第2話

 パーティが終わり、客たちは帰った。アリサは一人一人とガラス越しに短い会話をし、愛想笑いを見せ、応接スペースから見送った。その後、両親とも三十分ほど、やはりガラス窓越しに話をした。

 父は今度、社外取締役という役職に就くらしい。めでたいことらしいので、祝福した。母は未だにガーデニングを趣味にしているらしい。アリサは花というものを手に取ったことがない。何かの間違いで目の前にあったとしても、手にとってはならない。ネット上の写真や、映画の中でしか見たことがなかった。これからも、一生ずっとそうだ。

 アリサの疾病の治療法は、今も研究が続けられている、と母は話した。遺伝性疾患としては、医学史に残るほど複雑な要因が絡み合っているらしい。うかつなことをするとアリサの身体がどんな反応を起こすかわからないから、なかなか実践的な治療を行うのが難しいそうだ。しかしいずれ、必ずよい方向に事態は向かうだろう、と母は頷いた。

 アリサが二歳の頃に設立された、アリサの名を冠した基金は有意に運用されており、成果として多くの難病の治療、緩和の方法が確立されたらしい。おかげで大勢の子どもたちが病室を出て、親とともに日常生活を営めるようになったらしい。結構なことだ、とアリサは思った。

 両親は一くさり話し終えると、ガラスの向こうで手を振って、外へ通じるドアから去っていった。以前は、こうして少し話すときもいちいち保護衣を着て、応接スペースまで来て、自分の手を握ってくれたことを、アリサは思い返した。

 そして、去り際の両親の後ろ姿を見て、二人とも歳を取ったな、と感じた。どちらも少し首を曲げ、肩を丸めている。二人とも、顔に皺が増えた。染みも多くなった。父は以前から白髪だったが、加えて髪そのものも薄くなった。さらに父は痩せ、母は太った。

 ガラスの向こうでは、看護師たちがパーティの片づけを続けていたが、興味を失ったアリサはチョコケーキを箱ごと手に取った。そして奥にある、生活スペースへと戻っていった。こんな糖分の多い食事、いつもはなかなか出してもらえない。今日中に食べきらないと、腐敗を恐れて廃棄されてしまうだろう。

 アリサが横開きのドアの前に立つと、センサーが彼女の網膜パターンを読みとる。そして、ドアが開く。こんな環境ではあるが彼女のプライヴァシーは考慮されており、年に一度の清掃を除いて他人は私室に入れないようにしてある。生活スペースに入るとすぐ、背後でドアが閉まった。

 ここには、ベッドと机の置いてある大きめの部屋が一つ、それと、ドアで区切ったもう一つの別室に、バスとトイレがあった。他には何もなかった。

 こちらのスペースもやはり、壁、床、家具、全てが真っ白である。もしわずかでも雑菌が繁殖したり、あるいはアリサが血を流したりしたとき気づきやすいように、という配慮だった。部屋は絶えず換気され、湿度も温度も一定に保たれている。

 応接スペースは壁の一面全てがガラス張りで、しかもカメラが天井の隅に設置されており、常に誰かに見られている。だからアリサにとっては、四方に壁しかないこの生活スペースだけが自分の部屋であり、ここにいるときは、誰からの視線も気にせず、落ち着くことが出来た。

 一人きりになりたい、という考えが身勝手なのはわかっている。自分のような人間は、むしろ常時、誰かに付き添ってもらっていた方がよい。何をきっかけに倒れてしまうかわからないのだから。たとえば、ほんの少し皮膚を引っかいたり、あるいはもしかすると、食事中に頬の内側を強く歯で噛んただけでも、生命に関わる可能性がある。

 自分がまともに生きていられるのは、両親の財力とそれから来る潤沢な医療体制、そして、この「ルーム」の特殊な環境に依っているのだ。そんなことは、うんざりするほどわかっているつもりだった。


 この自室と応接スペース、それだけで、アリサの世界は終わっていた。


 ため息をついてから、アリサはケーキをテーブルの上に置く。真っ白なチェアに腰を下ろし、デスクに向かった。

「ねえ」

 どこからか声が聞こえたが、アリサはそれを無視した。そして自分のコンピュータを立ち上げる。

「お誕生会はいかがでしたか? 楽しかった? ねえ、アリサ」

 アリサは何も答えない。

 ウェブブラウザを開き、最初に自分のSNSアカウントをチェックし始める。部屋の隅にちらちらと人影が見える気がしたが、これも無視した。

 SNS上で繋がりあっている同世代の子たちの書き込みを目にして、アリサは笑みを浮かべる。みんないつも通り、広い外の世界を謳歌し幸福に暮らしていた。彼女たちの日常を観ていると、自分もそのときだけ同じ普通の子であるように錯覚できる。

 早速キーボードを叩いて、今日の日記を書き込んだ。

「今日は私の誕生日です! パパとママがパーティを開いてくれて、友だちがたくさん来てくれました。ケーキはチョコ味で美味しかったです」

 ウェブ上ではアリサは、自分が珍しい病を抱えていることは隠していた。ごく普通の中学生が書きそうなことだけを記す。テキストだけで、写真は載せない。たとえば周囲の人の容貌とか、少しでも特定されかねない情報は文章にすらしない。そもそも生活は代わり映えしないから、大した話題は出せず、面白味もない。

 それでも、「女子中学生の日記」というだけで読んでくれる人が少なからずいた。アリサとしては意外であったし、いささか不気味でもあった。書き続けるうち、次第に読者は増えていった。といってもせいぜい百数十人程度だったが、アリサにとってその人数は、無限の価値があった。

 楽しんで書いていると、次第にアリサとしても欲が出る。読者にサービスもしてあげたくなる。

「ケイティは豪華なメイクセットをくれました。入れ物がすごくかわいくて、動物がたくさんデザインしてあります。ペディキュア塗りっこしよってケイティが誘ってくれたから、ママに隠れてやりました。バレたらたぶん怒られます……」

 ここまで書いてから、「動物の入れ物」だと子どもっぽ過ぎるのかな、と思い、「シルバーのポーチ」と修正した。ポーチに入ったメイクセットなんて見たこともないし、そもそも肌や唇に化学物質を塗る機会など永遠に来ない。消毒用のアルコールでも量によっては危険なのに。

「あれ? また日記に嘘を書いたの?」

 するとすぐそばから、愛らしい声が聞こえた。年齢にそぐわない、子どもじみた口振り。応じたらおしまいだとわかっていたので、アリサはディスプレイだけを凝視して、無視し続ける。

 この部屋で私以外の声なんか、聞こえるはずがない。

 けれど、イライザはディスプレイを遮って、アリサの顔をのぞき込んできた。

「いけないことだってわかってるでしょ?」

 イライザはアリサにそう言った。

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