第24話 ピアンヴィコ地方その7
「風邪はすっかりいいの?」
ダイニングルームで借り物の正装用のタイを結ぶエルマーに向かい、ミュケラ夫人が声をかける。こちらもゴールドのスパンコールが眩しいイブニングドレス姿である。慌ただしくイヤリングを着け、ハンドバックの中を確かめる。指輪、口紅などがぶつかり合うガチャガチャとした音が響いた。
「ええ、少し鼻声が残る程度ですよ。二日で治すなんて僕もまだまだ若い」
軽口に反比例してエルマーの顔は渋い。目線はテーブルに置かれた『招待状』だった。
「……どういうことなんだろうな」
アルフレートはその紋章入り招待状を見ながら、エルマーに自分のタイを渡す。受け取ったエルマーは子エルフの細い首にボウタイを結んでやる。
「なんでリボンがこんなにでかいんだ? 道化師と何が違うっていうんだ」
ぶつぶつ言うアルフレートを夫人が嗜める。
「アルケイディアの正装よ。文句言わないの。しょうがないじゃない、皇族の婚約披露会なんだから」
「だからそれはどういうことなんだ。誰と結婚するっていうんだ?」
窓から入る光はすでに夕日の茜色になっている。夫人は手鏡を覗き込むが「シャドーの色味がわかんないわ」とぼやいた。3人の慌ただしい準備はテーブルに置かれた奇妙な招待状の会場へ向けて進められていた。ルシアノル・フェッロニウスの婚約披露の場への招待だった。
「……本物のウルの女王を呼んだとか?」
「もっと面白い答えを聞きたいね」
アルフレートはエルマーの返答を鼻で笑った。子エルフもエルマー達が答えを知っているわけではないと分かっていたが、イライラをぶつけずにはいられなかった。頭の回転が速い彼は常に先を予測して行動する癖があった。それが出来ないとストレスを感じるのである。
メイドたちも主人の飾り付けに忙しく走り回っている。ニーベラが「奥様、ゴールドはありませんでした!」とベージュのハイヒールを差し出す。
「しょうがないわね。急なことだもの。これくらいのアンバランスは大目に見てもらえるわよ。暗くて見えないだろうし。……さ、行きましょう」
夫人に背中を押されて3人は玄関に向かい、使用人達に何個か指示を出すと小走りで馬車に乗り込んだ。窓から覗くと残される彼らも不安そうな顔をしている。アンタレラですら文句の一つも出なかった。
全員に笑顔がないのは寒さのせいではない。無意識に視線をあちこちへ泳がせる。どことなく3人は気が立っていた。場を和ませるおしゃべりも飛び出さない。急な登り坂になり体が傾くと、誰ともなく大きなため息が漏れた。
元より隣の敷地同士である。御者が三度ほど鞭を振るえば屋敷が見えてきた。すでに数台の馬車がエントランスへ横付けする順番待ちをしている。すでに寒さには慣れてきていたが、時間を潰すように指へ息を吹きかける仕草をする。
ルシアノルの住む屋敷は崖上の要塞のようだった。後ろの崖に迫り出すように建つその建物は天下の皇帝一族、というよりは永年を生きるヴァンパイアでも住んでいそうだ。グレーの外壁と黒枠の窓は無機質であり、事前にルシアノル本人の他は最低限の使用人しかいない、という話を聞いていた為か余計に寂しい光景だった。
「こちらが会場になります」
愛想の欠片も無い無表情の使用人により案内された場に、ミュケラ夫人は露骨に不機嫌になる。こんなに冷えた夜だというのに通されたのはバルコニーだったのだ。もちろん施設としては立派なもので広さも申し分ない。中央には白のテーブルクロスで飾られた丸テーブルがあり、色とりどりの飲み物と飾り切りされたフルーツが並んでいた。
すでに到着していたアナウス夫人、大佐夫婦のカゼラ夫人は毛皮を着込んでいる。大佐の吐き出すのは息なのか煙なのか判別がつかない。ふとアルフレートは耳を澄ました。すぐ下を流れる川が轟々と音を立てる。夏であれば涼を感じさせる演出になるのだろう。子エルフは無意識に首元を手で覆うような仕草を取っていた。
こちらに気づいた大佐が挨拶と共に耳打ちする仕草で近づいてくる。メダルが幾つも付いた立派な軍服に身を包んだヴァレッシ大佐はどこか不満げだった。
「なぜこんなに招待客が少ないんだろうな?」
そう言って口元の髭を撫でる。周りを見ると数日前に夜会で集まった面々しかいないようだった。友人が少ないと聞いてはいたが、それにしても妙な面々に思える。皇族はおろかその取り巻きすらいないようだった。
しかし大佐の影から顔を見せたカゼラ夫人の方は、純粋に祝賀ムードに酔いしれているように見えた。
「いいタイミングでこちらに滞在してて良かったわ。こんな場に招待されるなんて」
そう言って微笑む。夫人から渡されたレモネードのグラスをアルフレートは苦笑しながら受け取った。
そこへゆったりとした足取りで近寄る気配がある。アルフレートとエルマーは振り返ると会釈した。今日は体調がいいのか立ったままのアナウス夫人はくすくす笑う。
「私の占いが当たったと思わなくて?」
「感服いたしました」
アルフレートは素直に頭を下げる。
「みんなを驚かせる結婚。これほど完璧に占い通りな結果は私も初めてかもしれないわ」
