赤子橋



「あんたはあの橋を渡って来なさったんか」

 お爺はその娘の姿を見て思わず目を丸くし声を漏らした。しかし、すぐに何事もなかったかのように娘を家へと招き入れ、ゆったりとした口調で言葉を紡いだ。

 ……よう来なさった。何もないこんな田舎になんしにきなさった。

 娘が「赤子橋の噂を聞いて」と答えるとお爺は全て合点いったようで、「ほいじゃあ、あんたにもちいと昔話せんといけんの」と囲炉裏に薪をくべた。

 昔、この辺の村に富子という女がおった。富子は気立てのよい女で、その上大層な働き者じゃった。その仕事っぷりというたら男顔負けで誰も富子には敵わんかった。

 そんな富子があるときふらっと村を出ていっての。帰ってきたと思ったらお腹に子を宿しとった。誰の子じゃと問うてもなんも言わんと、ただうちが一人で産んで育てるっちゅうんじゃ。仕方なぁからなんも聞かんと、米やら野菜やらをたぁんと持ってってやった。

 ほんで、あれはもうじき産まれるいう時じゃった。急に富子が熱を出しての。それは酷い熱じゃった。医者がいくら薬を調法しようがいっそ効果のぉてな。可哀相に、母体助こうためにそん時お子は亡ぉなってしもうた。

 富子はそれから毎日泣きあくれてな。自分のせいじゃ、自分のせいじゃいうて。そりゃあもう見ておられんかった。じゃがある時、富子がぴたりと泣くん止めたんよ。代わりにふらぁっと村の外れにある瀬岸橋の方へ歩き出した。瀬岸橋の向こうは竹林になっとって、その奥は光も差さんから暗うてなんも見えん。富子は橋を竹林の方へ誘われるかのうようにゆっくりゆっくり進んでいった。

 橋を半分くらい進んだところじゃったろうか。ふと微かに赤子の泣く声がしたんよ。富子は最初、幻聴じゃと思った。じゃが声はどんどん大きゅうはっきり聞こえてくる。よう耳を澄ましゃあどうやら声は橋の村側から聞こえてきとる。えんえん泣く声に富子は我に返っての。この声はきっと産まれて来れんかった自分の子の泣き声じゃと思うた。産まれて来れんかった子がそっち行くないうて引きとめとるんじゃってな。富子は泣きそうになるんをぐっと堪えて声のする方へ進んで行こうとした。じゃが、富子の足は橋に縫い付けられたようにいっそ動かんでの。その間にも赤子の声が今度はどんどん激しゅうなって、終いにはそれはもう責め立てるような泣き叫び声じゃった。今度はその声がだんだん富子に近づいてくる。すると富子は急に何かがぷつんと切れたように叫び出し、顔を掻き毟りながらとうとう橋から崖の底へ落ちていってしもうた。

 娘は少し身体を震わせながらお爺の話を聞いた。聞いた後、何処か戸惑いながらゆっくりと口を開いた。

「その瀬岸橋が今の赤子橋なんですね」

 橋の色が赤かったのもあって「あかご」橋なんぞ、漢字も読み仮名も変わってしもうたがの。

 お爺は呟くように言葉を放ち、それから、「知らんうちに誰かが自殺の名所なんぞいいおって」と困ったように笑った。

「あんたも自殺しに来なさったんか」

「いえ、私はただそういった話を聞くのが趣味のようなもので」

「それでわざわざこんな田舎に来なさったんか」

 今度は娘が困ったように笑った。

「なあ、あんたはどうして赤子橋から死ぬる人が多いいんじゃと思う」

「そうですね……。やはり、富子さんの呪い……、いえ、赤子の呪い、でしょうか」

「呪い、のぉ……。富子の間違いはあの橋を渡りきらんかったことじゃろうか。赤子のほうへ早うかけ寄らんかったからじゃろうか。……わしにはそんなもんようわからんが、村のもんは誰もあの橋を渡りゃあせん。渡ったとしても何があっても絶対に後ろは振り向かん」

「なぜですか」

「振り向いたら、そこにおるからじゃ。わしらはそれと紙一重で背を合わせとる」

「え、何とですか」

 娘は思わず後ろを振り向きかけたが思いとどまった。お爺は娘の顔を食い入るように見つめ、にたあと口角をあげた。


 ほら、あんたの後ろにも――。



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