呼吸を整えろ:Aパート シーン3

 沢屋ミズノはその日、見慣れた後ろ姿を見かけて、いつものようにその後ろから、素早い身のこなしで距離を詰めていった。

 相手にの気配を気取られないよう、近づくその距離、2メートル。そこから、一気に――



「おーっす、ユウキくん!」



 後頭部にチョップ。



「どわっ!? なんだ沢屋!?」


「……って、ええ!? アキラくんだった!? なんで!!??」


「それはこっちのセリフだ! いきなりなんだ!?」



 唾を飛ばして沢屋に怒鳴るアキラに、ミズノは慌てる。



「ご、ごめんごめんごめんごめんごめん。てっきり私、ユウキくんかと思って……」


「ああん!?」



 それで許してもらえると思ったわけではないが、ミズノの言い訳はアキラをより怒らせたようだ。



「なんで俺のことを、あいつと間違えるんだよ!? なんであんな軟弱ヤローと!!」


「あーもう! 怒んないでよ! わかんないよそんなの!」



 手をばたばたとさせながらミズノはアキラに怒鳴りかえし、そしてふと、気がついた。



「……ほんとだ。なんでユウキくんだと思ったんだろう。背だってこんなに違うのに……」


「そうだね。僕の方が随分低いし、肩幅だって……」


「……って、ユウキくん!? 今度はほんもの!!??」


「おはよう、ミズノちゃん、アキラ君」



 いつの間にか、ミズノのさらに後ろにいたユウキに声をかけられ、今度はミズノが驚く番だった。



「……ふん」



 アキラはミズノとユウキに背を向け、そのまま歩き去っていった。



「……二人、仲悪いの? 元々顔なじみでしょ?」


「……うん、まぁ」



 入学から1カ月が過ぎ、サークルの新入生勧誘もひと段落したキャンパスの中を歩きながら、ミズノはユウキの顔を覗き込んだ。



(……無駄に肌、きれいだよなぁこいつ)



 入学した大学の同じ語学クラスになったユウキがミズノの興味を惹いたのは、華奢なその外見ではにかむように笑っている、その姿が印象的だったからだった。

 それでいて、決して軟弱な印象を与えない、不思議なその印象に、どうやら幼いころから武術をやっている、と聞いた時には不思議と納得したものだ。

 もっとも、粗野な雰囲気のあるアキラと昔からの知り合いで道場仲間だというのには、却って驚いたものだが。



「その……城南派空手だっけ、そこって……」


「城南派柔拳法」


「それそれそれ。そこの人ってさ、みんなユウキくんみたいなの? それともアキラくんみたいな?」


「うーん、人それぞれ、かなぁ。アキラ君と中のいい人たちはあんな感じだし。オタクな先輩とかもいるよ」


「ふーん……」



 ミズノはもうだいぶ先に行ってしまったアキラの背中を眺めた。 



「……あいつは、昔からあんな感じ?」



 何気なく訊いたその問いに答えがなく、ミズノは隣を見た。ユウキは数歩後ろで立ち止まっていた。



「ユウキ君?」



 なにやら明後日の方向を見ているユウキの視線の先を、ミズノは追いかける。と、キャンパスの中を行き交う学生たちに紛れ、黒い帽子の男が歩いていくのが見えた。その歩いた後につむじが巻くように、風が立って埃が舞っていた。



「……どうかした? 知り合い?」


「……あ、うん、なんでも」



 ユウキは視線をミズノに戻し、また笑った。



「授業、始まっちゃうよ。いこ」


「あ、うん」



 そう言って歩き出したユウキを追いかけながら、先ほどの男を見るユウキの眼の色を思い出して――ミズノは背筋が寒くなるのを感じた。

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