第10話 ポルトジェロ地区その2

 夜、アルフレートは一人で街を歩いていた。どうにも寝苦しく、そのまま部屋に篭もるよりかは、悪臭にまみれた街中だろうと、開放感がある分ましだった。シュパン邸前の通りを出れば一番最初に目につくのは、空に伸びる塔型の建物の群れ。中でも皇帝の住まう『陽光の塔』はその名の通り、日の光を独り占めにでもしたいように高く大きい。それでも合間から覗く月夜は美しかった。真ん丸の黄色は、意思を持っているかのように見える。

 足は自然と港方向へと向かっていた。昼間食べたジェラートの、味と、体の中から冷やされる感覚が忘れられなかった為だ。だがふと、静まり返る街に我に返る。この時間に店が営業しているわけがないのだ。アルフレートは頬をかいた。

 しかし通りを曲がったところで驚く。ポルトジェロ地区の大通りは、雑貨屋や八百屋屋台を除けば各店が煌々と明かりを放っていたのだ。間口の広い店舗の一軒一軒から、海の男達のしゃがれた野太い声が響いてくる。船上での鬱憤を晴らすように杯を空けるグラスや瓶の音。笑い声や怒鳴り合い、密度の濃い感情が充満している。

 少し歩くと昼間入ったジェラート屋にも明かりがついているのが見える。白いパラソルの下にいるのは瓶をラッパ飲みしているクーウェニ族二人だった。クーウェニ族は顔がワニのようで、筋力の発達した種族だ。何より目を引くのはオレンジ色の肌。その肌と筋肉を見せつけるように上半身は裸だ。そしてうるさい濁声である。今も揃ってやかましく、揃って不満を垂れていた。

 店に入ると、当然だが昼間とは店員が変わっている。日中のみずみずしい肌の女の子から、髭の生えたドワーフに変わっているのだから、丸きり雰囲気が違っていた。アルフレートは思わず、カウンターバーの中にいる顔の大きな異種族をじろじろと観察してしまった。手足は短いというのに、見事な筋肉が体中を覆っている。手先の指まで丸っこいというのに、実に器用にライムの皮を剥いていた。そのドワーフはアルフレートを見て「おやおや」と髭の中で口角を上げる。

「この街でエルフとは珍しい。しかもこんな子供とはね。まあいい、あんたの為ならワッフルケースを開けてやるぜ」

 ドワーフの男はそう言って、ジェラートの容器になるクッキー生地の収納ケースを叩いた。ブリキの缶が鳴るたびに男の顔がにやける。からかっているのだ、とアルフレートは理解した。そこで初めて店内を見回す。客たちの持っているのはジェラートでもサンドイッチでもなく、ビール瓶か飴色の液体の入ったロックグラスである。夜はバルの形体に変わるのだ。

「なるほどね」

 子エルフは生意気な仕草で息吐くと、店を出ることにする。

「おい、ジェラートはいいのか? グレムオレンジと蜂蜜、チェリー乗せなんておすすめだぜ、おい……」

 ドワーフの低音の声を聞き流しながら通りへと戻ったアルフレートは、自分がやってきた方角を見る。そして見覚えのある姿を見つけた。迷子の子供のように不安げな顔で辺りを窺う女は、よく見ればアレクシアの友人である。裾の長いワンピースとヒール靴という明らかに場違いな姿に、周りからの注目を集めていた。クーウェニ族の男に口笛を吹かれたところで、アルフレートは見ていられずに近寄っていく。

「おい」

 簡潔でぶっきら棒な声掛けにフィーネ・ヤンカーは肩を揺らすが、アルフレートの姿を認めるとほっと息を吐いた。クーウェニ族の男は奇妙な組み合わせだ、という感想を隠さない表情で見ていたが、アルフレートの睨みつけに黙って去っていく。柄が悪いだけで度胸は無いのも、この種族の特徴だった。

