人間失欠
成績は平凡、運動も人並みにはでき、顔は可もなく不可もなくといった私には、ちょっと変わった友人がいた。名を瀬嵜という。この男、社交性、協調性というものは全くなく、自分の興味のある話題にしか反応しない。何かに興味を持てばとことんそれを追求し、夢中になりすぎ食事、睡眠、排便といった人間生活を止めてしまう。
本来ならば幸福を呼びそうな福耳の先は尖っており、そんな耳のつく真ん丸な顔の半分は口が占め、その隙間から見える歯は並びががたがたと姿も些か人間離れしている。
要はこの男、俗にいう変人なのである。いや、ただの変人ならばまだよかったのだ。
彼と知り合ったのは大学1回生のことであった。この男、まだ私と知り合った頃はただの変人であった。
学舎の入り口脇の花壇の前で長蛇の列を作り働いている蟻を一心不乱に一日中観察していたり、講義終わりの講師を呼び止めなぜ鉄の塊が空を飛んだり地を速く走るのかということを半時以上聞き糾してみたり、真かどうか彼の変人話は百物語を悠に超えていると思われた。
初めこそ私の好奇心が働き彼の奇異について回ったものだが、それは月日を重ねるごとに異様さを増し、しまいにはついていけなくなった。本来ならばここで友好関係などなくしてしまうのが道理かもしれない。だが、残念なことに私はこの男に親友などという情を抱いてしまっていて彼の多少の異様さならば見慣れてしまい、常識というものから感覚がいくらか麻痺してしまっていたのだ。
時々本当にどうしてこんなやつに付き合っているのだろうかと疑問が湧くこともあるが最終的にやつのおこぼれが頂けるからだという結論に至る。こいつは頭が良いのだ。興味を持ったものをとことん追求するだけあって知識が異常なほど豊富なのだ。下手な講師の講義を聴くよりもよっぽど為になり、課題のレポートのテーマにネタを事欠くことはなかった。
彼と付き合う理由は結局それだけかといわれれば、そこは少し訂正しなくてはいけない。彼の言葉を借りるならば、私の答えは追求すれば好奇心に他ならない。私は彼にどこか憧れている部分もあるのかもしれない。平々凡々な私の生活の中の唯一の奇怪。在り来たりな物語には意外性のある布石程度の刺激も必要なのだ。
さて快晴すぎる今日日、今にも走りだし青春を謳歌しようとする若者を捕まえ、人気のない学舎に連れ出したのは紛れもない瀬嵜であった。もちろんこの青春を謳歌しようとする若者とは私のことである。彼は真剣な眼差しを私に向けた。
彼の最近の夢中は体内の内部構造を知ること、いや正確には解剖であった。始めは蛙、鼠、猫と対象物の大きさが徐々に増していき最近ではカンガルーを解剖したという噂を聞いた。とうとう私の番なのかと20と数か月を思い返し平々凡々な人生であったと意を決して尋ねたが、まだ今はそのような資格は持っていないと一応は否定をされたが明確なる今後の生命の保証まではされなかった。
ならば何が望みだ。私をこんなところに呼び出して。焦るわけでもなく、泣きだすわけでも、声を怒りで震わせるわけでもなく淡々と聞いてやった。
するとこの男、私の両肩をガシリと力強く握ると「お前のことをもっとよく知りたい」と熱く語ってみせた。止めてくれ、傍から見れば男が男に愛を告げているようではないか。冗談ではない。そもそもこの男に愛などと幻想的な感情が存在したのかこれは驚きである。などという冗談はさて置き、長い付き合いである。これが愛の告白でないことは百も承知であった。
「それで私の何が知りたいんだ。体重か、身長か、これまでの成績か、出生の秘密か、名前の由来か、それとも今日の下着の色か」
「いや、そんなものは全て知っている」
「ほう、教えた筈もないあれやこれをなぜお前が知っている。お前は神か。……まあいい。ならば何が知りたいんだ」
私の今一度の問い掛けに瀬嵜は少し視線を外し、口を開いた。
「お前は俺のことを変人だと思うか」
これはなんということだろう。驚きの答えが返ってきた。それを今更私に聞くのか、今更それに気が付いたのか、そんな答えが私の表情から伝わったのだろう。いや、そもそも瀬嵜は答えを必要としていなかったのかもしれない。その証拠に私が口を開く前に新たな問いを仕掛けてきた。
「ではお前はお前自身を平々凡々な人間だと思うか」
これまた奇妙な問いである。しかし私は即答してやる。
「何をやっても平均的な私を他になんと呼ぶよ」
他に何か言い方があるのならお教え願いたいものだ。だが、瀬嵜はこう切り返してきた。
「それはあくまでもお前の物差しだろう。俺からしてみればお前たちのほうが変人だ。考えてもみろ。病気というものは自分とその他大勢を比べた際に他の奴と違うところを病気というだろう。もしかすれば異常なのはその他大勢なのかもしれんのに。他にも例えば自分達を中心に見るから他の人種は外国人と名称うったりする。要はなにを基準にするかではないのか」
「成る程、卵が先か鶏が先か……どちらを主とするかどうかで答えが決まる。あれもまた似たようなものだということか」
まさにそれは理に適った返答であった。
確かにこの男の云う通りかもしれない。そもそも正しいとは誰を、何を指し示すことなのだろうか。私の顔をしげしげと覗き込むその目に映る平々凡々だと思われる私を見ながら思う。
「そうだな、……そうだな」
誰にいうでもなく囁いた言葉が瀬嵜の耳に届いたかは定かではない。
ふいに歩きだした私の後ろをてこてことついてくるその男の気配を感じながら私は空へと移した視線の先を細めるのであった。
―――嗚呼、どちらが正常なのやら。
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