第50話 大団円!

 混濁した意識がはっきりしてくるにつれ、健二郎は今の状況を思い出してきていた。自分は鋼鉄の体に自分の脳を預けてゾンビと戦い、ゾンビを根絶したのだ。そして、地下の研究室で脳移植手術を受けたのだ。だから今の体はもとの肉体のはずである。健二郎はゆっくりと身を起こした。

「目が覚めた?」

「恵美さんですか。なんだかずいぶん長く眠っていたような気がします」

「そう? 手術開始から1時間しか経ってないけど、そう感じてるのね」

 健二郎の傍らにはカプセルが鎮座している。中で眠っているのは無論、バレンタイン1号のボディだ。

 しかし、健二郎はカプセルには見向きもせず、手術前に持ち込んだ姿見に夢中である。

「美しい。本当に美しいですよね。ぼくの肉体は」

「まあ、二枚目なのは認めるわ」

 恵美はディスプレイから目を離さず、キーボードを叩き続けている。

「そうでしょう。それに引き換え、このバレンタイン1号ときたら……」

 健二郎はようやくカプセルの中に目を転じた。そこに横たわっているのは、頭髪は悪い意味で無造作で、目はぎょろりと大きく、鼻筋は短く低くずんぐりとしており、唇は紫色をした地獄の鬼のような顔の男である。

「どうしたの? 健二郎君」

 恵美はようやく健二郎の顔を見た。

「いやあ、やっぱりブサイクな顔してるなあって」

「と言う割には、嫌な顔はしてないわね」

「さすがにね。死線をともにくぐり抜けてきた仲ですからね。ところで、こいつはこの後どうなるんです?」

「特には決まってないけど、廃棄する理由もないし、しばらくは現状維持のまま保管ね」

「そうですか」

「健二郎君はこれからどうするの?」

「どうしましょうかねえ。西新宿の戦いが終わって2週間。結局何も決めてないです」

「焦る事はないわ。今の健二郎君ならどこであろうとやっていけるだろうから」

「なぜです?」

「健二郎君はここに来た当初は顔だけのお調子者だったけど、西新宿の戦いだけを見てもずいぶんと逞しくなったからね」

「なるほど! 今のぼくは美しい肉体と逞しい精神を併せ持っているという事ですね!」

「やっぱり、前言撤回。ただのお調子者だわ」

 健二郎は年甲斐もなく唇を尖らせた。

「何が言いたいんですか。恵美さん」

「変わることと変わらないこと。変わるもよし、変わらぬもまたよし、ということよ」

「はあ……?」


 健二郎は研究室を出て、作戦室に向かった。作戦室は少々慌ただしかった。書類がまとめられ、段ボール箱が幾つも積み重ねられている。西新宿の戦いを最後に、事実上国内からゾンビが根絶されて、この作戦室も解体される事になったのである。

「よう、サエちゃん。水もだだ漏れのいい男になったじゃねえか」

 そう言って郡司は健二郎の尻を撫で回すと、健二郎は郡司の尻を撫で返した。

「グンちゃんこそ、明日にはもとの肉体に戻るんだろ? グンちゃんの生尻が楽しみだよ」

「ふへへへ、考えてみれば今まで、どちらかが肉体でどちらかがサイボーグで尻を撫で合った事は何度かあったけど、お互い肉体で生尻を撫で合うのは明日が初めてだな」

「そうだろう? うへへへへ」

「お前さんたち、本当にキモイのう」

「うるさいぞ、栗田のおっさん。そういえば、バレンタイン計画はどうするんだ。もうゾンビもいないし、予算の獲得も難しかろう? ん?」

 健二郎は嫌みたっぷりに放言したつもりであったが、栗田はまったくどこ吹く風である。

「そんなことはないぞよ。これからもバレンタイン計画は復興のために継続する予定だて。予算もじゃぶじゃぶだからのう。皮肉な話だが、お前さんがこれだけの成果を上げてくれたからだて。ほっほっほっ」

