第5話

林檎。奇妙な赤さの林檎を僕は手に取った。

がぶっとかじりつくと蜜のような甘みと鋭い酸味が口の中に押し寄せる。

彼女が作った林檎だ。

畑で何年もかけて作った。

長い年月をかけて作ったのだ。

味は申し分ない。

僕は申し訳なさげにもう一口かぶりつく。

どうしようもなく僕はこの畑を譲り受けた。

彼女は死の病を抱えて病院に入院していた。

僕は何度もお見舞いに行った。

「大丈夫? 調子は?」

僕はそう問いかけるが彼女は元気なさげだった。

普通に僕らは他愛もなく言葉を交わす。

彼女がもうじき死ぬなんて考えも及ばない。

「作家は? あなたの夢は?」

彼女はふいに外を見ながらそうつぶやいた。

「ぼちぼち書いているよ」

僕は小さなノートパソコンに毎晩文字を書き連ねた。

馬鹿みたいにちっぽけなことだけれどそうしているだけで何か日々の中でくすぶったものが癒えるような気もするのだ。

数年会社に勤め、そして今では彼女の畑を経営している。

「小説家になれたら、あなたの本を読みたい」

彼女がそんなことを言うから僕も張り切って書いていた。

年月は少しずつ彼女の体を蝕んでいき、僕がようやくまともな作品を書ける頃に彼女はこの世から去った。

きらきらと星が輝く夜だった。お葬式が終わった帰りに見たのは親戚の悲し気な顔だ。

田舎道を街灯の光が照らしている。近くの駅まで僕は歩く。

ゆっくりとアスファルトの道を歩いて、そして静かに空気を吸い込んだ。

ゆらゆらと月がおぼろげに揺れている。

その時、僕は海岸沿いにいた。

彼女の幻影を見ていた。

「作家にはなれた?」

彼女が僕に向かって問いかける。

「ありきたりなようだけど」と僕は話し始める。

「日々努力している。いつか仕事にできることを夢見て」

「さようなら」

「うん」

海岸沿いで彼女は姿を消した。

後には砂浜に彼女の足跡が波に消された。

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