第49話 西新宿の戦い(その2)

 しかし、腐肉の山はバレンタイン1号が全力で腐肉を斬り刻み、骨を叩き折っても、その圧倒的な巨体にものを言わせて傷口を埋めてくる。それでも健二郎は諦めなかった。腐肉の山が”腕”を次々に繰り出す一方で、斬り落とされた”腕”は活動停止させられているのだ。いずれ、ゾンビの供給が追いつかなくなり、この巨体を維持できなくなっていくはずである。健二郎は諦めなかった。

「リーダー! ”腕”が生えて来なくなりました!」

「目論み通りだ。皆、こちらを手伝ってくれ」

「了解!」

 7人のサイボーグが一斉に腐肉の山を斬り崩し始めた。腐肉の山はすり下ろされるかのように小さくなっていったが、郡司の姿はまだ見えない。

「リーダー! ゾンビです。凄い数だ!」

「くそ! こんなときに! ブラウニーはゾンビの迎撃にあたってくれ。ザッハトルテは引き続きグンちゃんの捜索を頼む!」

「了解!」

 健二郎の背後で銃声とゾンビの断末魔が轟き始めた。バレンタイン号の刃と銃弾が迫り来るゾンビを薙ぎ倒し、吹き飛ばすものの、ゾンビの呻き声と気配は数を増す一方である。圧倒的多数のゾンビの中には相当数の走る個体、変種、融合種が含まれている。それらの複合種も多数存在するようである。即ち、走る変種や四肢の発達した融合種などである。

 広場までの掃討戦と腐肉の山との戦いで武器弾薬を損耗した後では、多様なゾンビの圧倒的な数量の前にバレンタイン号といえど苦戦を強いられた。

 そんなとき、健二郎たちは地響きのような音を聞いた。腐肉の山が唸っているのである。腐肉の山が再び蠢き始めようとしていると健二郎は感じた。

「まずい。おい、グンちゃん! 早く出てきてくれ!」 

 健二郎の短剣が何か堅いものに当たり、弾かれた。郡司のヘルメットである。

「ここにいたぞ! 手伝ってくれ!」

「その必要はないぜ!」

 健二郎たちが受信したのは郡司の声であった。通信が回復したのだ。

「どりゃあ!」

 腐肉の山の内部から手刀が突き出され、腐肉の山の表面が左右に押し広げられていくと、郡司がようやく姿を現した。健二郎たちは郡司の手を掴み、まとわりつく腐肉を断ち切って、郡司を引きずり出す事に成功した。サイボーグたちは郡司を抱えてひとまず安全圏まで退避した。

「いやあ、助かったぜ。ありがとよ」

「やっと出てきたね。グンちゃん、怪我は?」

「防具を着込んでいて正解だったぜ。所々齧られたが、まあ大丈夫だろ。動く動く」

「さすがだな、グンちゃんよ」

「ああ、心配すんな! 誰か代わりの銃と弾薬をくれ」

 郡司は予備の銃と弾薬を受け取ると手早く戦闘準備を整えた。

「リーダー、あいつがまた動き始めました!」

 健二郎たちが声の方向を見ると、沈黙していた腐肉の山がぐずぐずと崩れ始めた。癒着したゾンビが1枚のシート状に広がっていくのである。先ほど健二郎たちを襲った大量のゾンビの足下を腐肉がずるずると不快な音を立てながら流れていく。

 健二郎は鋭い危機感を覚えた。

「皆! あの立っているゾンビどもを攻撃するんだ! 早く!」

 7人のサイボーグが呆気にとられた瞬間に腐肉のシートは大きく捲れ上がり、大量のゾンビ巻き込んで収縮していった。腐肉のシートは再び盛り上がり、膨れ上がり、先ほどよりも一回り以上も巨大な山となった。そして今度は”腕”を30本ほども生やし、地響きのような咆哮を上げた。健二郎たちは武器を構えて迎撃するつもりが、腐肉の山は巨体を揺るがせて、なんと移動を開始した。その移動速度たるや、屍が歩くなどというものではなかった。人が走るより速いではないか。健二郎たちは急いで後を追ったが、これだけの巨体を停止させる術を彼らは持たなかった。

 放置車両を弾き飛ばし、街路樹を踏み倒し、アスファルトを抉って腐肉の山は高層ビル街を駆け巡った。軍の部隊が高層ビル街に進入していないのは幸いだったと健二郎は安心したが、そうなると、あの化け物は何が目的で辺りを走り回っているのだろう。その理由はすぐに判明した。

