呼吸を整えろ:Bパート シーン1
道場の裏の庭で、ユウキはひとり、自らの身体と語らっていた。
足を滑らすように踏み込み、廻した下腕を上へ。掌を返し、止める。身体を返し、螺旋を描くように、空気を受け流す。重心を下腹に残したまま、さらに逆の脚を踏み込む。
ユウキの脳裏に、昼間のアキラの背中が浮かんだ。
アキラとは、小学生のころからこの道場で学んだ仲だった。身体も大きく、運動神経も良かったアキラはみるみると腕を上げ、この道場でも屈指の腕前になっていた。
ユウキはゆっくりと縦拳を繰り出す。そうだ、リーチだってアキラの方がはるかに長い。
先日の組手が思い起こされた。アキラの深い懐に、受けと捌きを駆使して繰り出したユウキの渾身の踏み込みはアキラに弾かれ、この拳は届かず仕舞いだった。
アキラのリーチがもう少しだけ短ければ、結果は違ったかもしれない。
イライラするんだよ、といったアキラの声が、脳裏に響く。
(俺なんかが、アキラ君に敵うわけが……)
今やアキラは、師範が相手をしても両手を使わせるほどだ。
(弱いことは、悪いことかね?)
師範である矢賀老人の言葉が聞こえてくるようだった。
道場でも一番の古株であるにも関わらず、ユウキは「弱い」ということなのだ。
(先生は、それで構わないのだろうか)
あの日の情景が思い起こされる。
あの日、矢賀先生が俺の拳を――
「呼吸を整えろよ、ユウキ」
不意に、背後から声がした。
振り向くと、いつの間にか縁側に、古川セイスケが座ってこちらを眺めていた。
「先輩、いつからそこに?」
「お前の型は綺麗だからな。見学させてもらってたよ」
セイスケは立ち上がり、ユウキのところへ歩み寄ってきた。
「だけど今日はだめだな……途中で呼吸が乱れちまってた。それじゃ『変身』がとけてる」
「ああ……」
ユウキは笑った。セイスケはにかっ、と白い歯を見せて笑い、その場でスタンスを広くとった。
「ほら、いくぞ、変身」
ユウキと並んで立ったセイスケは、右の掌を上に、左の掌を下に、両の手を正中線上に構えた。ユウキもそれに倣う。
息を吸い、ゆっくりと、両の掌を内側から交差させて、大きく、円を描く。
「旋華」――丹田に呼吸を溜める、城南派柔拳法の基本の動きのひとつだ。
空手でいう「息吹」など、武術諸流派でも呼吸法がその技に取り入れられていることは多いが、「旋華」は大きく円を描く動きを同時に使うことで、全身に気を巡らせ、宇宙と一体になることがその究極であるという。
身体の中心に返ってきた両の掌をそのまま後ろに引き、溜めた呼吸をゆっくりと吐き出しながら、交差させた両の掌を押し下げるように、下へ。巡らせた気を、再び身体の中心に戻していく。
「日常モードから、武術モードにスイッチを入れる。『変身』するんだ」
セイスケはこの動きをそんな風に、子供のころからユウキたちに話していた。
それは、他流派の全日本大会で優勝してくるような選手となった今でも、変わらない。大会のビデオの中で、試合場に入る前のセイスケが「変身」する姿を、ユウキは見たことがあった。
「……よし」
残心を解いて、セイスケは言った。
「そろそろ少年部が終わるな。夜の部のみんなが来るころだ。道場に行こう」
「はい」
ユウキとセイスケは、表へと向かった。
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