第6話 カメリエット地区

「ここまででいいわ」

 アレクシアが御者に声を掛ける。

「へえ、じゃあここでお待ちしております」

 アルフレートはこの返答を聞いて初めて気づくが、御者の声は随分と若かった。少年、といってもいい。

「これであそこのバルに行って、ぶどう酒とパンでもお食べ」

 アレクシアが銀貨を手渡すと御者の顔が綻ぶ。給料は親へと渡るが、これは少年の純粋なお小遣いになるからである。

 アルフレートが馬車を降りてまず気がついたのは、道の舗装状態だった。シュパン家のある街の中心地に比べて、明らかに状態が悪い。敷石もまばらで、間隔が広い。ところどころ浮いてしまっているし、端の方など大きく禿げたまま放っておかれていた。道路の幅も狭く、馬車同士がすれ違うのもやっとのことだった。今回も馬車移動がここまでなのも納得である。

 中心地では街灯も等間隔に立っている。これは魔法の光を灯すカンテラを、頂上部に引っ掛けておく為の柱だ。柱自体も装飾が施され、街に調和するデザインをしているし、毎日役人が回ってカンテラを設置して、夜道であろうと照らされているのを見た時は、アルフレートは感心したものだった。エルフは夜目が利くため、考えもつかないことだったのだ。明かりをつける行為は視界の問題だけでなく、魔除けになる。人間に限らず生き物が集まって暮らす理由は外敵から身を守るためだ。煌々と明かりを灯し続けるのはとても効率的だと思えた。

 しかしここカメリエット地区にはそんな柱は一本も見当たらず、建物も平屋がほとんどだった。表から見ても明らかに基礎が歪んでしまっている木造の家が並ぶ様子は、エルフであるアルフレートですら何とも言えない気持ちに襲われてしまった。

「さあ、行きましょう」

 慣れた足取りで歩きだすアレクシアに付いて行くと、アルフレートはすぐに『護衛』が必要な理由が分かる。家の入り口の段差に座り込む男たち。家と家の間の狭い路地から顔を覗かせてこちらを伺う少年少女、といった、まだ昼間だというのに何をするわけでもなく、手持ち無沙汰な姿が多い。仕事がないのだ。彼らはみな痩せていて顔色も悪いが、目だけはぎらつき、何かあればすぐにでも襲いかからんばかりである。レースをふんだんに使ったり見るからに上等な服を着たアレクシアは、まさに狼の群れに飛び込む羊だった。

「……何もしなければ大丈夫よ。問題を起こせば、面倒なのは彼らだって一緒なの」

 アルフレートの顔を見たのだろう。アレクシアは自ら答える。そしてひと目のない所までくると、ふうとため息をついた。

「彼らのことを憐れみの目で見るべきか、対等だと思うべきか、私にはわからないわ。明らかに私よりも彼らは恵まれていない。でもそれは彼らの尊厳を傷つけることになる」

 アルフレートから見れば、ここの住民は生き物として最底辺の暮らしをしているわけではない。家があり、市壁に囲まれた街中にいるのであれば生命の危険に晒されているわけでもない。しかし、足掻いても這い上がることは出来ない沼に浸かり、光を遮る天井をじっと見つめているような空気を感じた。それは知能を持つ生き物として、とても不幸なことだ。

 アルフレートが答えを迷う内にアレクシアはまた溢し始める。

「それでも教会への寄付を続けることで、少しずつでもここの現状を変えなくてはいけないと思うの。それがアルケイディアの繁栄につながるはずだから」

「アルケイディアの明日を考えているとはね。まだこの国を大きくするつもりなのか?」

「そうよ、アルケイディアの思想や豊かさがどんどん広がればいいと思ってる。それには頭の良い人間がたくさん必要だわ」

 ふうん、とつまらなそうな返事をするエルフに、アレクシアは歩みを早めつつ続ける。

「大学以外の下等教育を担ってるのが教会なのよ。この国の、いいえ、ほとんどの国でも読み書きは教会で習うはずよ」

「ああ、なるほど」

 今度は納得の返事をする。商店街も無く、食堂も石工ギルドも無いような小さな村でも、教会は必ずある。この世界を創造した六柱の神を、信仰する人間がほとんどだからだ。その教会では大昔から、神々とのやり取りを始めとした歴史を書き記し、残す文化がある。すなわち知識人が多い。司祭や修道士が教育者となり、住民に読み書きを教えるのは自然な流れだった。

「何の神だ?」

「ラシャ神よ。この国の教会の半分以上がラシャ信仰のものよ」

「ああ……」

 六柱の神の中でも一番『反りの合わない』ものだった為、アルフレートは気乗りのしない返事をする。『至高神』とも呼ばれるラシャは、信者数も多いが、潔白な感の強いその教えから、アルフレートのように敬遠する者も多い。

 アルフレートの中で人生とは、真っ白だったキャンパスを隙間なく汚していく作業である。重ねられたインクが分厚ければ分厚いほど、色合いが美しければ美しいほど充実した人生になると思っている。アルフレートから見るとラシャの教えは真っ白でいることを強要しており、真っ向から反対したいものだった。子エルフには『つまらない人生を送れ』と言われているように思えたのだ。

 進むにつれ、増々景色が暗鬱としてくる。市壁に近いこの場所は、壁の作る影に覆われ暗く、ジメジメしていた。ガラクタを集めて作り上げたような家々が並び、景観など考えたこともないのではないか、という状態だった。ゴミが散乱し、石畳は途切れてむき出しの土がぬかるんでいる。隅にはネズミが走り、空気は淀み、屋根も扉もない家の中で女が寝ていた。

「もうすぐ着くわ」

 アレクシアの声に、アルフレートは初めて自分がそれらの光景を見て、唖然としていたことに気付かされた。




「アレクシア様、ありがたくお受けいたします」

 両手いっぱいの布袋を抱え、若い修行僧はそう言って頭を深々と下げた。アレクシアが持ってきた教会への寄付は金銭だけではなかった。古着が数着、革靴が一足、キルトの毛布が一枚、鞄に詰め込まれていた。

「こちらの二つは子供に配ります。毛布は角の家のオルガにあげましょう。彼女、子供が出来たそうなので」

「それがいいわ」

 会話を続ける修行僧とアレクシアを残し、アルフレートは教会を見て回ることにする。といっても小さな建物だ。数歩うろつけば終わってしまう。礼拝堂の最奥、主祭壇の上に掲げられたステンドグラスも、所々ひび割れ、欠けている。描かれているのはラシャの横向く姿だ。この神はいつも長い黄金の髪を持った若い男性として描かれる。右手を伸ばし、その指先には煌々と光が灯る。暗黒に包まれる世界を照らし、生物の一つ一つに光を与えていったのがこの右手だと、神話では伝えられているからだ。

 壁に掛けられた絵に視線を移すと、創世記を絵画にしたものの中で一番有名な物のレプリカがあった。横長のそれには六神が神話に沿った動きを取っている。中央に描かれているのはもちろん、至高神ラシャである。こちらも右手を掲げ、その指先は光り輝いている。

 ラシャの右隣に描かれる豊満な体の美しい女神は、大地母神フローである。絵の中では中央に浮かぶお盆型の大地に息を吹きかけている。その息吹の恩恵に預かれた大地は小麦色に染まり、黄金色に輝いていた。豊穣を司るこの女神は、農村部の人間に人気がある。

 その反対、ラシャの左に描かれる、周りに広がる海に荒々しく杖を突き落としているのは海神シュメルだ。海をテリトリーとするこの神は、勇気や吹き荒れる風をシンボルとし、船乗り達の心の拠り所である。

 その隣、やや目立たない形で描かれる女神は弓矢を手にしていた。アルフレートがそれに目を移した時、奥の部屋から一人の老人が現れる。

「エルフ殿は森の神メーニに仕えるか?」

 背中の丸まった老父はしゃがれた声でそう言った。メーニは森、動植物や水の流れを司る女神だ。静寂と共生を良しとし、エルフにもこの女神に仕える者は多い。老父が指先の黒くなった手で祭壇にバイブルを置くのを見届けてから、アルフレートは首を振り答える。

「いや、どの神にも仕えない」

 それを聞き、老父は豊かな髭を揺らしながら笑った。

「賢い者ほど物事を難しく捉える。神とは心の拠り所、救い、精神的な依存先。無理に一人で立つことを美徳とするでないぞ」

「しかし足枷も付けるだろう。例えばラシャを信仰すれば常に『正しくあれ』と強要される。私は自由に生きたい」

「わしは酒煙草は呑むし、日々小さな嘘もつく。だが、ラシャには見捨てられておらんぞ」

 そういう老父の右手が光を帯びる。彼がラシャからの恩寵を受けている証である。神聖魔法と呼ばれる司祭達の使う魔法は、神への祈りを代償に奇跡を起こす。神に見捨てられれば、魔法は使えないのだ。

 アルフレートはこの変わった老人をじっと見た。薄汚れたプリーストローブ、裾などいくつもの継ぎ接ぎがあるような物に包まれているが、小さな体の中に生命の精霊が力強く活動している。まるでエネルギーを持て余した若者のようだ。

「それは結構なことだが、祈りの時間があるなら本の一つでも読んでいたい」

 肩をすくめる子エルフに、老父は楽しそうに笑った。その笑みがふっと引っ込む。

「この辺りでは一つのベッド、しかも藁敷のを家族全員で使いまわしたりする生活をしている。まるで数百年は昔の、ミレニアムの頃のような暮らしだ。それでも希望は忘れてはならん。自暴自棄になった若者を何人も見てきたが、ラシャの教えによって踏みとどまった者も少なからずいるのだよ」

 老父の言葉は説教臭さは無く、淡々とした事実だけを語っていた。故にアルフレートには不快さを感じられなかった。そこへ修行僧とアレクシアがやって来る。

「ダントン神父、今月もシュパン様よりご寄付をいただきました」

 この小さな老父がここの主だったことに、アルフレートは少し驚いた。どうりで言葉に重みがある、とも思う。

「おお、アレクシア、ご機嫌麗しゅう」

 頭を下げようとする老父――ダントン神父を止め、アレクシアは質問した。

「オルガに子供が出来たと聞いたわ。父親になる人に、仕事はあるの?」

「最近はミルク缶の回収を手伝っておるそうだよ」

「そう」

 ほっとするような息を漏らす。そんな彼女の様子を見て、ダントン神父の目は悲哀混じりのものに変わった。

「アレクシア、どうか焦らずに。我々が深く感謝していることも覚えておいてくれ」

 それを聞き、アレクシアは少し頬を染めて、

「もちろんよ、もちろん……」

と呟いた。




 馬車への帰り道、アルフレートはアレクシアの目線が下がり気味なことに気づいた。道の状態が悪いために足元を気にしているのかと思ったが、そうではない。

「どうした?」

 その声かけに、一瞬の間を置いてからアレクシアは答える。

「自己嫌悪に陥ってたのよ。知らない間にここの人達を、モルモットのように見ていたのかもしれないと思って」

 ふう、と重い息を吐き出した。

「寄付金を届ける手伝いをするようになって、もう一年近くなるの。でも最初の頃と何も変わらない。ダントン神父の言う通り、目に見えて結果が出るわけなんてないのにね。相手は人間なんだもの。それに今回は、自分の中でも『こんなことに意味があるんだろうか』って思いがし始めてたのに、あなたにそれを指摘されそうな気がして怖くなったのよ」

「それは失礼、正直者なもんで」

 生意気な子エルフの言い様にアレクシアはふふっと笑う。口が悪いのかと思えば、最低限の礼は守る子エルフを面白いと思いながら。

 営業しているのかしていないのか、外からでは分からない雑貨屋の前に来た時だった。何かを思い出したようにアルフレートの足が止まる。

「どうしたの?」

 今度はアレクシアが質問する番だった。

「オルガという娘に会いに行かないか?」

「いいけど……どうして?」

「子を産む高潔な女性に、祝祷を捧げたくてね」

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