第3話

 真っ白な肌に、蜂蜜のような澄んだ色のカールした金髪、碧い瞳。イライザは相変わらず、光の輝きをそのまま形にしたような、美しい少女だった。アリサは彼女を睨みつけた。イライザは笑みを浮かべた。

 アリサは言った。

「さっさと消えて」

「思ってないくせに」

 イライザは手を口元に当て、肩を揺らして笑った。真っ黒なワンピースを着込んでおり、彼女の色白の身体によく似合っている。髪にも黒いリボンを着けていた。イライザは目を細め、アリサを見る。

「私は必要だからここにいるのよ。それもわかっているでしょう」

 苛立ったアリサは、再びディスプレイに視線を戻した。唾ぐらい吐きかけてやりたかった。こんな女はここにいるはずがない。当然だ。この部屋には自分以外の人間は入れないし、自分と直接会話するためには、誰もが保護衣を着込まなければならないのだから。あり得ない。これは、間違いなく、幻覚だ。そんなことは何年も前に気づいている。

 それなのに、イライザは消えない。消えてくれない。アリサの隣で、腹が立つほど穏やかに微笑んでいる。


 イマジナリーフレンド、という言葉は、担当医のルジンスキ先生に教えてもらった。三年ほど前のことだった。小さな子どもが寂しさを紛らわし埋め合わせるために作り出す、実在しない友だち。多くは歳を重ねていくうちに見えなくなっていく。心理学の用語だそうだ。

 君にはそういう子はいないかい、とそのとき先生に尋ねられたので、アリサはすぐに首を振った。丸眼鏡の向こうの先生の眼は小ぶりで可愛らしくて、アリサの眼をじっとのぞき込んでいたけれど、何を考えているのかはまるでわからなかった。とにかく、「います」なんて正直に答えたら、先生に嫌われてしまう気がしたので、咄嗟に嘘をつくしかなかったのだ。

 本当は、物心ついた頃からいつだって、イライザはアリサのそばにいた。哀しいとき、寂しいとき、アリサが誰かにそばにいてほしいと思ったときは、いつでも現れた。何しろアリサには、他に素手で触れ合える人間はいないのだから。彼女の存在は特別だった。彼女となら手を繋ぐことも、抱き合うこともできる。彼女の身体の暖かみや、息を直接感じることができる。

 けれど、同時にアリサは幼い頃から聡い子どもだった。自分は本来、直接誰かに触ることができない特殊な人間だということ、周囲の普通の人とイライザが「違う」ことも早々と理解していた。だから、あえて両親や医師たちに、彼女のことを伝えたりはしなかった。


「私は、そんなに普通じゃない存在なのかしら?」

 イライザは唐突に、そう話しかけてきた。アリサは一言も発していなかったのに。当然なのかも知れないが、イライザはアリサの心の中を自在に読み取ることができた。なので、アリサが考えただけのことにも、平気で無遠慮に踏み込んでくることがあった。

「存在、じゃない。あんたは、存在してない。私にだけ見える妄想」

 アリサは日記をキーボードで入力し続けながら、イライザにそう答えた。たぶんわざわざ声に出さなくてもイライザとは会話できるのだろうけれど、それに甘えて頭の中だけでやりとりし続けていたら本当におかしくなってしまう気がしたので、必ずきちんと声に出して、彼女とは話すことに決めていた。

「そんなにイヤなら消せばいいでしょ、私のこと」

 イライザは眉の下がった困り顔になって言った。いや、この女は困ってなどいない。アリサはわかっていた。アリサが彼女のことをどう頑張っても消せないと知った上で、挑発しているのだ。

 アリサは無視して、日記の書き込みを続ける。スペイン語の授業を一緒に取っているシャロンも、パーティに来てくれました。シャロンとはダーツで遊びました。六時になったらもうみんな帰らないといけません。お泊まりしようっていう話もあったけど、明日も普通に学校なのでやめました。最近数学が難しくて、宿題する気が起きないです。数学の先生はすごく怖いので、忘れたって言っても許してくれません。

 何もかも、小説や映画から得た知識を元に想像した、普通の中学生の日常風景だった。アリサにとっては「中つ国」や「アースシー」の景色や出来事と、大差なかった。SNSの中の「アリサ」がどんな町に住んでいてどんな学校に通っていてどの授業を受けていて何という名前の友だちがいて、誰と仲がよくて誰と喧嘩しているか、全て自分で考えて、全て憶えていた。

 蛇が絡みついてくるように、イライザはアリサの身体にまといついてきた。手を首元に回し、耳元で何かを囁いている。じっとりとした息がアリサの耳に掛かる。髪がアリサの頬をくすぐる。「嘘つき、嘘つき」と小さな小さな声で、イライザはアリサをなじっている。イライザの指が、アリサの首元や胸元に当たる。信じられないほど現実的で、本当に触られているとしか思えなかった。

 けれど、アリサは気づいていた。この指の触感でさえも、アリサにとっては想像上のものでしかなかった。誰かに肌を直接触ってもらったことなんて、一度もなかった。アリサにとって世界の大半は、想像上の存在でしかなかった。自分にとって疑うことのない現実は、この真っ白な部屋と、それから自分自身で終わっていた。

「アリサ!」

 応接スペースのスピーカーから、大きな声がドア越しに聞こえた。アリサは身を凍り付かせた。同時に、イライザはいなくなった。

 急いで生活スペースを出たアリサの目の前、ガラス窓の向こうには、白衣姿のルジンスキ先生が立っていた。

 先生はやがて硬い表情で、

「先ほど君のご両親が亡くなった」

とだけ告げた。

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