「リーダー! ゾンビが!」

「ああ、そういうことか」

 腐肉の山が通過した後は、潰れた車両、倒れた木々、なにやら得体の知れない粘液が残されていたが、ゾンビは1体も残っていない。腐肉の山は周囲を徘徊するゾンビを取り込んでいたのだ。気がつけば、たしかに腐肉の山はさらに大きくなっている。

 都庁前広場に戻ってきた腐肉の山は、最初に確認された時よりも二回り以上も巨大になってしまっていた。そして今度こそ健二郎たちに襲いかかってきた。

 高さはおよそ20メートルもある腐肉の山が4、5メートルもある”腕”を30本も振り回して迫り来る様は、もはやグロテスクなど通り越してコメディですらあった。

「どうする、サエちゃん。俺たちの武器じゃあんなの退治できないぞ」

「知れた事だよ。グンちゃん。岡野中佐、こちら健二郎。聞こえますか? 攻撃ヘリによる支援を要請します」

「こちら岡野。状況はだいたい把握している。とんでもない化け物とやりあっているようだな」

「やりあった結果、ますます手がつけられなくなりまして。大砲なりミサイルで吹き飛ばしてほしいんです」

「了解、ヘリを手配する。実のところ、その化け物のせいでどの部隊も足踏み状態でな。そいつをなんとか排除してほしい」

「わかりました」

 健二郎は通信を切って、サイボーグたちに向き直った。

「よし、作戦を立てよう。ぼくらは軍の支援攻撃が始まるまであいつをここに足止めする。支援攻撃の後はあいつが体勢を立て直す前に、あいつを構成しているゾンビを全て活動停止させるんだ。スピード勝負だ」

「具体的にどうする。サエちゃんよ」

「そうだな。さっきのグンちゃん救出の時と同じくブラウニーは右から、ザッハトルテは左からあいつを攻撃してくれ。ぼくとグンちゃんは正面だ。狙いは”腕”だ。”腕”を斬り落として”腕”を回収させるんだ。そうすればあいつはここから動かない。だから、まだ”腕”を仕留めてはダメだ。さっきのようにゾンビの補充に走り回られちゃたまらないからね」

「なるほど。了解だ」

「あいつを足止めさせられるのはぼくたちだけだし、あいつに止めを刺せるのもぼくたちだけだ。皆、よろしく頼むよ」

「了解!」

「よし、今日何度目かわからないけど、行くぞ! 突撃!」

「おおう!」

 健二郎たちは勇躍、腐肉の山に躍りかかった。腐肉の山とその”腕”は敵意と害意をむき出しに健二郎たちを迎え撃った。

 健二郎たちは付かず離れず、銃撃と斬撃を交互に繰り返して腐肉の山を攻撃した。遠距離からの銃撃に応じて腐肉の山が”腕”を伸ばすと、物陰から大薙刀や大太刀を持ったサイボーグが懐に飛び込み、根元から”腕”を叩き斬った。彼らは続けざまに2本、3本と”腕”を斬り落とし、すぐに物陰に退避した。代わって、機関銃を持ったサイボーグが物陰から姿を現し、遠距離から銃撃を加えた。腐肉の山は斬り落とされた”腕”を拾い上げ体内に取り込み、再び”腕”を伸ばして彼らを捕らえようとする。すぐさま、身を隠していたサイボーグが飛び出し腐肉の山に斬り掛かる。

