第43話 決戦前日
健二郎が進路と言う難敵に直面してから6日が過ぎた。静岡県いいのや市の国立生体工学研究所の花壇には6日前と同じくコスモスが花盛りである。
研究所のヘリポートでは、岡野の部隊の兵士たちが忙しく出動準備を行っている。これより岡野とその部隊、そしてサイボーグ2人とそのサポートスタッフは新宿の明治神宮外苑基地に向けて出発するのである。目的は無論のこと、西新宿での最後の掃討作戦に参加し、ゾンビどもを国内から一掃することである。すでに神宮外苑をはじめ、新宿御苑や代々木公園にはこの作戦に向けて大部隊が集結しつつある。健二郎たちはこれに合流することになっているのだ。
作戦室は人員が出払っていることもあり、対照的に静かであった。健二郎と郡司、そして恵美と田井中、岡野、小松川、栗田の7人は大して緊張感もなくお茶をすすっていた。郡司が湯のみを置いて小松川の方を向いた。
「そういやあ、小松川さん。頼んでおいた例のものはどうなりそうっすか?」
「ん? ああ、あれかい。あれなら4〜5日のうちに届く手はずになっているよ」
「よっしゃあ! ありがとうございます!」
例のものとやらが酒であることは明白であったが、興味を示したのは郡司に次ぐ酒飲みである栗田である。
「ほう。今度はどこのなんと言う酒かの?」
「讃岐の銘酒・崇徳です! 届いたらご一緒にいかがです?」
「おう、ありがたい。ご相伴にあずかるとしよう。ほっほっほっ」
のほほんとした栗田の笑いが終わるより早く、岡野の野太い声が小松川を呼んだ。
「例のものと言えば、小松川よ。あれの続きはまだなのか?」
「ああ、あれなら来週には最新巻が出るはずだよ」
「そうか。それは楽しみなことだ。早いとこ任務を終わらせて少しのんびりしたいしな」
「あれの続きってなんの続きですか?」と野暮な問いを発したのは健二郎である。
「いま月刊少女マルゲリータで連載している漫画のだよ」
「月刊少女マルゲリータなら一昨日、最新刊が出たばかりじゃないですか。小松川さんが娯楽室に置いていったのを私、読みましたけど」
「いやいや、それがねえ山内さん。こいつは昔から単行本でないと読まないのですよ。何のこだわりがあるのか知りませんけどね」
「いいだろう別に。俺はまとめて読みたいんだ」
「ああ、ぼくもどちらかというと単行本でまとめ読みしたいほうです」
「おお、三枝君もそうかね。やはり雑誌だともどかしくてね」
生真面目な田井中は心の内で冷や汗をかいていた。
「明日は最終決戦だというのに、この人たち酒と漫画の話ししかしてない。大丈夫なんだろうか」
このような危機感のまるでない会話を咎めるかのように作戦室に通信が入った。出動準備が整ったという。
「すぐ行く」と返事をした岡野に恵美が声をかけた。
「そう言えば、今回の作戦。ヘリのコードネームはどうなってるんです? 岡野中佐」
「今回は”ベティ”でいきます」
岡野を除く6人は岡野のこの作戦に臨む心意気を見たような気がした。
”ベティ”とは世界的に有名な熊のぬいぐるみのブランド名で、熊のぬいぐるみといえばまず第一に挙げられる。20世紀初頭のアメリカ大統領の愛称が当時発売されていた熊のぬいぐるみの愛称として、いつの頃からか定着したという。
郡司が椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり、決然と言い放った
「ようし、コードネームも決まったところで行くとしましょうぜ! この作戦でゾンビを一掃してやるぞ!」
「うむ。しかし、大勢は決しているとはいえ油断はしないように、最後まで兜の緒を締めてかかろう。小松川よ、留守を頼むぞ」
「安心して任されよ。岡野中佐」
「恵…ああいや、山内さん。くれぐれも気をつけて」
「大丈夫よ、田井中さん。あなたも健二郎君たちのサポートをよろしくね」
「おい、栗田のおっさんよ。ぼくが帰ってくるまでに、ぼくの肉体の無駄毛処理を終わらせておくんだぞ」
「気が早いのう。そんなに慌てんでも、お前さんの肉体は腐りやせんよ」
「腐っててたまるか。待っていてくれよ。ぼくの美しい肉体! さあ、行きましょうか!」
健二郎と郡司、恵美、岡野は連れ立って作戦室から出て行った。後に残った小松川と田井中、栗田の3人は最後だからと見送るようなこともせず、再び茶飲み話に興じ始めた。彼らが湯呑みの茶を飲み干す前にけたたましいヘリの爆音が続けざまに6機分飛び立っていくのが聞こえた。ヘリは今日のうちに明治神宮外苑基地に到着するはずである。そして明朝から最後の掃討作戦が開始されるのである。
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