続く物語
本日のご来場誠にありがとうございます。暫しの間、この拙い道化にお相手を。
さてさて、本日の演目は「愛」をテーマにしております。
さぁ、こちらのテーブルに置いてあります一通の手紙。なになに、「なにをやっても許されるとこの愛を過信している貴女をいつまでも好きでい続けるなど私にはできない」おやおや、手厳しい。しかし、いつまでも在り続けぬ形のないもの、それもまた愛という存在なのかもしれません。当たり前のようでいて、不確かな存在。無くして気が付くこともあるでしょう。果たして永遠の愛などこの世に存在するのでしょうか?
それはお客様次第かもしれません。
おや、始まりを告げるベルの音。それでは、―――幕が開かれます。
※ ※ ※
これは遠い昔のおとぎ話。「むかしむかしあるところに……」で始まるこの物語。
眠りにつく姫君、彼女の周りに張り巡らされた太く鋭い棘の生えた蔓は何者も近づくことを拒んでおりました。
「ねぇ。いつになったらかっこいい王子様が私の眠りを覚ましに来てくれるの。品も若さも美しさも全てを兼ね揃えたこの私に何が足りないの」
「そうですねぇ。とりあえず僕の背中に乗っている足を下ろすことから始めてはいかがでしょうか?」
青年が床拭きをしていたところ突如背中に感じた重みは姫君の足でありました。
「なによ、自由にさせてくれてもいいじゃない。お城にいたころは毎日毎日お勉強に踊りのお稽古、礼儀作法。あれはダメ、これもダメ……あぁ、もう息の詰まること! 糸紡ぎのおかげで今の私があるのよ。この世界でくらい自分の好きにさせてくれてもいいじゃない」
「姫様は十分好き勝手自由になさっていたではありませんか。糸紡ぎの件だって……だから今こうして眠りにつかれているわけですし」
「あぁ、もう! かっこいい王子様、早く私の眠りを覚まして幸せにしてくれないかしら」
姫君は明後日の方向を向かれ、もう既に別の世界へ。
はぁ、と深く青年は息を吐き、身なりを整えなおします。
「姫様。ならばどのような王子様をご希望ですか?」
「金持ち」
暫し、青年は停止致します。
「お金持ち……ですか。姫様も一国の姫君。十分お持ちだと思うのですが……」
「あれは父上と母上、そして国民のものであって私のものではないわ。私は私のためだけに好きなものを買い与えてくれる金持ちの王子様に目覚めさせて欲しいの」
返す言葉をなくした青年は暫し考えましたが、結局いい言葉など思い浮かばず途方に暮れてしまいました。
そこへどこからともなく足音が聞こえて参ります。青年は姿勢を正し深々とお辞儀をします。
「姫様、王子様がお越しです。どうか良き出会いでありますよう」
「お目覚めですか美しき姫」
姫君を眠りから覚ましたのは煌びやかな装束を纏った笑顔の眩しい王子様でありました。その傍らには幾人もの従者を従えております。
「このお城で長き眠りに就かれているとの噂を聞き、貴女を救い出して差し上げたいと遠く彼の地よりやってまいりました。荒れ狂う大海原を進み、灼熱の大地を踏み越え、凍てつく風をもものともせず、険しい蔓を幾つも薙ぎ倒し、美しき貴女様の元へとこうして多くの従を従え馳せ参じました。失礼ながら姫君。こちらのお部屋が少々美しい貴女には相応しくないと勝手ながら壁と床を金色の大理石に張り替えさせて頂きました。それから宜しければこちらを。きっと貴女に良く似合うと金色の花嫁装束を用意してまいりました。さぁ、美しき姫、私の財力全てをかけて貴女をこの先も幸せにしてみせましょう」
「まぁ貴方が私の眠りを覚ましてくださったのですね。このような素敵なものをありがとうございます。本当にそうならばなんと素敵な夢物語でしょう」
姫君は王子様に優しく微笑みかけゆっくりと言葉を紡ぎます。
「チェンジで」
「ないないないないないない」
姫君は端から端へと忙しなく部屋中を歩き回ります。
「何が問題なのですか? 姫様が望まれたようにあの御方は多くの富をお持ちのご様子。どこに不満があるというのです」
