第42話 今後のこと

「んぐぐぐぐぐぐぐぐ!」

「んんんんんんんんん!」

 健二郎と郡司の濃厚なスキンシップはまだ続いているが、田井中はそれをまったく気にすることもなく謙遜するばかりである。

「いやあ、あの時は確かに大変でしたが、岡野中佐にそこまで言ってもらえるとその甲斐もあったというものです。ですが、ゾンビ掃討が進捗したのは実質、あの装置の開発のおかげでしょう。ゾンビを退治しやすくなったとしても、まずゾンビを捜し出さないといけないのですから」

 田井中が言うあの装置とは、三次元音響探査装置のことである。これはゾンビの足音や呻き声を聴取、解析してゾンビの居場所を特定する装置である。当初はヘリコプターに搭載して運用されていた大型の装置で捜索範囲も限られていたが、それほど間を置かずに小型化に成功したため携行は無論のこと、ドローンに搭載して利用することもある。この装置の登場により、ひとつひとつの建物を虱潰しに捜索する必要がなくなり、ゾンビ捜索は劇的に効率化されたのである。

 田井中はちらりと小松川を見やって小声になった。

「なんでも、あの装置は対潜哨戒機のシステムを応用したものという話ですが、誰がどうやって防衛省に話をつけたんでしょうね?」

「さあ? ぼくには心当たりがないけどなあ?」

「おや? 私は小松川さんが暗躍したのだろうなんて一言も言ってませんが?」

 小松川は参ったと言いたげに肩をすくめた。

「おお、恵美君。ここにおったか」

 とことこと健二郎たちに近づいてきたのは栗田である。研究所でも最年長で、既に70歳に近いが作戦室が開設されて以来、全く衰えを見せない。それどころか老いて益々盛んを体現しているかのような男である。見た目は好々爺だが、4年半前、健二郎を拉致し無断で彼の脳をバレンタイン1号に移植したマッドなサイエンティストである。

「なにか御用ですか? 栗田所長」

「うん。バレンタイン9号のことでの。ところで、この2人はまたじゃれ合っておるのかね」

「ええ。健二郎君が4日ぶりにバレンタイン1号に戻ったので、4日分ですわ」

「むふうむふうむふうむふう」

「ぬふうぬふうぬふうぬふう」

「それで、9号が何か?」

「おう、そうだ。やっぱり顔をロバート・レッドフィールドにしたいと思うんだが、だめかのう?」

「だめです」

 ロバート・レッドフィールドという人物は、この生体工学研究所とは縁もゆかりもない人物で、ハリウッドスターの1人である。落ち着いた初老の紳士を演じさせれば、この人物の右に出るものはいないと言われている。

「つまらんのう。たまにはああいうダンディなサイボーグがいてもいいと思うのだがのう」

「だめです。6号のときに肖像権問題で大揉めしたのを覚えてらっしゃらないのですか? 忘れたとは言わせませんよ」

「老い先短い老人に対してなんと言う仕打ちかのう。小さい頃は素直でかわいい娘だったのに」

「栗田所長とはこの研究所で初めてお会いしたはずですが?」

「そうだったかの」

 あまりレベルの高くもない師弟漫才にわざとらしく割って入ったのは岡野の野太い声であった。

「そうですなあ。バレンタイン号ももう9号にまでなるのですな」

 小松川がさらに追撃をかけた。

「そうだねえ。今、活動してるのは8号までだから、郡司君以来、6人とサイボーグ手術の交渉をしてきたということか。早いものさ」

「小松川君には感謝しておるぞい。よくまあ脳移植手術などという、デタラメな手術の承諾を取り付け続けてきてくれたものだて」

「いえいえ。それほどでも」

「わしの開発したバレンタイン号も第1号は脳波の同調誤差に極めて敏感でのう。1号を稼働し得る脳波の持ち主は300万人に1人という計算も出たほどだった。さすがのわしも諦めようとかと思ったそのときに、三枝君の脳波パターンが持ち込まれてのう。まあ、僥倖よの。少々乱暴なやり方ではあったが、ここでサイボーグになってもらった次第だて」

「はは、少々ですか……」

「だってのう、交渉とか説得とかめんどくさかったんでのう。なにより、もうこんなチャンス来ないと思ったんでのう」

 小松川の引きつった声に栗田は子供のように口を尖らせて抗弁した。

 そのバレンタイン号も技術開発により、脳波の同調誤差に許容範囲が生じたため、現在では1万人に1人の割合で適合者が存在し得るようになった。小松川はその適合者たちの人物を慎重に見極め、問題ないと判定した人物をスカウトしてきたのである。その結果、現在ではバレンタイン号は8号を数えている。


