第9話 ポルトジェロ地区

***


 アルフレートとエルマーは港に来ていた。『ポルトジェロ地区』と呼ばれるアルケイディアの外洋側玄関口は、パクス石を並べた道も、立ち並ぶ倉庫も、海に浮かぶ大型帆船クリッパーの巨大な帆も全て白い。移動する船乗りや通行人も白い服を着た者が多かった。それらは厳しい日差しを反射し、辺りを瞬かせる。うだるような暑さから逃れるべく、二人は屋根のある店舗を探す。季節は夏真っ盛りに入っていた。

「これは『ジェラート』というんだよ、アルフレート。西の大陸の、ただ甘ったるいアイスクリームとは違うものさ」

 エルマーは乳白色のピラミッド型の氷菓を片手に語る。その説明にアルフレートは「たぶん同じようなものだな」と理解した。店員に勧められるまま選んだ苺のジェラートは、爽やかな酸味と甘味のバランスが素晴らしく、そして花にも似た濃い果実の匂いが頭を冴えさせる感覚すらした。

 大型のパラソルの下に設置されたスチール製の丸テーブルと椅子に向かい合わせに座り、通りを見る。場所柄だろうか。中心部以上に異種族や外国の者の姿が多いように感じる。貿易船の船員と見られる男たちや、商人、倉庫管理の者、旅行者の姿が行き交うが、木材を担ぎながら目の前を歩く男は赤茶の肌をした大きな種族『ガナン族』だし、隣りのテーブルでジェラートを頬張っているのは猫のような耳をした小さな種族『モロロ族』だ。

「アルケイディアにおける種族比率を知っているかい?」

 エルマーの質問にアルフレートは黙って首を振る。青年に講釈をお願いする形になるのが癪だが、面白そうな話題ではある。

「二年前の調査結果ではあるけど、人間――生物学上の言い方だと『ヒュム』が全体の7割。ドワーフが1割。その他種族が2割、その内もっとも多いのがガナン族、次いでモロロ族、クーウェニ族、だそうだ」

「人間はそんなに多いのか」

 アルフレートの率直な感想に、エルマーは大げさに肩をすくめた。

「おいおい、アルケイディアはヒュムが作り上げた国だぜ? ドワーフの地下帝国に住む変わり者の人間もいるらしいが、それでも全体の2、3%程度だろうし、君の故郷はエルフしかいないじゃないか。それを考えればアルケイディアがいかに『寛容』なのか分かるだろう?」

「……なるほど、言われてみればその通り。私が出歩いていても好奇の目が飛んでこないのは、この国だからか」

「そういうことだね。この先、色んな国へ行きたいなら、心に留めておくといいかもしれない」

 そこで話を区切ると、エルマーは一つ咳払いをする。通りに向けていた体をアルフレートに向かせた。

「ただ一つ、この『寛容』にも例外があるんだ。アルケイディアは知っての通り、帝政を取っているが、この頂点にいる皇帝と、あともう一つ、枢密院に『書記官』という役職があるんだが……その二つにはヒュム以外の種族はおろか『ニベール系アルケイディア人』以外がなったことがない」

「……なんだ、その『ニベール系アルケイディア人』ってのは?」

「ずっとずっと大昔、ミレニアムの時代よりも更にずーーっと昔から、ここ『アルカド』周辺に住んでいた民族の名前だ。ニベール人がここにアルカドという集落を作り、それが発展してアルケイディア王国になり、更に大きくなって現在のアルケイディア帝国になったわけだね。ちなみに我がシュパン家は北の『デツェン』方面からの移民が最初だから、『デートル系アルケイディア人』だよ」

 話を聞き、アルフレートは腕を組み唸る。人間とは寿命も短いくせに、妙に昔を気にするのだな、と。エルフの里にも『ヴェナトール』や『セブ』といった集落の括りはあるが、個人が引っ越してしまえば一世代でその土地のエルフだ。

 しかし短い寿命だからこそ、かもしれない、とも思う。エルフから見れば一瞬の寿命を使い切る中で、先人たちが作り上げてきた連なる歴史を神聖視し、見ることのない未来を子孫に託すのだ。弱い生き物ではある。しかしこの連鎖には、神秘性を感じずにはいられない。

