第47話 新宿駅の悪夢

「大隊前へ!」 

 健二郎と郡司の後に岡野の部隊が続いた。いくら健二郎と郡司が超人的な活躍をしても、ゾンビの数は莫大である。物理的に彼らの刃も銃弾も届くはずがない。戦車と装甲車を前面に押し立ててじっくりと、確実に圧倒的な火力を以てゾンビを次々に葬っていく。

「グンちゃん、軍も動き出したみたいだな」

「そうみたいだな、サエちゃん」

「ぼくらは変種や融合種を優先的に狙っていこう。普通のゾンビは兵隊さんたちに任せて問題ないだろう」

「そうだな。サイボーグならではの活躍をしないとな」

 健二郎と郡司は変種と融合種を片端から活動停止させていった。剛拳を振るって暴れ回る変種の頭部に銃弾を叩き込み、複数の手足で掴み掛かってくる融合種に手刀を突き入れ、脳を握り潰す。いくらかでも知能や感情があれば、ゾンビもこの2人に近づこうとはしなかったであろう。しかし、恐怖や生存本能といった最低限の生物的要素の代わりに食欲と攻撃本能しか持たないゾンビは、怯むこともなく襲いかかってくる。健二郎と郡司は南下するゾンビを可能な限り打ち倒しつつ北上した。


 健二郎と郡司は新宿駅に到達した。かつては1日の乗降客数350万人という恐るべき数字を記録して、ギネスブックにも掲載された超大規模駅であったが、いまでは照明も点かず、線路は錆び付き、大量のゾンビが徘徊するのみである。

「ここもざっと見ておこうか。グンちゃんよ」

「そうだな。しかし、掃討範囲が地上だけで良かったぜ。迷宮の誉れも高かった新宿の地下街までゾンビが溢れてたら終わらなかったぞ」

「ここに限らず地下街はゾンビパニックの後、すぐに水没したからねえ」

 健二郎たちは南側改札から駅構内に侵入したところで、ひと際巨大な肉の塊が蠢くのを見た。それとほぼ同時に郡司は健二郎が吹き飛ばされるのを見た。

「サエちゃん!」

 健二郎は受け身をとる間もなく自動改札機に叩き付けられた。ヘルメットのバイザーが割れ、もうこれで何度目だろうか、ブサイクな顔を露にさせられてしまった。

 周囲のゾンビが間を置かずに健二郎に飛び掛かり、彼の首や腹に歯を突き立てようとするのを郡司の機関銃弾が阻止した。

「サエちゃん、大丈夫か!」

「いたたた。ああ、ありがとう群ちゃん。それにしても今のはなんだ? あれだけ離れてれば安全だと思ったのに」

 その理由はすぐに明らかになった。駅の売店ほどもありそうな腐肉の塊から巨大な腕が2本突き出しているのである。脚や胴体らしきシルエットは見られない。腐肉の小山から腕が伸びているのだ。

「なあ、グンちゃん。あれ、腕じゃないぞ」

「ああ、腕じゃないな。人間、と言うかゾンビだな」

 健二郎と郡司が巨大な腕と認識したのは腕ではなくゾンビの上半身であった。腐肉の小山に腰まで埋もれたゾンビが2体、害意と敵意をむき出しにしてゆらゆらと蠢いているのだ。腐肉の小山はずるずると、ゆっくりではあるが移動して健二郎と郡司に近づいた。腐肉の小山から生えた”右腕”が振り上げられ、振り下ろされると今度は郡司が吹き飛ばされた。間合いの外にいると判断していた郡司は完全に虚を衝かれコインロッカーに激突させられた。

「グンちゃん!」

 健二郎はすぐに救援に駆けつけ、群がるゾンビを斬り払いつつ、腐肉の小山を見た。腐肉の小山から生えた”右腕”は先ほどの倍ほどにも伸びていた。健二郎がよく観察すると、”右腕”は2体のゾンビから成っていた。腐肉の小山から一体のゾンビが突き出しており、その口がもう一体のゾンビを膝の辺りまで咥え込んでいる。腐肉の小山に埋もれていたゾンビが飛び出して、郡司を薙ぎ倒したのだ。