 こうした反復攻撃を何度か繰り返したところで、ヘリの爆音が聞こえてきた。

「こちらベティ1。これより都庁前広場の大型ゾンビを攻撃する。各バレンタイン号は退避されたし」

「こちらベティ2。同じく攻撃開始する。退避されたし」

「こちら健二郎、皆! 退避だ!」

 健二郎たちは大急ぎで隣接する高層ビルの裏側に回り込んだ。

「ベティ1とベティ2へ。こちら健二郎、退避完了。やってくれ!」

 健二郎からの通信を受け取ったベティ1とベティ2は合計8発の対戦車ミサイルを発射した。

「全弾発射とは、景気よく撃ったな」と感嘆したのは郡司である。

 8発のミサイルは猛然と腐肉の山に突入し8回の大爆発を起こした。衝撃波は健二郎たちにまで伝わり、これでは肉片すら残らないのではと思われた。

 轟々たる土煙と砂塵が風に吹き払われて辺りが鮮明になると、後に残されたものが見えてきた。散乱したガラス片とコンクリート片、そして炎と腐肉の山の残骸である。

「あの野郎、まだ動いてやがるぞ」

 腐肉の山は80%ほどが吹き飛んで、裾野にあたる箇所が残るのみであった。無論、”腕”は一本も残っていない。しかし、その裾野からのそのそと立ち上がる人影が無数にあった。ゾンビである。土気色の皮膚は剥がれ、赤黒い血の滲んだ筋肉が大きく露出している。内蔵を引きずるもの、半身を炎に焼かれているものもいる。腐肉の山を構成していたゾンビたちは、高熱によるものであろうか、癒着が解けている。ゾンビは咆哮を上げ、光のない眼で周囲を見渡した。そして、健二郎たちを認めると、やはり彼らに襲いかかった。

「よし、皆。作戦通り、あのゾンビたちを活動停止させよう」

「了解!」

 健二郎たちは狂乱のゾンビの群に突入した。健二郎の大矛が暴風を起こしてゾンビの首をまとめてはね飛ばす一方で、郡司の銃弾がゾンビの頭骨を撃ち砕いた。バレンタイン号の刃がゾンビの頸椎を叩き斬り、銃弾が脳漿を撃砕した。健二郎たちの武器は、刃は欠け、銃身は焼け付いていた。それでも彼らは奮闘し、ものの15分ほどで都庁前広場からゾンビは一掃された。腐肉の山はついに活動を停止したのである。

「やったな。サエちゃんよ」

「やりましたね。リーダー!」

「いやあ、これは皆の功績だよ。皆、おつかれさま。と、岡野中佐に報告しないと」

 健二郎は岡野を呼び出し、大型ゾンビを活動停止させたことを報告し、支援に対しての謝意を述べた。

「よくやってくれた。三枝君。軍も高層ビル街に突入して、残りのゾンビを掃討しているところだ。皮肉な話だが、あの化け物が高層ビル街を走り回ってゾンビを取り込んでくれたおかげで、こちらは楽なものだ」

「そうですか。なら事実上、掃討作戦は全て完了ですね」

「そうだな。長い戦いだったが、ようやく全土が人の手に戻ってきたな」

「ぼくがこんなブサイクにされた甲斐もあったというものですよ」

「はっははは。そうだな。バレンタイン号の諸君は先に後方で休んでいるといい。では、また後ほど」

「はい、また後ほど」

 健二郎は通信を切って、サイボーグたちに向き直った。

「それじゃ、岡野中佐のお言葉に甘えて、ぼくらは先にチョコレート・ワンに戻ろう」

「了解!」

 健二郎はやおら、腰の刀を抜くと振り向き様に薙いだ。手応えはなかった。

「あれ?」

「なにやってんです。リーダー」

「いやあ、ゾンビの気配がしたから、かっこよく斬り捨てようと思ったんだけど」

「気のせいですよ。我々の半径30メートル以内にゾンビはいません」

「だよね。センサーの反応もないしね。気のせぶがっ!」

 ”腕”が健二郎の背中にのしかかって首筋に食らいついていた。

「リーダー!」

「な、なんだ!? どこから!?」

「引きはがせ! 早く!」

 郡司の指示であわててサイボーグたちが”腕”を引きはがそうとするのを健二郎が制した。

「ああ、大丈夫。バレンタイン号はこんなことで壊れやしないよ」

 健二郎は立ち上がった。またしてもヘルメットのバイザーが割れ、ブサイクが露になっている。健二郎は首筋に食らいついた”腕”を引き剥がすと宙に放り投げ、刀で首をはねた。はねられた首は朝日の光の中をどす黒い血を噴き出しながら飛び、炎の中に消えた。

「あそこから落ちてきたのか」

 郡司が都庁舎の地上50メートル付近に空いた穴を見上げてぼやいた。ミサイル攻撃で吹き飛ばされた”腕”が突っ込んだ跡であろう。

「大丈夫か。サエちゃんよ」

「いやあ、びっくりしたけど、大丈夫だよ。さ、チョコレート・ワンに戻ろう」

「りょうかいー!」

 健二郎たちは都庁前広場を後にして、神宮外苑のチョコレート・ワンに向けて歩き出した。帰路、彼らがゾンビの姿を見る事はなかった。銃声は徐々に散発的になり、やがて聞こえなくなった。

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