書くことが長く、大体珍妙な理屈が通っているのだが、不思議な説得力がある。彼女一流のジョークなのだろう。アリサを楽しませようとしているのだ。論理の跳躍や比喩の巧みさから、彼女の頭の良さも伝わってくる。実際ミランダは、アリサの想定よりもずっと賢い娘だった。アリサはすっかり彼女のことが好きになっていた。
そして彼女とのつきあいが深まれば深まるほど、反比例してイライザが現れる頻度が減っていった。長い時では一週間ほど見かけないこともあった。出てきても大体いつも、つまらなそうな表情で部屋の隅に立っているばかりだった。アリサはタブレット端末で読書しながら、そんなイライザに話しかけた。
「元気がないじゃない」
「そうね」
イライザは気の利いた返事をする余裕もないのか、ぽつりとそう呟いた。アリサは彼女を見やる。巻いた金髪が顔に掛かったうつむき加減のその表情は、ルノワールの絵でも見ているようで美しかった。そのまま消えていってしまいそうだった。
アリサは内心、それを喜んでいた。そろそろ十五歳の誕生日も近づいている。やっと自分も、まともな人間になれるかも知れない。いや、もちろん身体はこのままだし、外に出ることは叶わないけれど、せめて中身ぐらいは普通になりたい。この邪魔な金髪娘さえいなくなってくれれば、ずいぶん人としてましになれる気がした。
ルジンスキ先生は、次第に話しぶりやアリサへの関わり方が親のようになってきていた。以前はあくまで医者として一線を引いていたのが、近頃はアリサの生活態度や勉強への姿勢にまで口を出すようになっていた。別段後見人になったわけではないのだが、普段一番アリサと接する大人は彼なので、おかしな振る舞いとまでは言えない。ただ、彼が「親」になりたいのか、それとも違う何かになりたいのかまでは、アリサにはわからなかった。
そういえば、アリサにルジンスキへの不信を抱かせたリナは、一ヵ月に一度くらいは未だに連絡を取れていた。と言っても所詮SNS上での短いやりとりでしかないので、大した会話は出来ていなかったが、彼女は彼女なりに、ルジンスキのことを少しずつ調べてはくれているようだった。あまり助けになれなくてごめん、と書いてくれる彼女に、アリサは感謝していた。問題を立証できる証拠が出そろったら、ドキュメンタリー番組に仕立ててでもルジンスキを告発したい、とリナは文中で意気込んでいた。
そろそろ、ミランダを使って外部にアプローチをかけてやろうか、とアリサは考えていた。ミランダ自身はあまり友人の多い人間ではないが、それでもアリサよりはましだし、彼女の家族もいる。それに、もちろん病院内に看護師の知人は大勢いる。たとえば、アリサを周囲に紹介してもらうことも出来るだろう。それも、「金持ちの家に養子に入った可哀想な病気の女の子」としてではなく、「いろいろと変わったところがあるミランダの友人」として。ステレオタイプな理解ではなく、一人の人間として見てもらえるかも知れない。そうすれば、世界は変わり、あるいは広がるかも知れない。狭い狭い自分の「ルーム」に、ようやく少しずつ窓が開き始めている気がしていた。
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