第2話 金縁の出会い
自分の足が枝を踏みしめる音を聞きながら、アリュシオールは住居のある方角へ戻っていた。言い様のない苛立ちに包まれながら。
原因は感情をむき出しにしたことだ、と気づいていた。ただ、その感情を嫌う思考こそ、エルフそのものであるという事実にも苛立っていたのだ。子エルフは人間への情が無い以上に自分の種族が嫌いだった。
「偉そうにふんぞり返り、自分たちもこの世界に住むただの一種族だということに気づけもしないで、古い生き方だけが誇りなのだ。長い寿命を使って何をしている? 神にでも近づけると思っているのか?」
アリュシオールのいらいらとした声は自宅には戻らないことを表していた。『枝編みの道』を出た時点で、自然と歩みが遅くなる。
古老達はアリュシオールが『屋敷の声』を聞ける、ということを知らない。古い時代を生き抜いた巨木の声は、なぜか齢を重ねた者にしか聞こえなかったのだ。人間が迷い込んだことも、子エルフには知らないことのはずだった。しかし古老達を欺いていることになっている子エルフの方も、「人間を見に行こう」「無事に逃がしてやろう」といった感情もなかった。地面に倒れ込む奇妙な姿を見るまでは。
ウンディーネとレプラコーンの喧嘩でも見に行くか、と集落とは違う方向へ足を向けた先に、人の形をした『何か』が伏せていたのだ。ぴくりとも動かない状態はすでに死んでいるかのようだった。
しかしアリュシオールの目には生命の精霊が、うつ伏せに倒れ込む男をじっと見守っている姿を捉えていた。息のある者にしか取り付かず、息絶えると同時に消える精霊だ。ということは、とりあえず生きてはいるらしい。一瞬、立ち止まった足を再び動かし、アリュシオールは男に近づき、観察する。
栗色の髪を綺麗に刈り上げ、分厚い生地のジャケットを着込む男はそれなりの身分に見える。下半身はキュロット、タイツ、底の厚いブーツ、としっかり装備を固めていることから、偶然迷い込んだわけではなさそうだ。脇にモノクルが転がっているが、この男の物だろうか。
こめかみ部分が赤くなっている。ゴブリンにでも殴られたなら、赤くなるどころでは済まない。枝か何かにぶつけて目を回したのだ、とアリュシオールは推測する。
運の無い男だ、と立ち去ろうとした子エルフの目に、男が小脇に抱え込む本が映った。『妖魔の森』と書かれた背表紙を上にして、このように無様な姿になっても尚、男の腕の中にしっかりとはまっている。
アリュシオールの気を変えたのは、この本のタイトル以外何物でもなかった。流れるように呪文を口にし、精霊を集めると男の傷を直す魔法を完成させる。
「ヒーリング」
淡い光が男を包んだ。体のあちこちにガラス玉のような粒がひっつき、弾けていく。光の精霊ウィル・オ・ウィスプと生命の精霊が働いた結果である。男の体内では代謝が忙しなく起こり、細胞が再生を促していく。更に空中を漂うエネルギーの粒子マナが精霊たちを、男の目覚めをサポートするのだ。
それらの活動が終わり、光が収縮する。アリュシオールは黙って男の様子を見守った。その内、男の瞼が痙攣しだす。
「う……」
鈍い声を発し、男は目を開ける。視線がアリュシオールのつま先辺りを捉えた。次の瞬間、跳ね起きるように男は身を持ち上げた。そしてアリュシオールの顔を見て、顔を硬直させる。
「大丈夫か」
抑揚の無い声でアリュシオールが呼びかけると、男は更に目を見開いた。しばらく水中で溺れるように口を動かし、悶ていたがアリュシオールを指差し喘ぐ。
「え、エルフ……」
予想通りの反応にアリュシオールは鼻を鳴らすと、男を睨みつけた。
「だから何だ」
「い、いや、その……」
男は言いよどむものの、好奇の目を隠そうともせずにアリュシオールの顔、体を眺め始めた。合間合間に「すごい」「本物だ」と呟く声が響く。自分の周りをうろちょろする男がだんだん面倒になったアリュシオールは、視線を周辺に移す。すると地面に落ちていたモノクルに再び気づいて指差した。
「お前のか?」
