これは夢か幻か
「お迎えにあがりました、ノア姫」
(ふぇ?)
美青年が慣れた仕草でノアの手を握り、指先にそっと口づけを落とした。
(……え?)
眩しい笑顔を向けられ、思わずノアも赤面する。
(誰だろう? 知らない人、だけれど。久しぶりに人を見たなあ)
ここ最近では夢にすら人が出てこなかったから。
話しかけられたことにもそうだが、人の姿を見たことに少し感動してしまう。
だいぶおかしい。私だいぶおかしいわ。
(ああ。そうか。夢ですね)
だって今ノアは色鮮やかに咲き誇るお花畑の真ん中に見知らぬ美青年と二人でいる。
どこだここ。
(なんて自分に都合の良い夢。まあ浸れるだけ浸っておきましょうか。せっかくですし)
このまま目を覚ますのももったいない気がする。
夢の中では不幸なことも起こらないだろう。さすがに。
やがて目の前の美青年はノアの肩をつかみ、そのまま唇を寄せてきて……
「襲われたのかっ⁉︎」
「……お、そわれ……た?」
キスされるのかと思ったのに不穏なことを言われ、思わず薄目を開ける。
襲われたとは何事だ。
目を開けたはずなのに目の前に人がいる。どうやらまだ夢の中らしい。
「変な夢ですね……もう」
「夢じゃない! 襲われたのか、と聞いている!」
先ほどのにこやかな笑顔はどこへやら。
悪鬼の形相で美青年は問いかけてくる。ノアの肩をゆさゆさ揺らしながら。
「ファイ様。失礼ながら、ノア姫様は夢と現実の区別がついていないのでは?少し強めに抱きしめてみてはどうでしょうか」
今度は違う声が聞こえた。
生真面目そうな声。
夢と現実の区別がついていないとは?
いやいやそれよりも。
「抱き、しめる……私を……?」
…………
………………
「ダメに決まってるじゃないですか!」
脊髄反射で飛び起きる。
そんな恐ろしいことをしてしまった日にはもうノアに責任は取れない。
「あ。やっと起きられたようですね」
「え?」
ぎぎぎ、とからくり人形のように首を回す。
曇った鏡、軋む寝台、古びた小屋。いつもの風景、の中に見知らぬ男が二人。
痛いほどの沈黙が部屋に流れる。
(人。人だ。人がいる)
頭の中を[人]という文字が埋め尽くす。
(誰? 夢じゃなかったの?)
驚き、恐怖、喜びの感情がぐるぐる回って何も言葉を発することができない中。
こほんとひとつ咳払いしたを眼鏡の男が口を開いた。
「失礼。驚かせてしまったようですね。私はランティスと申します。ファイ様の秘書をしております」
ランティスと名乗る男が目配せした先にいた男が今度は口を開いた。
「ファイだ。好きなように呼んでくれ。いろいろとすっ飛ばして申し訳ないが。とりあえず……襲われたわけじゃないんだな? そのドレスは」
ファイが気まずそうに軽く視線を逸らす。
(ドレス?)
二人に釘付けになっていた視線を徐々にずらしていく。ノアの、胸元へ。
肩、背中はもちろん。たわわな胸がぎりぎりのところまで露わになっていて。
「! きゃあああああ!」
「ファイ様真面目ですねえ。いい眺めだったのに」
「お前な……」
毛布を手繰り寄せ、隠すところは隠したが、顔の火照りはなかなか取れそうにない。
最悪だ。最悪すぎる。
もう本当についてない!
「誰だか存じ上げませんが出て行ってください!」
「いや。そういうわけにはいかなくてな」
ファイがノアに向かって一歩二歩と歩を進め近づいてくる。
赤面から一気に血の気が引いたノアの顔は次の瞬間真っ青になった。
手を前に出し、「止まってください! お願いですから!」と声をかけると、そこで彼の足が止まる。
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