第4話
両親の葬儀当日も当然、アリサは「ルーム」の中にいた。看護師たちが清潔な喪服を用意してくれたので、気休めに着ることにした。イライザがいつも着ている服に似ていて、気分が悪かった。アリサが参列しないまま、葬儀はつつがなく終わった、と後にルジンスキ先生が教えてくれた。
詳しい死の状況は、誰も教えてくれなかった。先生も言葉を濁していた。アリサそれ以上は、何も尋ねなかった。父親はそれなりの地位にある人間だったので、ウェブで検索すれば何かの情報があるかも知れない、と試してはみたが、ただ「亡くなった」とだけ書かれているばかりだった。こうして、アリサは本当の意味で独りぼっちになった。
そのまま、三ヵ月ほどが何事もなく過ぎた。アリサにとって変化といえば、両親が訪ねてこなくなったこと以外、これといってなかった。世間的には大事なのかも知れないけれど、どうにもアリサにはまだぴんと来ていなかった。身近な人の死が初めてだからかも知れない。もし直接抱きしめてもらったり、キスしてもらったりしていれば違ったのだろうか、とアリサは考えた。そうかも知れない。アリサは、両親の身体の匂いも知らないままだった。
その三ヵ月の間、イライザは珍しく大人しかった。いないのかと思って振り向くと、部屋の隅に黙って立っていることもあった。でもそれ以上、何もアリサに干渉してこなかった。「何を考えてるの」と訊いても、無表情でこちらを見るばかりで答えは返ってこなかった。余計に不気味だった。
ルジンスキ先生は、アリサのことを案じたのか、以前よりも頻繁に訪ねてきてくれるようになった。わざわざ保護衣を着て、応接スペースまで来ては、今日の調子はどうか、最近僕はこんなことがあって、と笑顔で雑談をしてくれる。アリサとしてはむしろ申し訳ないくらいだった。そこまで心配してもらうほど、自分は動じてはいないつもりだった。
両親の顧問弁護士はリナという女性で、定期的に来ては、管財人がどうの、後見人がどうの、相続税がどうのといった難しい話をしていた。病院にはあまりいない、てきぱきと無駄なく喋るタイプの人で、アリサは嫌いではなかった。話すことの方が楽しくて、彼女の話すことにどんな意味があるのか、ほとんど気にとめないぐらいだった。それに、彼女も手間を掛けて応接スペースの中まで入ってきてくれるので、アリサとしても嬉しかった。
「そうだ、アリサ。たぶん難しいと思うのだけれど」
ある日の帰り際、リナは鞄に書類を戻しながら言った。
「私の友だちにテレビ局のディレクターがいるのよ。彼がどこから聞きつけたのかわからないんだけど、あなたのことを知ってるらしくって。それで、あなたを特集するドキュメンタリー番組を作らせてもらえないか、って言ってるの」
「私を? どうしてですか」
アリサは悪気なくそう尋ねた。
「どうしてってそれは、まあ、あなたが『特別』だからね。テレビってそういうものなのよ。他の人と違う人を見つけると、それを世間に向けて知らしめてあげようとするの。そうすることにどういう意味があるのかは、やった後から考えるのよ。何かしらの影響を世間に及ぼしたい、というだけ」
理解しがたいわよね、とリナは肩を竦めた。アリサは、テレビ番組はネイチャーチャンネルやヒストリーチャンネルぐらいしかまともに観たことはない。部屋には大きめのディスプレイがあるだけで、外から電波は受信しないようになっているので、流れる番組は全て担当医であるルジンスキ先生が選別したものだった。
「もちろん断ってもらって全く問題ないんだけど、一応そういう話があるっていうことは伝えておかないと、彼に悪いから」
「どういうことをするんですか? その、テレビの取材って」
「うーん、人によりけりだと思うけど、彼の場合は結構淡々としてると思うわ。ドキュメンタリーだからね。長期間にわたってあなたにカメラを向けて、合間合間にインタビューを取って、という感じ。たぶん、スタッフもほとんど彼一人だと思う。今時テレビ局も、あんまり予算ないのね」
彼女は微笑んだ。そして続ける。
「どう? やってみたい?」
「私が決めていいんですか?」
「そりゃね。あなたの取材だし。ルジンスキ先生に確認は取らなきゃいけないと思うけど、それはあくまで限度とか、範囲の問題よ。決定権はあなたにあるわ」
保護衣のゴーグル越しに、彼女の知的な眼と、少し曇った眼鏡が見えた。何であれ物事の決定権を与えられたのは、もしかするとアリサは初めてかも知れなかった。心配そうに眉を下げると、リナは続けた。
「心配だったらたとえば、彼に一回だけ会ってみるとかでもいいけど」
「やります。番組、やってみます」
アリサがはっきりと言うと、リナは一瞬、驚いた目つきをした。
リナが帰った後、生活スペースに戻ると、イライザがソファに座ってくつろいでいた。やけに楽しそうな表情をしていた。アリサは言った。
「何」
「どうしたの? テレビなんて。柄でもない。反抗期?」
自分の爪を眺めながらイライザは言った。
アリサは答えず、デスクに向かった。自分のコンピュータを立ち上げる。このところ慌ただしくて、あまり勉強できていなかった。イヤホンを付け、物理の講義動画を眺め始めた。あまり内容は頭に入ってこなかった。
「あなたはね、退屈しているのよ」
イライザは続けた。イヤホンを付けてもイライザの声は聞こえる。
「自分の置かれた状況にも、自分自身にも」
「うるさい」
ところがその後、そのテレビ局の「彼」からの連絡は、特に入ってこなかった。そのうちルジンスキ先生を経由して具体的な話が始まるのではないかとアリサはそわそわしていたのだが、全く変化はない。誰とも会わず、SNSに嘘を書く日々が続くだけだった。
そればかりか、突然顧問弁護士が、リナでなく無表情な男性に代わってしまった。彼女はどうしたのか、とアリサが尋ねると、弁護士を辞めた、とその男は無感情に応じた。それ以後、アリサは取材云々の件について尋ねるのはやめた。
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