「どこもかしこもよ! ねぇあれみた? これ見よがしに全身金色の衣服に身を包んで、笑みの度にあの唇の隙間から覗く金色の歯。どこもかしこも眩しくて仕方ないわ! あぁ、今思い出しても寒気がする。金色金色金色。なにあのお金持ちアピール。あんなの自分の財力を自慢したいだけの木偶の坊に決まってるわ。誰も彼もお金がある男になびくなんて思っているのかしら、なんともまぁ舐められたものね」
「つまりお金は大事ではない、と?」
「そうね、私が間違っていたわ。大事なのはお金ではなかったわ。慎ましやかでも幸せは幸せに変わりないもの。大事なのは私を何よりも優先してくれる大きな愛だわ、そうよね!」
姫君は大きく拳を天へと突き上げます。
そこへどこからともなく足音が聞こえて参ります。青年は姿勢を正し深々とお辞儀をします。
「姫様、王子様がお越しです。どうか良き出会いでありますよう」
「お目覚めですか愛らしい姫君」
姫君を眠りから覚ましたのはこの城を取り囲む巨大な蔓をものともせず、たった一人でこの場所に辿り着いた勇敢な王子様でありました。
「このお城で長き眠りに就かれているとの噂を聞き、貴女を救い出して差し上げたいと遠く彼の地よりやってまいりました。噂を耳にしてからというもの貴女のことを想わない日は一日たりともなかった。貴女のために富も名誉も妻も子供も全てを投げ出してまいりました。貴女との新しい生活のために住居も既に用意してございます。そうだ、子供は三人、それから大きな犬を飼いましょう。そして庭には薔薇を植えましょう。真っ赤な薔薇を。きっと真っ赤な薔薇は貴女の美しさに良く似合う。嗚呼、私には貴女との幸せな未来しか見えない。さぁ、愛らしい姫君、貴女を私の全てをもって幸せにしてみせましょう」
「まぁ貴方が私の眠りを覚ましてくださったのですね。そうまで想っていただけるなんて私は幸せ者ですわ。本当にそうならばなんと素敵な夢物語でしょう」
姫君は王子様に優しく微笑みかけゆっくりと言葉を紡ぎます。
「チェンジで」
「怖い怖い怖い怖い」
姿見の前で青年に髪をすかれながら姫君は鳥肌の立った腕をこすります。
「何が問題なのですか? 姫様が望まれたようにあの御方は全てをなげうってまで姫様を愛しておられるご様子。どこに不満があるというのです」
「どこもかしこもよ、全部ぜぇえええんぶ。私のために全てを捨てた? 家まで用意している? 嗚呼重い重い。私のため私のためってそんなの自分勝手なエゴじゃなくって? こちらの意も介さない押し付けられた愛なんて窮屈至極だわ。そんな愛、拷問と何が違うというの」
「つまり、大事なのは何よりも優先してくれる大きな愛ではない、と?」
「そうね、度の過ぎた愛などではなかったわ。大事なのは包容力ね。私のため、なんていう押しつけではなくて私のことを考えつつ傍で間違ったことはちゃんと指摘してくれる。そんな大人の大きな包容力よ」
青年がすいてくれた姫君の髪は艶やかで不意に吹いた風になびききらきらと揺らめきました。
そこへどこからともなく足音が聞こえて参ります。青年は姿勢を正し深々とお辞儀をします。
「姫様、王子様がお越しです。どうか良き出会いでありますよう」
「お目覚めですか可憐な姫君」
姫様を眠りから覚ましたのはイギリス紳士のような品に溢れた、しかし王子様というには多少お年を召した長身の小父様でありました。ですが非の打ちどころもない完璧な佇まいにはきっと誰しも目を奪われることでしょう。
「このお城で長き眠りに就かれているとの噂を聞き、貴女を救い出して差し上げたいと遠く彼の地よりやってまいりました。私は貴女と共にこの先を生きていきたいと心より強く願っております。病める時も健やかなる時も二人支えあい、時には喧嘩をすることもあるでしょう。だがそれでも互いに尊敬できるような人間で在りつづけたいと思う。たとえ世界中の誰もが貴女の敵になったとしても私だけは貴女の味方であることを誓おう。何よりも私は貴女と共に未来を歩んでいきたい。きっと貴女との未来は私を退屈させない素晴らしいものになるだろう。さぁ、可憐な姫君、私の手をお取りください」