「大丈夫か。グンちゃん」

「ああ、大丈夫。油断した。しかし、銃がダメになっちまったぜ」

「銃だけで良かったさ。それにしてもなんだこいつは」

 健二郎はいいのや市の作戦室で待機している田井中を呼び出した。

「田井中さん、聞こえますか? こいつが一体何なのかわかりませんか?」

「こちら田井中。聞こえています。断言はできませんが、融合種の一種でしょう。”腕”の付け根にあたる肉の塊も画像解析してよく見てみてください。複数の人体が複雑に絡み合っているだけです。癒着の進行度合いはこれまで見たこともないほどですが」

「ということは、活動停止させるにはやっぱり…」

「ええ、想像の通りです。赤外線で見るとわかるかと思いますが、脳と思われる複数の熱源も認められます。その”腕”のようになっているゾンビにも脳があるようです。本体と”腕”の脳を全て除去すればおそらく活動を停止するでしょう」

「了解、ありがとうございます」

「お2人とも気をつけて」

 健二郎は通信を切った。

「というわけだよ。グンちゃん。どうしようかね」

「これで吹き飛ばそう」

 郡司が背嚢から取り出したのは4個の手榴弾である。

「そんなもの持ってきてたのかい」

「岡野中佐に分けてもらったんだ。ほれ、2個」

 健二郎は大矛を置いて、手榴弾を両手に持った。

 腐肉の小山は今度は”左腕”を伸ばし始めた。ぐらぐらと不安定だが、2本の”腕”は健二郎と郡司を確実に捕らえ、食い潰すつもりなのであろう。”腕”の先端のゾンビは一時も視線を外さない。

「よし、グンちゃん。行くぞ! 突撃!」

「おうよ!」

 健二郎と郡司が腐肉の小山の左右に回り込むと、それを追って”両腕”も左右に別れた。”腕”の先端のゾンビが両腕を広げて捕らえようと迫るのを健二郎と郡司は懐に飛び込んで躱し、身を翻して一本背負いの要領で”腕”を担いだ。

「せえの!」

「どうりゃあ!」

 健二郎と郡司は”両腕”を根元から引きちぎり、床面に投げ飛ばした。”両腕”を引きちぎられた腐肉の小山は激しく蠕動し、体液を傷口から噴き出した。低い地鳴りのような音がするのは腐肉の小山の絶叫であろう。健二郎と郡司はピンを抜いた手榴弾を傷口に突っ込むと、すぐに券売カウンターの中に退避した。2秒後にくぐもった爆発音と鋭い衝撃が走り、肉片とコンクリート片が辺り一面に撒き散らされた。

 健二郎と郡司がそっとカウンターから顔を出して見渡すと、腐肉の小山は山体崩壊を起こしたかのように大きく抉られていた。腐肉の小山の残骸は、わずかに痙攣しただけでそれきり微動だにしなくなった。

「やったな、グンちゃん」

「ああ、うまくいったな」

 健二郎と郡司は未だ床でもがく”両腕”の脳を破壊し、グロテスクな融合種を完全に活動停止させた。これまで多数のゾンビを見てきた健二郎もぼやかずにはいられなかった。

「それにしても、ゾンビって人型に限らないんだね」

「本当だぜ。今の奴なんてただの化け物にしか見えなかったけどな」

「でも、たしかに田井中さんの言う通り、今の奴もゾンビの集合体に過ぎなかったね」

「そう言う意味では楽なもんだ。脳を吹き飛ばせば事は終わるんだからな」

「そうだね。ドラゴンとか幽霊とかじゃなくて良かったよ。さて、どうする? 銃を受け取りに行くかい?」

「いや、このコンコースぐらいはきれいにして行こう」

 郡司はそう不敵に言うと腰の刀を抜いて走り出した。

「チェストー!」

「やれやれ、いつからグンちゃんは薩摩隼人になったんだろうね」

 健二郎もぼやきながら大矛を拾い上げ、郡司の後に続いてゾンビの群に斬り込んだ。後続の部隊が到着する頃には、新宿駅南口コンコースと8本のホーム上は完全にクリアにされており、兵士たちは驚嘆したものだった。健二郎と郡司は武器と防具を新しいものと交換し、一休みの後に再び都庁前広場を目指して出発した。

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