「ほう、そりゃめでたい。で、ぼくになにか言う事があるんじゃないかな? ん? ありがとうとかすまなかったとか」

「おう、お前さんのその肉体だがのう。無駄毛処理するのを忘れておったわい」

「なんだと!? 約束が違うじゃないか! 早く処理しろ!」

「どうしてもと言うなら、もう一度お前さんの脳を取り出すがよいかの?」

「おっっっさあああああん!」

「ほっほっほっ」

 栗田はのほほんと笑いながら作戦室を出て行った。入れ替わりに作戦室に入ってきたのは岡野と小松川である。岡野の野太い声が聞こえてきた。なにやら憤っているようである。

「だからといって、あの展開はないだろう。彼女があんまりかわいそうじゃないか」

「悲恋物語だからねえ。仕方ないねえ」

 どうやら、彼らはまた少女漫画の話をしているようである。2人は健二郎の容貌に気付いて近づいてきた。

「おう、三枝君。元の体に戻ったのか」

「やあ、三枝君。悲願成就おめでとう」

「ありがとうございます。岡野中佐に小松川さん。そう言えば例の話はどうなりました?」

 岡野が苦りきった顔で答えた。

「例の話なら、ヒロインが世を儚んで自殺未遂をしたところでね。今も小松川にその話をしていたんだ」

「いえ、岡野中佐。そうではなくてですね。都庁舎の話です」

「都庁舎の話? なにかあったのか? サエちゃんよ」

 健二郎の代わりに解説を請け負ったのは小松川である。

「いやあ、あの西新宿の戦いで大型ゾンビにミサイル攻撃をしたじゃない」

「ああ、あれですか。景気よくぶっ放してましたね」

「あれで都庁舎に一部被害が出たんだ。いや、一部被害なら良かったんだけど、検査の結果、取り壊さざるを得ないと診断されたんだ」

「ありゃあ」

「でまあ、都の偉い人たちが軍に対してお冠でね。都議会議場を木端微塵にされたばかりか都庁舎までダメにするとは何事か、とね」

「そんなこと言われてもなあ。まさか、岡野中佐も責任を問われてるんですか?」

「いや、さすがに俺が責任を問われる事はないだろうがな。もし問われてもゾンビ退治のため、致し方ありませんでしたで押し通すさ。ゾンビの1体も始末した事のない奴らに、後から何を言われてもかまやせんさ。おっと、失言だったな。文民統制下の軍人としてあるまじき発言だった」

「岡野中佐、その割に顔が笑ってますぜ」

 郡司も岡野も苦笑いである。

「ふふふ、だから今、霞ヶ関と永田町が都を説得してるところさ。まあしばらくすれば静かになるだろう」

 小松川は意味有りげな笑いを浮かべた。


 岡野と小松川は各々部下に呼び出されて作戦室を出て行った。5分も経たずに入室してきたのは田井中である。

「おや、三枝さん。元の体に戻ったんですね。長い間お疲れさまでした」

「いえいえ、それほどでも。ところで、田井中さんはこれからどうなさるんですか?」

「私はこのまま隣の研究所で引き続き特殊感染体の研究ですよ」

「そうですか。まあ、世界にはまだまだゾンビがはびこってますからね。と言うより、日本が世界で初めてゾンビを根絶したんですよね」

「そうです。三枝さんや郡司さんのおかげですよ」

 健二郎と郡司はふんぞり返った。

「しかし、この国からゾンビが根絶されたと言っても完全ではありません。山奥でゾンビが確認されたり、あるいは海外からゾンビが流入してくる事も考えられます。その時に対して備えをしておかなければ」

「なるほど、さすが田井中さん。真面目だなあ」

 健二郎の賞賛に田井中は謙遜して答えた。

「いやいや、そんなことは。それに根本的な問題がまったく解決されていないんです」

「根本的な問題? なんだろうな。サエちゃんや」

「なんでしょうね。グンちゃんや」

「ゾンビがどこから来たのかという問題です」

 健二郎と郡司はため息をついた。

「ああ……そういえば」

「ご存知の通り、ゾンビ化がある種のウイルスによって引き起こされることまではわかっています。ですが、そのウイルスがどこからやって来たのか皆目わからないままです。あるいは、人の手によるものかもしれませんが、それすらも不明です」

「ううむ、またいつかどこかでゾンビパニックが発生し得るということですか」

 健二郎は面白くもなさそうな顔で不愉快な可能性を思い浮かべた。

「あまり考えたくはありませんが、そうならないようにしなければ。そのための研究ですよ」

「かっこいいぜ、田井中さん。惚れてしまいそうだ」

「郡司さん。やめてください。はは……」


 田井中は自分の研究所に戻っていった。

「グンちゃんはどうするんだい?」

「さあな。前にも言ったけど、海外でゾンビ退治というのもありだけどな。まあ、バレンタイン号を海外に送るとなれば、色々、政治的な思惑も絡んでくるだろうから、簡単にはいかないだろうけどな」

「なるほどねえ」

「サエちゃんはどうするんだ? なんとかいう政府の偉い人がポストを用意してくれるんだろ?」

「わからないなあ。ここまで乗り掛かった船だから、ゾンビパニックの収拾に協力したいのは確かだけど、具体的にどうすればいいのか。でも少なくとも、あの偉い人たちの手を借りるつもりはないよ」

「ほう?」

「恵美さんにも言われたけど、いまのぼくならなんでもできそうな気がするんだよ。いやあ、口に出すと恥ずかしいな」

「自信をつけたってことだろ。でも、サイボーグに戻るつもりはないんだろ?」

「うーん……」

「えっ? あるのか?」

「あの物理的なパワーはなにがしかの役に立つと思うからね。もちろん、顔はこの美しい顔をそっくりコピーしてもらわないとね」

「ほんとにその顔が好きなんだな。妬けるぜ! だから接吻してあげる! ほれ!」

「だから何度も言うけど、キスはやめてくれ! 尻ならいくらでも撫でさせてあげるからんんんんんんん!」


 いくつかの問題を残しながらも日本のゾンビパニックはゾンビ根絶という最大の山場を脱した。健二郎は無駄毛処理の因縁から逃れる事は叶わなかったが、愛する美しい肉体を取り返す事に成功した。静岡県いいのや市の国立生体工学研究所の中庭では、キンモクセイの花が満開となり、その甘い香りが辺り一面に漂っていた。

 おおむね、めでたしめでたしである。


 完

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明日に向かってはねろ! 山川榎屋 @sttks4212

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