「エルマー、君はデートル系なんだとすれば、皇帝にはなれない。不満はないのか?」

 子エルフの質問にエルマーはゆったり微笑んだ。

「例え僕がニベール系だとしても、皇帝なんて役職、僕には逆立ちしてもなれないだろうし、なりたいと思ったことも一度もない」

「だから不満も湧かないと?」

「正直、そうだ。それに例えこの慣習が不公平なものであったとしても、今更これに風穴を開けようとして争いが起きる方が、僕は嫌だね」

 あっさりとした言い様の青年に、アルフレートはまた唸る。保守的、事なかれ主義、などの言葉を使って批判したい気もする。が、エルマーの言うとおり、争いになればきっと傷つくのはニベール系の貴族ではなく、もっと下々の人間なのだ。それを考えるとこの青年の考えも理解できる気がした。

 ふと湧いた疑問をアルフレートは口にする。

「で、どうしてそんな話を?」

「うん、実は今言った『風穴』を、開けようとする動きがあるんだ」

 エルマーはジェラートの容器の紙を、くしゃりと潰す。大きく頬張った口をしばらく動かして、テーブルに視線を落としていたが、じきにそれを上げる。

「『エグモント・ヤンカー』、僕と同じデートル系のアルケイディア人でね。父親が少年時代、デツェンから働き口を探しに出てきたらしい。エグモント自身はアルケイディア人だが、父親はデツェン籍のまま亡くなってる」

「ってことは、平民プレープスだな?」

「いや、二十年前に騎士エクイテスの称号を受けてから、目覚ましい活躍をしてね。あれよあれよという間にアルケイディアの中枢に入り込んだんだ。同時に、地方貴族に婿入りして、今や立派な子爵さまだ」

「胡散臭い奴だなあ」

 アルフレートの言い様に、エルマーは愉快そうに、だが首を振る。

「彼は成り上がりの象徴だ。だから平民層と若い貴族に人気がある。そんな人物を悪く言いにくい空気が出来てる。その勢いのまま、今度は枢密院の書記官に立候補しよう、という動きが見えるらしいんだ」

「ふうん……やりたいならやらせておけばいいじゃないか。君の話だと、どうも反対らしいけど」

「いや、僕の意見はどうでもいいんだよ。どうせ書記官選挙の投票権も無いんだし。……それより学者の僕がオカルトめいたことを言うのが憚れるんだけど、どうも予感がしてね」

「予感?」

 子エルフの眉寄せた顔に、エルマーはゆっくりと答えた。

「嵐の予感さ」





 男二人の花の無い外出を終え、シュパン邸に戻ってきたのは昼過ぎだった。

「たまにはバルで一杯やろうと思ったのになあ」

 エルマーのぼやきにアルフレートは怒り出す。

「あんな煙の匂いがひどい場所に、少しでもいられるか! 大体、子供の行く所じゃないだろう」

「こういう時だけ、子供扱いされたがる……。コンラート、軽い食事とライムビールを頼む」

 執事のコンラートは帽子を受け取りながら「かしこまりました」と答える。顔が笑いを堪えているのは、二人の掛け合いが日に日にこなれてきて、面白いからだった。

 エルマーは入ろうとした談話室の前で止まる。先客の声に気づいたのである。

「お嬢様とご学友の方がいらっしゃいます」

 コンラートのお辞儀にエルマーは頭をかいた。

「こいつは失礼、食事なら我々がダイニングに戻ろう」

 このひょうひょうとした男も、うら若き女性達の前では気後れするのであろう、とアルフレートは横目で見る。踵を返す二人の後ろで、扉が勢い良く開かれた。

「あらお兄様、いつお戻りになったの?」

 狭い廊下にアレクシアの元気な声が響く。アルフレートが振り返るとこちらを見て目を丸くするアレクシアと、その後ろに初めて見る顔があった。美しい少女だが湿っぽい。アレクシアが陽だとすると陰、太陽と月のような対比を感じる。薄茶色の髪と瞳、そして雪のように白い肌は、この夏が厳しい国では浮いていた。骨格からして細い体躯は、エルフ族だと言われれば信じてしまいそうなものだった。