「こんなところで何をしている?」

 アルフレートが尋ねるも、フィーネは困ったように手を擦り合わせるだけだった。しかし、意を決したのか真っ直ぐにアルフレートを見た。

「実は、エルマー様とあなたにご相談があるのです」

「エルマーと……私に? それで付けてきたのか」

「ええ……お宅の前まで行ったところで、どう切り出せばいいか迷っていたのです。そしたらあなたが出てきて……」

 それを聞き、アルフレートは少女を変わった女だ、と思う。そして「ふうん」と返事した。フィーネの頬がさっと染まる。

「ごめんなさい。すぐに声を掛けるつもりだったの。でも本当にどう話せばいいか、わからなくて」

「それで、なんだって我々に?」

 恋愛や学生特有の悩みならアレクシアに相談すればいい。ならそれ以外ということだ。しかもこの時間である。

「エルマー様は学者でいらっしゃいます。あなたはエルフでしょう? エルフは皆、賢者だと聞きました」

「単純に知識を分け与えて欲しいわけか」

「知識……というより知恵でしょうか」

 小首を傾げるフィーネにアルフレートは手招きする。

「なんでもいい。エルマーが起きてる内に戻るぞ」

 言い終えるなりさっさと歩きだす子エルフを、フィーネは慌てて追いかける。再び閑静な通りに戻り、暫く歩を進めてからフィーネがふっと笑みを漏らした。

「ポルトジェロはこんな遅くまで賑やかなんですね」

「私も驚いた」

「貿易船を常時受け入れているのですものね。人の入りが途絶えないんでしょう」

 にこやかに話すフィーネの指先が、微かに震えているのにアルフレートは気がつく。緊張しているらしい。自分になのか、これから会うことになるエルマーになのか、両方になのか。アルフレートは中央公園越しに見える港の明かりを見ていた。






「今日は珍しく早めに寝ようと思ってたのに」

 談話室の安楽椅子に身を沈めながら、エルマーがぼやく。

「すみません」

 恐縮するフィーネに、ぼさぼさ頭の青年学者は手を振りながら、慌てて首を振った。

「いえいえ、こんな楽しい夜の茶会を予想するように、なぜ僕の勘は働かないのかな、と落胆しただけですよ」

「楽しいといいんだがな」

 アルフレートの呟きにエルマーが「しっ」と注意した時だった。湯気の立った盆を持ち、コンラートが入ってくる。

 この執事は空気を読むのが実にうまい。茶を出すタイミングだけでなく、今もそれぞれにコーヒーとビスコッティを配り終えると、さっさと出ていってしまった。

「それで、妹ではなく僕に相談とは?」

「ええ」

 フィーネは指先の震えが気になるようでカップには手を付けなかった。アルフレートはコーヒーにミルクを入れながらそれを見守る。

「父のことなのです。私の父は枢密院顧問官の一人、エグモント・ヤンカーです。その父についてご相談したいのです」

「お父上のご活躍は僕も耳にしていますよ」

 エルマーはにっこりと笑う。食えない男だ、とアルフレートは鼻で笑った。続きを話そうとするフィーネをエルマーが止める。そしてアルフレートを見る。

「『相棒』のために一度、枢密院について説明してやってもよろしいかな?」

「もちろんですわ」

 フィーネの快諾を貰い、エルマーはアルフレートに頷き、口を開く。

「枢密院は皇帝への諮問機関だ。数は100人ほどいる。それぞれ各分野の専門家がいて、皇帝へ助言出来るようになってるんだよ。この国での軍事、行政のトップは皇帝なわけだから、枢密院の権威はもちろん大きい。その枢密院を構成するメンバーを『顧問官』というんだ」

「大体わかった」

 あっさりと頷くアルフレートをフィーネは目を瞬いて見つめ、そしてまたエルマーの方へ向き直る。

「父がどうやって今の地位まで上り詰めたか、ご存知ですか?」

「移民家庭のご出身だ。ご苦労は多かったでしょうね」

 エルマーは先程同様、にっこり笑う。が、フィーネは強く首を振った。

「それは……確かにそうでしょう。様々な逆境に耐え、苦労を重ねてきた強い人です。でも、その強さも仮初めのものかもしれないのです」

 エルマーは少女の言葉を頷いて聞き終え、どう返事するべきかを考えるように体をゆっくり揺らしていた。その内「あー」という曖昧な声を絞り出した。

「お嬢さん、言っちゃ悪いが、議員をやる人間なんて身綺麗な人間はいないと思った方がいい。ましてやお父上は生まれもった後ろ盾など何も無い人だ。それなりの『付き合い』も必要なのだと思いますよ」

 エルマーの匂わせ、諭す言葉にフィーネはまたも激しく頭を振った。

「悪魔に身を売ったかもしれない、と言ってもですか!」

 フィーネの声に、アルフレートはぴくりと体を揺らす。少女の震えは止まっていた。エルマーは呆気に取られた顔を続けた後、アルフレートの顔を見る。そしてまたフィーネに視線を戻した。

「ええと、それは揶揄の表現と捉えてよろしいかな? それとも、ええと、本当に?」

 エルマーのたどたどしい質問にフィーネはゆっくり頷く。エルマーはアルフレートを見て、

「じゃあこっちの専門じゃないか」

と呟いた。異界の化物憑き、という話なのだからエルフの専門分野だと言いたかったのだろう。しかしアルフレートは黙ったまま見守った。その様子に諦めたのか、エルマーは「まあいい」と一つ咳払いする。

「それじゃあ聞いていきますよ。気は進まないけどね。……えー、ヤンカー氏には悪魔が憑いてる。その力で今の地位を築いた。この認識でよろしい? ……はい、じゃあ何故そう思ったんです?」