その言葉に男も視線を落とし、「あ」と呟くと慌てた素振りでモノクルを拾い上げる。その行動はアリュシオールの質問を肯定していた。照れたように笑いながらガラスを拭き、男は眼窩にそれをはめ込む。そばかすが目立つ頬に人の良さが現れていた。
「僕はエルマー・シュパン。駆け出しの学者だ。民俗学を軸に希少種族などを調べている」
そう言って自然な流れで手を差し出す男に、アリュシオールは面食らう。握手の文化は知っている。どの本で読んだか、までは覚えていないが、知識として刻まれていた。その意味も、どのような場面でするのかも。しかし実際に求められたのは初めてだったし、エルフの子供相手にもその行為をしようとする男は、さすがに変わり者ではないか、と思ったのだ。
「……アリュシオールだ」
男――エルマーの手を握り、アリュシオールは正直に名乗る。その瞬間、男の目は見開き、喜びに頬が緩んだ。
「綺麗な名前だ! エルフの名前は実に個性的で耳に残る。精霊への呼びかけが多いから彼らにも耳に良い語感を大事にするんだ。不規則なようでいて規則的で、実にエルフらしい。ファミリーネームは無いんだったよね? 家族単位の生活を送らないから。……あ、君、エルフだよね?」
明らかに付け足した質問に、アリュシオールは答えない。先程、答えたのもあるし、答えることに意味があると思えなかった。沈黙を不機嫌の印と受け取ったのか、エルマーは慌てだす。手のひらの汗を上着に擦り付け、きょろきょろと視線を動かした。
その時、アリュシオールの耳に微かに聞こえる音があった。方向は東。数は十数。
「来い」
アリュシオールはエルマーの腕を掴むと西方向へ足を向ける。エルフの耳は人間に比べると恐ろしく良い。何も分からないエルマーは疑問の声を上げる隙すら与えられずに引っ張られた。
音の正体を、アリュシオールは分かっていた。弓状の陣形を取りつつ足音を忍ばせる様子は狼のようだった。その実、『星鹿団』のエルフ達である。警戒態勢で進む理由はただ一つ、エルマーを捕らえる為である。
アリュシオールは短く呪文を唱えると、風の精霊達を身に纏う。足音を消すためと、足を速める効果もあった。巻き込まれたエルマーが悲鳴を上げる。皮膚に当たる風の勢いと、一変する周りの景色にパニックを起こしたからだ。
「静かにしろ!」
アリュシオールの怒鳴りに、ぴたりと悲鳴は止む。疾走する二人の体のあちこちに針葉樹の葉が当たり、蔓草が絡んでは弾けていった。魔法の力を借りての猛スピードだが、足を動かすのは筋肉である。人であるエルマーの体が限界を超えようとし、また悲鳴を上げた時だった。鬱蒼と茂る森の風景に異変が訪れる。前に小さな小屋が見えてきたのだ。
小屋の前で止まると、アリュシオールは風の精霊シルフ達を帰してやる。エルフが精霊を操る、その独特の美しい仕草を目にしつつ、エルマーは荒い息を必死に整えた。
「す、すごい、ね……これが……見たかったんだ。……けど、何? 一体、どうしたっていうの?」
途切れ途切れの台詞を言い終えるまで待ち、アリュシオールは小屋を指差した。
「入れ」
それを聞いた途端、エルマーの顔が曇る。おどおどと手を合わせながら謝罪を口にし始めた。
「ごめん、やっぱり君らのテリトリーにやって来たことを怒ってるんだね。どうしても本物のエルフを見てみたくて、絵本の挿絵ぐらいしか知らないし、それにエルフのことを描く時に『妖精のように描く』か『悪鬼のごとく書く』か両パターンあるのも気になるし。……あの、でも出来れば大人のエルフに会って謝罪の機会を与えて欲しいかな。ここに捕らえられても僕には身元引受に来てくれるような親類も友人もいなくて……」
「入れといったのはお前を捕らえたいからじゃない。その逆だ」
イライラとした口調でアリュシオールは言い放ち、もう一度小屋を指差す。エルマーはぽかんとしたものの、厳しい視線を浴びせる子エルフの剣幕に押され、大人しく足を進めた。
エルマーが小屋に体を入れた瞬間、アリュシオールは勢い良く扉を締める。エルマーがびっくりした顔で振り返り、一緒に入ってきたアリュシオールの姿を見るとさらに驚いて眉を上げた。
