第10話

 弁護士が代わって、一ヶ月ほどが経ったある日のことだった。アリサの使っているSNSのアカウントに、メッセージが寄せられた。アリサは驚いた。

 アリサの使っているSNSは、通常はウェブ全体に公開される場でやりとりするが、必要に応じてアカウントの持ち主(この場合はアリサ)に直接メッセージを送ることができる。それはもちろん、当事者同士しか読むことができない。

 そして、これまでメッセージ機能を使って話しかけてきた者は一人二人しかいなかった。この機能は一般的には、リアルでの知人同士が私的な事柄をやりとりするために使うので、アリサには縁のないものだったのだ。

 アリサは背後を振り返った。イライザに観られているのではないかという気がしたのだ。幸い今は、生活スペースにはアリサしかなかった。緊張しながら、アリサはメッセージを開いた。それは長い文章だった。


「お久しぶり。あなたの元主任弁護士のリナです。アリサ、お元気ですか?

 匿名でやっているアカウントに突然連絡が来て、あなたも驚いていると思います。ですが、あなたに安全に連絡を取る手段がこれしかなかったので、やむを得なかったのです。あなたの置かれている状況、そしてこれから起こりうる事態について、伝えたいことがあります。

 結論から言います。あなたは騙されています。主治医の、ルジンスキ先生に。彼は温厚そうに装っていますが、極めて、危険な人物です。


 あなたと最後に会ったとき、テレビ番組の取材の話をしましたね? あなたが迷わず受けてくれて驚きました。あの後、恐らくあなたの元には何の連絡も届かなかったと思います。これは、テレビ局のディレクター、レジナルドという私の友人ですが、彼が仕事をしなかったためではありません。むしろ彼は積極的にアプローチしたのですが、何もかもルジンスキに止められたのです。


 レジーはあなたにOKをもらった翌日、早速病院側に取材を申し込みました。広報室からルジンスキまではスムーズに話が進みましたが、彼に話が伝わった途端、連絡が途絶えました。なぜなのかわからず、レジーは何度か進捗状況を確認しようとしましたが、何の返事もありませんでした。

 やむを得ず、レジーは病院に直接出向いてルジンスキに尋ねようとしました。しかしいつ行っても、ドクターは不在です、と受付で追い払われました。そんなはずはないのです。私は弁護士として定期的に出入りしていましたが、彼はほぼ終日病院の施設から出ず、仕事をしています。

 怪しんだレジーは、非常手段を取りました。表口から入り、トイレで清掃員の服に着替え、堂々と病院の中を歩いてルジンスキを捜したのです。医療問題を扱う際の潜入取材ではよく使う手だということでした。幸い、ルジンスキはすぐに見つけることができました。

 なぜなら彼は、ずっと同じ場所にいるからです。あなたの「ルーム」のすぐ隣り、窓の向こうの控え室を出たところにある、自分の研究室にいます。ほとんど、一日中ずっと。おそらくは今、あなたがこうしてPCで文章を読んでいる現在も、すぐ隣りに彼はいます。


 彼はあなたの専属で、あなたの治療法を研究することで成果を得て名を上げてきました。聞くところによると昔、あなたがまだ五、六歳のころは、他の診察や手術も請け負っていたそうなのですが、もうここ数年はあなたにかかり切りということでした。

 いえ、それはそれで当然のことです。あなたの病気はそれだけの手を掛けなければならないものです、残念ながら。誰が担当したって四六時中つきっきりにならざるを得ないと思います。ですが彼の態度はそれだけでは説明のつかないものです。家族もなく、友人もおらず、やっているのはあなたの身体の状態変化の分析とあなたの生活習慣の検討、そして「ルーム」の装置の改善策ばかりです。

 あなたのご両親が亡くなった今、あなたへの問い合わせは全て、彼の手元を経由します。医師として、あなたに掛かる負担は把握しなければならない、と名目を立てて。私がいた時は法律関係は私がチェックしていましたが、今はそれすらも、彼が確認しているはずです。ちなみに私の後任の弁護士は、ルジンスキが指名した人物です。以上のことは、レジーと私で共同で調べました。


 きっと、あなたはこんなこと知らなかったでしょう。あなたが知ることができる外部とは、応接スペースのガラス窓の向こうの一室で起きる出来事と、防護服を着て「ルーム」に入ってくる人間、後はPC経由でのインターネット上の情報、それだけです。

 あなたが今いる「ルーム」が病院内のどの場所にあるか、あなたは知っていますか? 当然知らないでしょう。一歳の時に入ったきり、一度も出たことがないのだから。いえ、それだけではありません。病院がどれぐらいの広さで、どんな人たちが働き、入院しているか知っていますか? この病院がどんな場所にあるか、知っていますか? 誰かに教えられたことがあるかも知れません。でも、それが真実だという確信はありますか?


 あなたは、自分が置かれている状況を疑ったことがありますか?


 ルジンスキが何を思ってあなたを独占しようとしているのか、まだはっきりとはしません。ご両親の遺産を詐取しようとしているのかとも思いましたが、今のところそうした動きは見つけられませんでした。これからも調べ続けます。

 彼があなたのPCをモニタリングしている可能性があるので、このメッセージは毎日午後二時に書き込み、午後三時になったらデリートします(彼はこの時間、必ず昼食を食べに病院近くのデリカテッセンに行きます)。もし読んでくれたら、何でもいいので一言短く、返信をください。もらえるまで毎日書き込みを続けます。

 最後に、アリサ。私たちはあなたの味方です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る