「丁度いいわ。紹介させてちょうだい。お友達のフィーネ・ヤンカーよ。去年から同じクラスなの」

 アレクシアから少女の名前を聞き、思わずエルマーとアルフレートの二人は顔を見合わせる。その様子を見て、アレクシアは不愉快そうに眉を寄せた。

「……何? ここには挨拶もまともに出来ない男性しかいないのかしら」

 妹の手厳しい一言に、エルマーは慌てて手を差し出し挨拶した。戸惑った笑顔でそれを受けるフィーネの顔が、アルフレートを見ると固まる。

「まあ」

 驚きに見開かれた目には、畏怖や嫌悪の色はない。しかしどう対応すればいいのか分からないらしく、言葉も出てこない。そんな彼女の前に出ると、アルフレートはうやうやしくその手を取った。

「アルフレート・ロイエンタールです。どうぞよろしく」

 人間の、それも大人がやるような仕草と言葉に、少女は自分の戸惑いを慌てて引っ込める。

「……こちらこそ、よろしくお願いしますわ。かわいい妖精さん」

 フィーネは恥ずかしそうに笑い、頬を染めた。






「いやはや、驚いたね」

 ダイニングルームの窓から通りを眺めながら、エルマーが溢す。シュパン邸の面するデロワ通りに、馬車に乗り込もうとするフィーネの姿と、見送るアレクシアの姿がある。それを見下ろしながらエルマーはコーヒーを啜った。

「フィーネ・ヤンカーと言ってた。さっきの話のエグモント・ヤンカーの娘か?」

 アルフレートの質問にエルマーは頷く。

「たぶんね。アレクシアと同じ年頃の娘がいる、とは知ってた。アレクシアからも『学校に議員さんの娘がいる』とは聞いていたんだが、まさかここが繋がるとは思わなかったよ」

「君がアレクシアの話を聞き流してただけじゃないか?」

「そ、それを否定出来ないのは、痛いところだ」

 下の通りをヤンカー家のボルドー色の馬車が走り去るのと、コンラートが食事を持って入ってきたのは同時だった。魚の酢漬けと玉ねぎのサンドイッチ、タコとじゃがいものマリネ、ライムビールをテーブルに並べると、コンラートはお辞儀をして出ていく。

 テーブルにつくと、子エルフがふっと笑みを漏らした。

「今更、港での話の意味がわかった」

 エルマーは黙ったままアルフレートを見つめた。

「エグモント・ヤンカーは多文化主義を代表とする、先進的な考えの象徴なんだ。でも、エグモントは書記官どころか政治家にも向いてないクソヤロウだ」

「汚い言葉を覚えちゃいけないよ」

 エルマーは微笑みながら子エルフをたしなめ、若葉色の発泡酒を口に含んだ。

「あまり感情は顔に出さないタイプのつもりだったんだけどね。握手を忘れたのを、嫌味だと捉えたのかな?」

「いいや、あんたはあの娘を、明らかに哀れんでた。今もそうだ」

 アルフレートは答えながら、窓を指差す。つい今しがた、その窓から妹と彼女の友人を見下ろしていたのを思い出し、エルマーが降参、とばかりに両手を上げた。

「僕だって基本理念は合わなくとも、大衆に受け入れられ、この国を明るい未来へ導いてくれる人物なら応援するよ。ただ、どうも嫌な話ばかり聞く男でね。金に汚いとか、あまり良くない組織と関わっているだとか」

 エルマーはそこで区切ると、言いにくそうにアルフレートの顔を見た。しかし睨み返され、仕方ない、というように続く言葉を口にする。

「魔法が使えるだとか」

 聞いたアルフレートはまず目を大きくし、次にどう反応するべきか迷う。自分自身が精霊を統べり、魔法を使うのだ。不愉快な答えだが、人間社会では魔法の存在が『あまり良くないもの』という漠然とした価値観で染められているのにも気づいていた。もちろん通りの街灯を代表とするように魔法の力を使っている部分はある。しかしエルフの暮らしに比べれば最小限のものだけだった。

 アルフレートは一先ず反論を押し込み、エルマーに尋ねる。

「君も魔法が怖いか?」

「もちろん」

 エルマーは即答して、続ける。

「例えば君が今、ここで『妖魔の森』で見せたような魔法を使えば、僕はおろかこの家も消えてしまうよね。でも君がそんなことはしないことも知っている。だから君を怖いとは思わない」

「まあ、確かに」

 アルフレートは口ごもり、ごまかすようにサンドイッチを頬張った。

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