「父がなぜ平民プレープスから騎士エクイテスの地位を得たのかはご存知ですか?」

 フィーネのこの受け答えに、アルフレートは「エルマーの質問には答えてないな」と思う。案の定、青年学者は笑顔のまま固まっていたが、少女の質問に答えていった。

「間違いがあったら申し訳ないが、確かお父上はクラッセン辺境伯の元に傭兵として従事していたんですよね。その時、武勲を建てて騎士エクイテスの称号を得た」

「その通りです。そしてそれは、単に傭兵として活躍するだけでは、騎士エクイテスの称号など手に入らないですよね」

 当然だった。平民プレープスが、ましてや移民家庭の者が戦場で目覚ましい活躍を見せたとしても、それだけでは騎士になどなれない。騎士は一代限りの爵位であり、半貴族の身分で、位というよりは名誉職のようなものだった。それでも各領主よりその地位を承るのは、その領主に代々仕える一族が大半で、実質世襲制になりつつある。それ以外の者であれば、何か特別な、領主たちをうならせるような活躍があったはずだった。

「父が武勲を立てたのは『ヘイロー平原の戦い』と呼ばれる戦争です。多くのモンスターがクラッセン伯領に押し寄せ、食い止めなくては首都にまで被害が出ていたかもしれない、と言われた戦いです」

「ほう、あの『ヘイロー平原の戦い』の勇者ですか。二十年以上昔のことだが私でも知っているような出来事ですよ。……あれは裏で元々アルケイディア人だった闇魔術師が糸を引いていたから大きな騒ぎになったのですよね?」

「そのようですね。そしてその真相を暴き、魔術師を討ったのが父だということです」

 フィーネの言い様はいかにも冷めていた。自分の知らない時代の出来事だから、ではない。父親への感情を隠さなくなってきたのだ。

「それが真実なら、まさに勇者だ」

淡白な返事のエルマーとは対照的にフィーネの目の色は力を帯びていく。

「それをまた手引していたのが、父かもしれないのです。闇魔術師と手を結び、魔物を領地へと誘導した本人だというのに、皆の前では英雄であるかのように振る舞ってしたのです」

 エルマーの相槌にも淡々としか答えない少女に、エルマーは顎をかいた。

「細かい話もお聞きしたいが、しかし、こう言ってはなんですが、もう確かめようがないですなあ」

 ついつい本音が漏れ、青年は椅子に身を沈め直す。アルフレートはその間にフィーネを観察した。「悪魔憑きだ」という本筋を話したからか、今は落ち着いている。自分の話に疑問も持っていないようだ。少女はしばらくコーヒーで口を潤していたが、またエルマーを真っ直ぐ見る。

「あと半年で『書記官』の選挙があるのはご存知でしょう?」

「もちろん」

「父が出ることも?」

 エルマーは黙って頷いた。

「流れは父にある、と聞きました。しかし書記官選挙の投票権があるのは顧問官と宮廷貴族、それに一部の地方貴族だけです。最終的には保守派が地位を守るだろう、とも。そうなる前に、父が打つ手があるとしたら、恐ろしい事態が巻き起こるのではないか、と不安なのです」

 少女の話が終わり、ようやくアルフレートは口を開いた。

「父親がまた、闇の眷属と手を結ぶのではないかと? そしたら事件が起きるのはここ、アルカドになるな」

 フィーネはゆっくりとだが、深く頷く。

「そうです。首都が巻き込まれるとなると、被害を考えるだけで身が凍りそうですわ。そしてそんなことを、父が考えているとしたら。出来る人なのだとしたら……」

 今までの様子からして父親との関係は良好では無いようだったが、流石にこれを口にする時は顔が青白かった。アルフレートは再び少女をじっと見ると、また質問する。

「君にこの話をしたのは誰だ?」

 フィーネは答えづらそうに身をよじっていたが、小声で、しかしはっきりと答えた。

「弟の家庭教師のドリノ・カヴールですわ」

「身元ははっきりした男?」

 エルマーの少々失礼な質問にも、フィーネは表情を変えなかった。これまで同様はきはきと答える。

「もちろんですわ。推薦人も確かな方です」

 それを聞き、エルマー、アルフレート共に少々鼻白んだ空気になると、フィーネは不安げな顔に戻ってしまった。

「エルマー様、アルフレート様、いかがでしょう。私と一緒に父を探っていただけませんか? もちろん何も無いことが一番ですが、万が一があれば、父を止めていただきたいのです」

「まあ正直、雲を掴むような話で何をするかも浮かばない有様ですが、本当ならば放ってはおけないですな。出来る限りのことはしますよ」

 無難な返しの後、頭をかく青年と、その隣で黙ったままの子エルフを、フィーネは祈る体勢で見つめていた。

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