笑う女



 ピーク時を過ぎた昼間の電車は絶対に座れるというわけではないが程よく空いている。

 だからといって私には別段関係のないことだ。空いていても空いていなくても私には電車での定位置がある。扉口すぐ、椅子の肘掛けも担っているあの角のコーナーだ。立ちっぱなしになってしまうが扉や肘掛けに寄りかかれるし、目的地につけばすぐ降りられる。下手に席に座る楽さよりも、素早く動けるここが都合良くてついそこを選んでしまう。

 そんないつもの定位置に立って携帯をいじっていると不意に「あははは」という甲高い女の声が辺りに響いた。

 寄りかかっている背の方から聞こえてくる。何事かと訝しく振り返るがそのときにはもう既に笑い声は収まっていた。

 席は全て埋まっており幾人か女性が座っていて、音楽を聴いたり携帯を弄ったりと皆それぞれ何かしらしている。声のした場所に当たりをつけるけれど、笑い声をあげたように見えるそれらしき人は見受けられない。

 面白動画でも見てたのか? それにしたって自重してくれよ、と前を向きなおし、暫くまた携帯を弄っているとまた「あははは」と甲高いあの声がした。

 声のした方に目をやるがそんな人はやはり見受けられない。

 一体誰なんだこんな非常識なやつは。

 1人苛立ちが募っていくが、当の座席に座る人達はまるで何事もなかったように振る舞っている。あんな非常識な奴がいても大人の対応が出来るなんて皆、人ができているのだな、と感心する。

 視線をずらせばベビーカーに乗った子どもと目があった。まさか先程の声は子どもの声かと思案を巡らすがそんな感じでもなかった様に思う。

 もうなんなんだよ、くそが。

 小さく悪態を吐き、扉を背にし身体を座席側に向ける。

「まもなく終点◯◯、◯◯です」

 終点を告げるアナウンスが流れた。あと数分も経てば駅に着くだろう。

 こうなったら少しの間でもいい。このまま静かに駅に到着するならそれはそれでいい。また声を出すようなら声の主を見つけて文句でもいってやろうと思う。

耳を澄ませ声のした辺りをじっと見つめる。

 しかししんと静まり返る車内に鳴り響くのはガタンガタンと電車を走らす音だけ。

「終点◯◯、◯◯です。お降りのお客様は───」

 結局その後、誰も声など漏らすことなく駅に到着した。

 晴れないモヤモヤの中、反対側の扉に「こちらの扉が開きます」と表示されているのを確認して、今日はハズレかと肩を落としながら足を踏み出す。

 あははは。

 私の行動を嘲笑うようにあの甲高い声がすぐ後ろからした。

 結局どいつだったんだ、そう思って振り返りかけてハッとした。

 そうして私は後ろを振り向かず、無関心の雑踏へと足を進めた。


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