アリュシオールはエルマーの視線を無視して、小屋の中を見回す。家主の変わり者のエルフはいないようだ。ならば待つのみ、と何度も修理した跡の見える丸椅子を引っ張り出し、腰を掛ける。エルマーの方は困ったように頭をかくだけだったが、しばらくすると子エルフに倣い、テーブルの下から丸椅子を出して座った。
しばらくの間、沈黙が続いたが、それを破ったのはアリュシオールの方だった。
「今、部族の者がお前を探している。捕まれば追放という名の処刑が待っているぞ。直接、手出しはしないはずだ。でも追放先はワーウルフの縄張りか、魔精霊フォルブロの目撃地になる。フォルブロは触れたもの全てを破壊する狂った精霊だ。どうなるかわかるな? 嫌なら大人しくしていろ」
エルマーがはっとして顔を上げ、口を結ぶ。アリュシオールはそれから目を逸して、また続けた。
「……どうやってここまで侵入できたのか、それが問題だ。森の深部までの抜け道を、知っているお前を絶対に生かしては帰さない」
冷淡な言葉をゆっくりと頷いて聞いた後、エルマーは子エルフに尋ねる。
「君は? 君はなぜ僕を匿うの?」
子エルフは答えず、また沈黙が戻ってしまう。が、指を口元にあてて「しっ」と言うと、扉に向かった。そして警戒する体勢を取っていたが、聞き覚えのある口笛にその緊張を解く。軽快な音楽はじょじょに小屋へと近づき、扉の前までやってくる。そして少々の軋みを響かせ、木の扉が開けられた。現れた人物はアリュシオール、そしてエルマーと視線が動き、
「こりゃまた驚いた」
と、大して驚いた様子も見せずに呟くのだった。肩に乗るススリも栗色の毛を一瞬、逆立てたが、アリュシオールの姿を見てそれを収める。
「フェンディオール、力を貸してくれ」
小屋の主に向かい、アリュシオールは声を掛ける。すると羽根付き帽子を脱ぎ、長弓を立て掛けながら、フェンディオールはエルマーを指差した。
「彼がいる時点で大体の内容はわかる。しかし何年ぶりに会ったかな、人の子よ」
「あ、えっと、こんにちは、エルマーです。エルマー・シュパン」
またしても手を差し出すエルマーにアリュシオールは呆れていたが、フェンディオールの方は戸惑った素振りもなく笑顔で人間の手を握った。
「こんにちは、シュパン。素敵なメガネだね」
「あ、エルマーで結構です」
「おっと、そっちが名前だったか」
おかしな会話の後、フェンディオールは真顔に戻る。そしてアリュシオールへと向いた。
「彼をここに匿うのか? にしても限度があるぞ。いくら変わり者の私の元に訪問する者が少ないからといって、閉じ込めっぱなしというわけにもいかんし……」
「そうじゃない、逃がす。森から逃がすつもりだ」
興奮した子エルフの頬は薄く染まっていた。フェンディオールはその様子を見て、何かを悟ったように長い息を吐く。
「……その方が簡単ではない。承知の上だな?」
「もちろん」
「お前も行くのだな?」
見透かされていた思いに、一瞬返事が遅れるが、アリュシオールは深く頷いた。
「え? 君が外まで送ってくれるの? 悪いなあ。でも正直、来た道なんて覚えてなかったんだよね」
間延びするエルマーの声に、エルフ二人は答えず、じっと見つめ合っていた。それは老エルフのため息によって破られる。
「お前のようなエルフを、里に縛り付けるのが正しいとは思えんな」
フェンディオールのこの思いは今に始まったものではなかった。自身も若い時は里に寄り付かなかった経験が、老エルフを苦笑させる。にしても早い旅立ちだ、と幼い顔のアリュシオールを見て感嘆もしていた。
「さて、どうやって森を出る? お前は年齢にしては精霊の扱いに長けるが、それでも星鹿団全員に追われればすぐに捕まるぞ」
その問いを予想していたのか、アリュシオールは素早く返答した。
「キュクレインを呼ぶ」
「あの森の掃除屋か。また物騒なことを」
フェンディオールはそう答えるが、真っ向から否定はしない。二人の会話に人間の学者は、瞳を忙しなく動かすだけしか出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます