第4話 歪んでるってわかってるけど

 玄関扉に手をかけると、ママが中から飛び出してきた。

 ダッフルコートの上から保護者カードをかけている。

 幼稚園に弟を迎えに行くのだろう。


「あれ、早いじゃん。手ぶら?」

「ただいま。材料は由美ちゃんが持って帰った」

「あっそ。今、ミシンしててリビング散らかってるから、おやつは部屋で食べて。ドーナッツ。冷蔵庫に入れてあるよ」

「わかった。いってらっしゃい」


 もうすぐお遊戯会か。

 テーブルの上のまち針の刺さったキラキラな衣装に目を落とす。

 十年前、あたしもママ手製のドレスを着てステージに上がった。

 衣装は毎年保護者の手作りと決まっていて、この時期ママたちは大忙しだ。何度も試着させられたのを覚えてる。

 衣装は写真館のものみたいに豪華ごうかだ。

 ほほに手を当て乙女なポーズを決めている小さなお姫様あたしたちの写真は、今もテレビの上に飾られている。

 あの頃は良かったな。

 可愛い? なんて何度も確認しながらポーズをとって、なんの抵抗もなかった。

 あたしは可愛いって信じてた。

 なのに、今はそうは思えない。


 ふと、由美子のタンポポの花を逆さにしたような鮮やかな色のシフォンスカートが頭に浮かんだ。

 凛花が纏っていた上品な桃色のマドラスチェックのロングスカート。

 それから杏のハードなウォッシュデニムのタイトスカートと、ロングブーツ。

 花のような女の子たちを彩るために生まれた、可愛い衣装。

 素敵だったな。


 鏡に映るのは、ダボダボのパーカーにみっともないくらい膝の生地が薄くなったブラックデニムのジーンズを着た、やぼったいあたし。

 ひどいコーディネート。

 三人の華やかさとは大違いだ。

 でも、私はもう、可愛くなろうなんて望まない。




ーー身の程を知れーー


 わかってる。あたしなんかがいくらおしゃれにしたって、女装みたいでしかないんだってことくらい。

 頭の中でひびく声に返事をし、ベッドに飛び込む。


 クラシカルなデザインの白いベッド。

 ふわふわした羽毛布団にはロマンティックなピンク色のシーツ。

 こんな部屋、あたしには似つかわしくない。


ーー自分のこと可愛いと勘違いしてんじゃね? 鏡見ろよーー


 かつて向けられた心無い言葉が浮かんで頭を抱える。

 わかってる、わかってる、わかってるから、もうやめて。

 いつまでも引きずってバカみたいだって思うのに、声はどんどん大きくなった。




 あたしがオシャレに背を向けたのは、四年生からだ。

 その日、あたしは従姉妹のさくらちゃんにおねだりしてたプリーツスカートをお披露目したくてウズウズしていた。 

 凜花たちは期待した通りにめてくれた。

 足が長くてうらやましいとか、スタイルいいとか言ってもらえて、いい気分になっていた。 

 その頃のあたしは杏と比べたら頭一個分以上背が高かったし、夏休みには生理が来てた。

 ランドセルを背負っていなければ、中学生に間違われることもしばしばで、身体だけは上級生たちよりずっと大きかった。

 もう子どもに見えないあたしの姿が人にどう映っているか、考えもしなかった。


 あの日、日直だったあたしは、一人遅れて下校した。

 道中、ほとんど口も聞いたことがない男子たちと前後になった。

 一つ上の学年の子だ。

 由美子と一緒に入ったバスケットクラブで何度か試合をしたことがある。

 さすがに大葉や王子には敵わなかったけど、背の高いあたしにゴールを奪われる男子は多かった。

 先輩だった彼らも、たぶんその一人だったと思う。


「見ろよ、あのでかい女」

「スカートなんか履いて、まるで女装だな」


 周りには他に誰もいなくて、だからあたしのことを言ってるんだとすぐにわかった。

 くすくす笑うのが聞こえて、胸が冷水を浴びたようにヒヤリとした。


「おい、おまえ、鏡見てんのか?」


 一人が大きな声をあげると、あとの二人が遠慮なく笑った。

 怖い。怖くて、振り返ることもできない。

 情けなく縮こまって前を行く私を見て気が大きくなったのか、三人は増長ぞうちょうした。

 はやしながら後ろをついて歩く。


「自分で自分のこと可愛いとか、勘違いしてんじゃね?」

「うっける。まじキモ。ブスのくせに、調子に乗っちゃって」

「無視してんじゃねーよ。おまえだよ、おまえ!」


 肩に痛みを感じ、石を投げつけられたんだとわかった。

 頭を抱えてしゃがみ込む。

 どうしてそんなことされないといけないの?

 惨めで、悔しくて、何より怖くて、ただ震えた。



 そっか。こんな衣装は、あたしには似つかわしくないんだ。

 あたしは可愛くなんかない。

 みっともない、気持ち悪い存在だから。

 んだ。

 あの人たちの言うように、調子に乗らないように、勘違いしないように、気をつけないと……みんな自分のせい。



 その時、突然道沿いの一軒家からライオンみたいに大きな犬が、塀を乗り越えんばかりの勢いで身を乗り出してきた。

 あたしの後ろの男子たちに向かってうなり声を上げる。


「うわぁっ」

 

 あまりの勢いに驚いたのか、三人は揃ってひっくり返った。

 塀の内側で誰かが犬をけしかけているのが聞こえる。犬は主の声に応え、さらに牙を剥いた。

 手前の私には目もくれないで、三人にロックオンだ。


「見てたぞ! つるんで人に石なんか投げて、恥ずかしくないっ?」


 聞き覚えのある声に顔を上げると、桜色の頬をした天使のように可愛い男の子が塀から身を乗り出していた。

 柔らかそうな猫っ毛が光に透けて輝いている。

 三人組は走り去り、安全な場所まで来てから振り返った。

 

「なんだ、ももちゃんかよ。女男がカッコつけんな!」

「言えてる。こいつは男見てーだけど、おまえは女みてーだもんな。お似合いだぜ」

「ばっかじゃないの。あんたら、見た目のことしか言えないわけ?」


 百瀬だった。

 あからさまに半眼になり、嫌味を飛ばす。


「お前なんかが、キャンキャン吠えても怖かねーよ」

「だろうね」


 百瀬の後ろから犬が唸りながら身を乗り出してきたとたん、三人は転がるようにして走り去った。怖くないなんて言ったそばから情けない。

 塀から身を乗り出して百瀬がこちらを見下ろす。


「怖がらせてゴメン、大丈夫だった? ……高橋??」

「も、百瀬」


 あたしだって、気づいてなかったんだ。

 なんだ。助けなきゃよかった、なんて言われるんじゃないかと構えた。

 抵抗できないなんて柄じゃないだろって笑われそうな気がした。

 その太い腕を振り回せば勝てるよ、なんて。

 百瀬の折れそうに華奢な白い腕が眩しい。

 さっきまで唸っていた犬が百瀬に覆いかぶさり顔を舐めた。犬の頬をなでる百瀬の笑顔にドキッとする。


「大丈夫。噛み付いたりしないから。デカいけど、うちの犬、本当はすごくおとなしいんだ」


 ゴールデンレトリバーだ。

 よく見ると優しそうな目をしている。 

 ああ。やっぱり百瀬は綺麗きれい

 華奢きゃしゃで、キラキラしてて、男のくせにあたしなんかよりずっと、ずーっと。


ーーブスのくせに、調子に乗っちゃってーー


 三人の投げつけた言葉が頭の中で渦巻うずまく。

 百瀬の目に今のあたしがどう写っているのか、考えると怖くなった。

 心のなかではきっと百瀬だって、あたしを笑ってるんじゃないか? 自分で自分のこと可愛いとか、勘違いしてんじゃねって、あいつらみたいに。


「あたし、助けてなんて、頼んでない」


 あたしのみじめな気持ちはあんたみたいな綺麗な子にはわからない。わかられたくもない。

 みにくいあたしを、百瀬の瞳に映したくない。

 百瀬にだけは。


「余計なことしないでよ……どうせ心の中で笑ってんでしょ? なんで立ち向かわないんだって。柄じゃないだろって。どうせ、あたしはあんたよりずっと逞しいもんね」

「は? 何言ってんの」

「あんたなんかにはあたしの気持ちなんてわかんないわよ。絶対!」


 あたしはそう言い捨てて駆け出した。

 わかってる。完全に八つ当たり。


 でもあの日、あたしは決めたんだ。

 二度とおしゃれなんか望まない。

 可愛くなろうとなんて思わない。

 百瀬みたいな綺麗な男にはわかんない。

 本当は何も悪くないって知ってるけど、でもあいつなんか絶対、絶対大嫌いなんだって。

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