「まぁ貴方が私の眠りを覚ましてくださったのですね。本当にそうならばなんと素敵な夢物語でしょう」
姫君は小父様の差し出す手に手を伸ばします。しかし、その手は触れる前に動きを止め、離れてしまいました。
「貴方は非の打ちどころもないほど良い方だわ。貴方とならきっと誰もが羨む素晴らしい未来を迎えることができるに違ないわ。そう、私にはきっと勿体ないくらい素晴らしい御方。でも、貴方ではないの」
「ならば君は他に一体何を望むというのだね」
姫君はいつものように小父様に優しく微笑みかけゆっくりと言葉を紡ぎます。
「チェンジで」
どこか遠くのほうを見つめる姫君を心配そうに青年は覗き込んでおりました。しかしその顔を姫君は右手で押しのけます。
「近い、うざい」
「姫様、どうかなさったのですか。気分でも優れないのでしょうか。それとも喉でも乾いておられるのでしょうか」
「なんでもないわ。私にだって色々思うことがあるのよ。ちょっとくらい物思いにふけることがあったっていいじゃないの。私が何をしようとも貴方には関係のないことでしょう」
青年は開きかけた口を噤みなおします。しかし、意を決し言葉を紡ぎます。
「姫様は一体どんな方をお望みなのでしょうか? 容姿端麗でお金持ちで、賢く、またお優しいそんな御方でしょうか? またはそのどれでもない醜男で性格も悪く、気が小さく品のない御方でしょうか? 貴女の望んだ方が目の前にいくら現れようとも貴女は全てを否定なさる。私には貴女のお考えが理解できません」
「……えぇ、そうでしょうね。貴方になんて私の心など到底理解できないわ」
見つめあう二人に冷たく時間だけが流れます。
そこへ鐘の音が大きく響き渡りました。
「姫様、残念ながらどうやら時が来てしまったようです」
その鐘の音は百年を告げる合図の音でした。眠りに落ちた姫君の目覚めの時がやってきたのです。
「百年という間、この私めにお付き合い頂き感謝の言葉も尽きません」
青年は少し悲しそうな顔をしました。しかし、直ぐにいつのも微笑みを浮かべ姿勢を正します。そして深々と頭を下げた青年に姫君は冷たく応えます。
「……そうね、清々するわ。いつも小言ばかりの貴方にも愛想が尽きたところよ。こんな我儘で身勝手な小娘に付き合わずに済んで貴方もこれで清々するのではなくて?」
「いえ、そのようなことは決して」
青年は凛と姫君を見つめます。
「きっと私は不甲斐ない男でしかなかったに違いありません。ですが申し訳ございません。貴女は確かに憎まれ口ばかりでしたが、それでもそんな貴女さえ不釣り合いの身分とわかっていながら私は百年もの間愛おしく思っておりました。姫様に在られましては良き伴侶と巡り合いいつまでもお幸せでいらっしゃることをお祈りするばかりでございます。どうぞ、良き旅路を……」
青年の口がさようならと動いた気がしました。
姫君は目を覚まします。いつもなら目覚めさせてくれる王子様がいるというのに今度は誰もおりません。
静かな部屋には姿見と小さなテーブルが一つだけ。
重たい身体を起こして姫君はテーブルへと足を運びます。そこには一通の手紙が。
手紙を掴むその手は小刻みに震え、筋張って骨は浮き彫りになっておりました。傍若無人な気の強い美しい姫君の姿はどこにもなく、鏡に映った老婆は嗚呼と嘆きます。
「心の中など、口にしなければ伝わらないというのに。欲しいものなどもう既に手に入っていたというのに。いつまでも当たり前なものなど存在しないのだとわかっていたというのに、私はなんと愚かだったのだろう。そう私はあの子に伝えなくてはいけないの」
そうして姫君はまた永遠の深い眠りにつくのでありました。
※ ※ ※
カーテンコールを繰り返す役者たち。鳴りやまない拍手。会場には道化の笑い声が響き渡ります。
嗚呼、めでたし、愛でたし。
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