第5話 あたしなんか

 土曜日、チョコ作りのため約束通りの時間に由美子の家を訪ねた。


ーー明日はお昼過ぎにうちまで来てね。家族は映画見に出てるから、気兼ねなく作れるよーー


 メッセージアプリを見てもそう書いてある。なのに、チャイムを押しても由美子は出てこない。

 ガレージには車がなく、どの部屋の窓もカーテンが引かれていて、人のいる気配がなかった。

 おかしいな。もう一時半になろうというのに。

 もう一度チャイムを押そうと手を伸ばした時、突然、後ろから冷たい指が両のまぶたに触れた。


「だぁーれだ」

 

 言ったそばから堪え切れないようにクスクス笑いだす。

 由美子じゃない。あの子はこんなことしない。

 舌ったらずで丸っこい、いたずらなこの声は……。


「杏?」


 あたしの声に手の主はゲラゲラ笑った。

 違う。この笑い方は、凜花だ!

 

「残念でしたぁ」

「もう。かなえー、たーんじゅーん」


 振り返ると、凛花がペロッと舌を出しておどけている。

 その後ろで杏が座り込んで腹を抱え大笑いだ。

 誰が声の主と目隠しの相手が違うと思うもんか。


「もう、ずるいな。っていうかあんたたち、なんでいるのよ」

「だってバレンタイン直前だよ? バレンタインっていったら由美子んちでしょ。恒例行事だもん」


 ねーっ、と二人は声を合わせる。

 由美子が電信柱の向こうから顔を出し、申し訳なさそうに眼鏡の奥の目を細めた。


「ごめんね、かなえちゃん。昨日凛花ちゃんが電話くれたの。それで、作るのはやっぱり四人一緒がいいかなって」

「それならそうと、言ってよ」

「ダメダメ、それじゃ面白くないもん」


 杏に口止めされていたんだな。

 朝、三人で材料を買い足してきたのだろう。

 由美子のラベンダー色のピーコートの腕には、買い物袋がかかっている。

 玄関の鍵が開くと、凜花はあたしの背中を押した。


「いいから。さあ、入った入った」

「凜花の家じゃないでしょ! もう、ずうずうしいんだから」


 玄関に一目で女の子のものとわかる三足のブーツが決まりよく並ぶ。

 華奢なヒールのを横目に、あたしはぼろぼろのハイカットシューズを少し離れた場所に揃えて置いた。

 杏がくるりと回って深呼吸する。


「あー、由美子んちの匂いだ。全然変わってなーい」

「道具を準備するから、適当にくつろいでてね」

「じゃあ私、材料出しておくよ」

「かなえはこっち」

 

 凜花がキッチンに入った由美子を追うと、杏はリビングの方へとあたしの腕を引いた。

 肩にかけたトートバッグから化粧ポーチを取り出し、開いて見せる。


「今日は、私たちが奥手でシャイなかなえをおしゃれに大変身させてあげようと思ってきたの。ジャーン」


 キラキラと細かなラメの反射するグロス。

 バヤリースオレンジみたいな色のキュートなマニキュア。

 リボンをかたどったロマンチックなピンクのチークケース。

 色とりどりの金平糖のように甘くて可愛い憧れの世界が、ポーチの中からテーブルの上に飛び出した。


「いいよ、杏。悪いけどあたし、そういうのは……」

「いいから、座って」


 杏はソファー前のガラスのローテーブルに、持参した化粧品をきれいに並べた。


「あるだけ持ってきたんだよ。かなえはあたしと肌の色が近いから、合うと思うんだよね。ほら、これなんかいいじゃん」


 杏は乾燥してガサガサになった、醜い魔女のようなあたしの手を取った。

 ポーチから出したバヤリースオレンジのマニキュアを爪の横に並べてみせる。


「絶っ対似合う」

「無理だよ。あたしには」

「そんなの、かなえの勝手な思い込み。してみたらわかる」


ーーきもい。女装。勘違いーー

 頭にあの時の男子の言葉が浮かんで胸がきしんだ。

 それから、百瀬の白いきれいな肌が。

 制服を着るようになったいまも、私よりずっと華奢で……きっとあいつにも、身の程知らずだって笑われる。

 頭の中の像にいたたまれなくなって、杏の手を振り払う。


「わかってんの! あたしにかわいいものは似合わない。化粧なんかしたら、それこそ女装みたいだよ」


 嫌だ。こんなところで泣きたくない。

 キッチンに居たはずの凛花が呆れたようにため息を付いた。


「はぁっ? 何言ってんの。めっちゃスタイルいいくせに。誰が男と間違うもんか」

「間違われたこと、あるもん。女装みたいだって」

「なにそれ。嘘でしょ。いつよ。小学生の時?」


 杏の問いに口ごもる。

 四年生の頃のことを未だに引きずってるなんて、みっともないこと言えない。


「……かなえ、いつからかスカート履かなくなったよね。小さい頃はあたしたちん中で一番オシャレだったのに。なんでなの」


 凜花がテレビ台の上の写真立てを覗き込んだ。

 その中にはあたしの家に飾ってあるのと同じ、お遊戯会の写真もある。

 ポーズを決めた、愛らしい四人のお姫様あたしたちの姿が。

 

「ちょっと、かなえ?」


 白く粉吹いた手にあたたかな雫が落ちて、あたしは自分が泣いていることに気がついた。

 あんな昔のことで泣くなんて馬鹿みたい。

 なのに、泣きたくないと思えば思うほど、涙があふれた。 

 杏が正面から抱きついてきて、震えた声を出す。


「なんで? どうしよう。かなえが泣いてる」


 思い返せばあのとき、私は泣けなかった。

 家に帰って、何事もないような顔して、翌朝も普通に学校行って、いつも通りの1日を過ごした。

 いや、そうじゃない。もっと、いつも以上にがさつに、強く振る舞ったんだ。

 百瀬が嫌がるの知っているのに、わざとにももちゃん呼びして、女みたいなんて意地悪言ってしつこくからんだ。


 傷ついた顔を見て、後悔したけど、それより何よりあたしを庇ったあの天使みたいな顔が憎たらしくて、止められなかった。

 あたしはもう可愛いものなんか手にすることができないのに、あいつはあたしの欲しいもの全部持ってる。

 男のくせに、ずるいと思った。あんな男の子がそばにいたら、それだけで惨めじゃないか。


 百瀬は何も悪くないのに、助けてくれたのに、嬉しかったはずなのに。

 意地悪を言う自分を、あたしはどんどん嫌いになった。

 百瀬を見下すことであたしは、あの時の男子が言った通りの男女、可愛いものなんて無縁の女になったんだ。

 身の程を知っていると証明するかのように、スカートをやめ、やぼったい服に身を包んで。

 ずっと、あの時の言葉に囚われて。

 

「百瀬が……」

「えっ。ももちゃん? かなえにそんなこと言ったの、ももちゃんなの?」

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