第4話 目に映る世界は

 エルマーが目を覚ますと、周囲は淡い光に包まれた重力のない空間だった。閉塞感はあるが、光源もないのに明るい不思議な場所だった。手足に思うような力が入らず、指先から毛先まで妙にくすぐったい。その理由は凝縮されたマナの中にいるからなのだが、マナを可視出来ない人間にはわからないことだった。

「ここは……」

 服の裾を払いながら呟くと、耳に聞こえるのはあの子エルフの声だ。

「キュクレインの中だ」

 にわかに信じがたい答えに、エルマーはアリュシオールの姿を探す。すると上部に同じく漂う姿を見つける。体に光をまといながら、まるで母体にいるように周囲の流れに身を任せていた。

「中、って……オーク達はいないみたいだけど」

 きょろきょろと周りを見回すエルマーにアリュシオールが答える。

「奴らは『浄化』されたんだ。我々はキュクレインが浄化する対象ではない。お許しをいただいてここに漂っているわけだ。でもそのうち消化不良を起こして吐き出される」

 それを聞き、エルマーは自分が浄化される側でなかったことに感謝し、同時に、ピンク色の化物に勢い良く吐き出される自分を想像し、身震いした。キュクレインの中にいるのだと考えると、このうっすらとした明かりも居心地の悪いものに変わる。

「吐き出されて、それが森の外になると?」

「さあな、出てみたらまたヴェナトール……エルフの集落のど真ん中かもしれない」

 理不尽な答えを受け、狼狽に呻くエルマーに、アリュシオールは澄まして答える。

「冗談だ。……今は私の命で動いている。森の外周へ行くよう誘導した。キュクレインは森からは出られないが、ぎりぎりまで頑張ってもらうさ。星鹿団はどうせ集落の周りにしか行かないしな」

 アリュシオールは頭の上で腕を組み、ロッキングチェアに揺られるかのように身を反らせた。星鹿団は自分を探しにまでは来ない。そう確信していた。集落を出て人間社会へ旅に出るエルフは、アリュシオールが初めてのことではないし、ただ今回は少し若すぎるだけだった。問題はエルマーと一緒のことである。あまり長く共にしない方がいいかもしれない。森に人間が迷い込むことも稀にあることではあるが、『人間を逃し、一緒に出ていったのがエルフである』という事実は、古老達も見過ごせないかもしれない。

「フェンディオールは君のおじいさん?」

 アリュシオールの思案を破ったのはエルマーの質問だった。

「いや」

 答えながらアリュシオールは祖父の意味を思い出す。世代を辿るのであれば誰も彼も親戚になるではないか。人間とは面白い概念に囚われる、と子エルフは生意気な感想を抱いていた。

「ああ、そうか、家族の概念は無いんだっけ。でももしかしたら血縁関係かもしれないよね」

 言い終えてから、エルマーは「ちょっと不躾だったね、失礼」と苦笑いした。この「プライベートの質問は押し付けがましく失礼に当たる」というエルマーの気遣いも、アリュシオールには不思議に思えた。アリュシオールには調べる気もその願望も無いが、フェンディオールが血縁関係にあるかもしれない、というのは本当のことだ。単に今まで気に留めたこともないだけである。事実であろうと相手にとって不快であるかもしれない、という空気を読み、先回りして謝罪するこの流れが、アリュシオールには面白いと感じた。

 人間とは力も無く、短命である。しかし数を増やすことで独自の文明を発展させてきた。数が多いということは他者との関わりが強くなる。それ故に人間は相手の気持ちを汲む行為を大事にするのではないか。慈悲の心もあるだろうが、そうすることによって全てが円滑に回るからである。これらのことはこの先も、アリュシオールが度々痛感することだった。

「人間社会を満喫したら、フェンディオールのところに報告しに行くと良いよ」

 エルマーの急な意見にまた子エルフは首を傾げる。

「なぜ?」

「あ、いや、君が彼に懐いていたから、ついね」

 エルマーの言葉にアリュシオールはどう答えていいかわからなくなった。集落の他のエルフに比べて話しやすいのは確かだったが、特別視したことはない。それを懐いていた、と言えるのだろうか。

「一人称が彼にだけ『僕』と」

 これを聞き、ぼんやりしているようでいて鋭い男だ、とアリュシオールは思った。そしてこの男に教わるまで、やはり自分は感情を捨てたままだったのだ、と気付かされるのだった。

 気恥ずかしいような気分に襲われたアリュシオールは、しばらく揺れに身を任せるだけになったが、今度は質問側に回ることにした。

「君の方は、もう森を出るのに不満は無いのか? せっかく万が一にも無い運を使って深部に入り込んだのに」

 それに対する答えは早い。

「この脱走劇に紛れ込んだ方が、貴重な体験が出来そうだ、と判断したんだ。それは間違ってなかったじゃないか」

 そう言って笑う男をまた、食えない男だ、とアリュシオールは思う。それはエルフからすれば手放しの賛辞に等しい。しかしそんな賛辞を送られたとも知らないエルマーは一通り笑った後は、またぼんやりとした顔に戻るのだった。

「そういえば、どうやって森の深部まで入り込んだのかを聞いてない。まさか本当に『運』だけなのか?」

 アリュシオールの質問は暗にそれを否定していた。ヴェナトールは森の中でも深部に位置するだけでなく、エルフ以外が入り込めないように様々なトラップが張り巡らされていた。空間を歪めてあったり、視界を遮断したりと入り込むのに一筋縄ではいかない。ただエルフ自身が出入りするために、一定のルートは確保されているため、数年に一度はエルフ以外の生き物が入り込むのだった。

「ああ……」

 エルマーは苦笑すると上着の内ポケットをまさぐった。引っ張り出したのは小枝一振り。ニスを染み込ませたように赤茶けた色に光っている。変わったところといえばそれくらいで、見た目は単なる木の枝である。

「遠い昔のドルイドが使っていたワンドだそうだ」

 その説明を聞き、アリュシオールは違和感に襲われた。その違和感はエルマーが嘘をついている、といったものではない。すんなりと手渡され、手の中で転がしてみる。死の匂いも禍々しい瘴気も感じないが、手に吸い付くように馴染むこのワンドが、アリュシオールには不気味に思えた。ぼんやりとした嫌な予感、というものだ。

「預かってもいいか?」

 アリュシオールは小枝を手に持ちながらエルマーに提案した。

「どうぞ、どうせ元は君たちの物だったりするんじゃないかな」

 確かに人間が生み出した物には思えない。それはどんなに能力の高いドルイドであったとしてもだ。ではこの奇妙なワンドは何なのだろう。何の力も持たない人間でも、一振りすればエルフの集落へと導かれるという、とても強力だが限定された力。誰が何のために作り上げたのか想像がつかない。それだけに気味が悪い。

 だがすんなりと許可するエルマーに拍子抜けしながらアリュシオールは腰元の革袋にそれを仕舞い込んだ。

 その時、キュクレインの動きが鈍くなるのを感じたアリュシオールは外の世界に神経を伸ばし、周囲の様子を確認する。そしてエルマーを見た。

「もうすぐ森の外だ」

 その声には珍しく緊張が混じっていたが、エルマーに気づかれることはなかった。




 豪快な噯気の音と共にアリュシオールとエルマーは外へと吐き出された。地面に落ちた2つの影をつまらなそうな顔で眺めた後、浄化の精霊キュクレインは巨大な体を反転させ、また森の奥へと戻っていった。

「これはどう書き記すべきなのかな……」

 エルマーは頬をかく。どう書いても真実味が得られなそうだ。アリュシオールの方は周囲の木々の様子、匂いと鳥の声を聞き、森の開けた方へと走り出した。

 木々の合間をくぐり抜けた先、眼下に広がる景色に、子エルフは息を飲む。小高い丘から見下ろせる世界は青と砂色だった。空は高く澄み視界を遮る物は何もない。遠くに見える海は吸い込まれそうな紺碧で、白い帆船が漂う姿も確認できた。そして何より手前に広がる巨大な街に、アリュシオールは圧倒される。

 見たこともない大きな建物がいくつもある。密集する家々と煙突、立ち上る煙、そして大量の人の気配。赤レンガと乳白色の『パクス石』で作られた都市を見て、アリュシオールは素直に美しい、と感じた。

「あれが僕の住んでいる街、『アルケイディア帝国』最大の都市『アルカド』だ。あそこで教師の仕事をしながら研究を進めている」

 そう語るエルマーはどこか誇らしげであった。

「あ、あれは?」

 アリュシオールは左手方向、遥か遠くに見える宙に浮かぶ島を指差し叫んだ。それに対しエルマーは落ち着いて答える。

「あれは浮島『ウル』だ。代々女王が治めている国がある。女王の力で浮かんでいるって話だよ。不思議だよね」

「ああ……」

 アリュシオールはウルに強く惹かれた。是非、足を踏み入れたい。しかしまずは目の前に広がるアルカドからである。アルケイディア帝国のことはすでに書物から知っていた。世界最大規模の大帝国であり、種族、人種の坩堝。領土拡大の為、多くの戦いを繰り広げてきた反面、多種多様な生き方を包容する人類の楽園ともいえる。今もエルフの耳には喜怒哀楽を詰め込んだ喧騒が届いていた。混沌たる世界、それだけに興味は尽きなさそうだ。

「じゃあ行こうか。是非、僕の家に来てくれ。お礼をしたいし、旅の準備が整うまでは滞在するといいよ」

 その申し出に頷き、おもむろにフードを被るアリュシオールに、エルマーは不思議そうな顔をする。

「暫くは森からの追手が来ないとも限らない。用心するに越したことはないさ」

「ああ、なるほど」

 エルマーは少しの間考えた後、「君がよければ」と前置きして提案しだした。

「アリュシオールの名も街では変わっている。だから代わりに『アルフレート』という名を使うのはどうだろう。僕の祖父の名だ」

 アリュシオールは率直に言って「妙な名だ」と思った。が、二、三回その場で口にすると悪くはない気もしてくる。

「わかった、有難く拝借しよう」

 エルマーは嬉しそうに頷き、前に歩きだした。それをアリュシオールは止めた。

「あともう一つ、後でその本をゆっくり読ませて欲しい」

 この言葉を口にした瞬間から、子エルフの人間界での、長い長い旅路が始まるのだった。

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