こちらも自らの能力を目の当たりにして上機嫌だった。夫人のショールをブローチで留めようと手を伸ばすモーゼルマ嬢は珍しく感情が窺えた。苛立っているような気配を感じる。ブローチの止め具が上手く嵌らず、小さく舌打ちした。早く帰りたいということなのだろうか。当然だろう。誰にも興味の無い女性なのだから。
エルマーが隅に立つ二人組に手を挙げる。ルーセリオ、エベリアの調査官コンビである。すでに若い男爵夫婦として過ごす気は無くなったのか、ルーセリオは鋭い視線を皆に配り、エベリアはパンツスタイルになっていた。2人はアナウス夫人に挨拶すると調査官たちの元へ移動した。
「参りましたよ。全くの予定外だ。一応、本部には連絡したものの、正直バタバタです」
ルーセリオが頭をかく。エベリアの方も初めて会った時と同じように手を固く握りしめていた。
「その、変わった披露会ですわね」
エベリアの言葉にアルフレートは会場を見回す。使用人の帯同は無かった為その場にいる人数は極端に少なく、バルコニーは寒々としていた。加えて誰もが言い様のない不安に駆られているのだ。
中央に用意されたアルコール類と冷めた料理に手を伸ばすものは少なかった。そんな中、ようやく湧き上がる空気と控えめな歓声が上がる。主役であるルシアノル・フェッロニウスの登場だった。
「皆さん、お待たせして申し訳ない」
照れた薄笑いを浮かべた皇帝の従兄弟は今夜も機嫌は良さそうだった。初めて見る仕立てのいいスーツ姿にこざっぱりした顔。最初に会った時のような物憂げな影の薄さも、ウンディーネに連れ去られようとしていた日の焦燥感もない。純粋な多幸感。それは長く抑えられていた者が、ようやく息をしたような表情にも見える。
「……許婚とやらはどこだ」
エルマーがうめく。拍手の中でお辞儀をするルシアノルの隣には誰もいない。これから来るのか。なぜ一緒じゃないのか。そわそわと目を泳がせる数名と、無邪気に祝福の言葉をかける者で二分される。共通するのはルシアノルの空いた隣の空間に目をやる仕草だ。奇妙な空気の中、ルシアノルは声を響かせた。
「皆さん、急な招待にも関わらず集まっていただきありがとう」
静まり返る場に、落ち着いた声が響いた。
「今日という日に皆さんを招待したのには理由があります。なぜなら私が自分らしく生きられた日々に出会った方々だからです。木々に触れ、自然の風を受け、自然の恵みをもらって生きる日々。この数年は私の中で一番幸せだった。私という人間の節目であるこのような場には、ぜひ集まって頂きたかったのが皆さんなのです」
ヴァレッシ大佐が肉厚の手で大きな拍手を起こす。皆がつられて手を叩く中、ミュケラ夫人が一歩前に出た。
「乾杯しましょう!」
各々が手に持ったグラス越しにお互いの顔を見る。照明の光がガラスに反射し笑顔と共に目を細める。その時、アルフレートの頬に雫が落ちた。
「雨だわ」
ミュケラ夫人の声の後、皆が無意識に空を見上げる。見たところで意味はないのだが、その場の全員が視線を上にしていた。次の瞬間だった。何かが大きく動く気配に全員の視線がまた同時に同じものを捉える。ルシアノルの体がぐらりと傾いていた。
「あっ」
全員の声が重なる。一瞬のことだった。ルシアノルの長身の体は柵を越え、枯れ枝が風に飛ばされるが如く軽々と、崖の下へ消えていった。声も、音も、一緒に落ちていってしまったかのようだった。
誰もが凍りついたように動けない。永遠とも思われる静寂。次の瞬間、最初に動いたルーセリオとエベリア、そしてモーゼルマ嬢がバルコニーの柵に飛びつくと下を見る。救出に飛び込みそうになるルーセリオを慌ててエベリアが止めた。ルーセリオは頭を振り、エベリアへ外へ行くよう指示し、自身も走り出す。
大佐夫人がショックの為か倒れそうになる。隣にいた大佐が慌てて抱き止め、使用人に大声をあげた。
ミュケラ夫人の手が震えているのに気づいたアルフレートはそっと手を伸ばす。夫人はびくりとした後、その手を取る。
「大丈夫、大丈夫よ」
震える声が必死に子エルフを慰めようとしていることに、アルフレートは「あべこべだ」と感じつつも子供のように夫人に抱きついた。
「大丈夫よ……」
繰り返しつつ、アルフレートの背中を撫でる夫人はきっとその行為で自分自身を落ち着かせているのだと理解する。ならば、このまま子供のように甘えるのが正解なのだ。
これは復讐だ、とアルフレートは独り感じていた。水の精霊とルシアノルの自分に対しての復讐だと。彼らは自分に何を思わせたかったのか。うっすらと感じる虚無感の他に、何を思えばいいのだろうか。
川の水の音がやけに大きくなってきていた。それに混じり警備兵を呼ぶ笛の音がするが、きっとあの男は見つからない。そして探す手を止めることも無いのだろう。
後にエルマーが雨を嫌い、『生まれてこの方、最低最悪の経験』と語った事件になった。
ワールドクロニクル〜彼の足跡〜 イグコ @iguko
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