「ぷはあ!」

「むほあ!」

 健二郎と郡司はようやく満足したようである。なぜかお互いに深々と礼をして堅い握手を交わす。

 サイボーグのくせに肌をつやつやさせた両名が話の輪に加わった。

「それで、何の話でしたっけ?」

 健二郎の今更な問いにも真面目な田井中は律儀に応じた。

「この作戦室が発足してから、いろいろ変わったなあという話ですよ」

「ははあ、そうですねえ。俺が来てからってだけでもずいぶんと変わったもんですよねえ。でも俺とサエちゃんの友情は変わらないぜ!」

「はっはっはっ。それはぼくも同意見だよ! グンちゃん!」

 岡野は、健二郎と郡司の尻の撫で合いではなく、スクリーンの地図を見やった。

「諸氏の努力によってゾンビどもを新宿駅から新宿中央公園に至る、およそ1平方キロメートルの範囲に押し込めることに成功した。わずか1平方キロメートルだ。ゾンビパニック発生当初からは想像もできなかったことだ」

 岡野が感慨深げに眺める地図は、かつては関東地方の地図であったが、2年前には東京都の地図になり、現在では新宿付近の地図に差し替えられている。

「次の作戦でその1平方キロメートルのゾンビどもを一掃するんだったかの? 岡野中佐」

 一同の中では最も作戦行動に疎い栗田がのほほんと問う。

「仰る通りです。作戦開始は7日後の午前8時。四方からバレンタイン号と軍の部隊が封鎖線内に突入します」

「なるほどのう。で、ゾンビは後どのくらい残っておるのかの?」

「軍の見立ててでは数はおよそ80万体。これまでの作戦とは桁違いの数です。軍もかつてない陣容を整えていますよ」

「ほほう。この作戦が成功すれば、実質この国からゾンビは根絶されたということになるんだのう」

「はい。いまなお封鎖線から漏れたゾンビが各地で発見されていますが、大事に至る前にすべて処理されております。またあのようなゾンビパニックが発生することはありますまい」

「やれやれ、ゾンビパニックが発生してから8年になるかの。ここまで長かったのう」

「ぼくが拉致改造されてから4年半だ。早いもんだな。栗田のおっさんよ」

「そう言えば、三枝君。お前さん、この作戦のあとはどうするつもりなのかの?」

「この作戦のあと?」

「大学は卒業させてもらったはずであろう?」

「大学は卒業した。あの伊藤だか佐藤だかのおっさんの口利きもあってな。しかし、この作戦のあとか……。うむ、考えてもいなかったな……」

「サエちゃんは公務員じゃないのか? 卒業と就職の見返りにサイボーグになったんだろ?」

「そうだ、すっかり忘れてた。思い出したぞ。おい、栗田のおっさん。ぼくの肉体に無駄毛の永久脱毛処置を施すという話、忘れてないだろうな」

「お前さんが忘れとるのに、わしが覚えとるはずがなかろう」

「今思い出しただろう。忘れるなよ。それにしても、この作戦の後か。確かに就職の話もあのとき伊藤だか佐藤だかいうおっさんたちと話しはしたが……」

「何か思うところがあるの? 健二郎君」

 恵美の問いは何気ないものであったが、健二郎にとってはなかなか痛い問いであった。

「いや、何もないです。本当に何も考えてませんでした。まあ、ぼくの美しさがあればなんとかなるでしょう。はっはっはっ」

 健二郎は能天気に笑ったが、不意に先の栗田と恵美の会話を思い出した。先ほど栗田と恵美はバレンタイン9号の話をしていた。もはやゾンビの脅威は取り払われようとしているのに、なぜ9号の開発が必要なのであろう。栗田は健二郎の疑問にのほほんと答えた。

「そりゃあ、研究自体は続けたいからのう。それにサイボーグは戦うばかりが脳ではないぞ。建設的な使い方は山ほどあるでな」

「なるほど。建設的な使い方か」

「どうした。いつもみたいに減らず口を叩かんのか」

「まあ、あんたが私利私欲のためだけにサイボーグ開発をしているわけではないのはわかってるからな」

「回りくどい言い方だのう。素直にわしが公共への奉仕のために研究しておるとなぜ言えんのだ」

「なにを〜、あんたいつだったかぼくとグンちゃんでバレンタイン計画について問い詰めたときに、テレビアニメに影響されてサイボーグ開発を始めたと言ったろう」

「それは幼少期の話だて。現在のわしの研究は全て公共への奉仕のためのものであるぞい」

「減らず口を叩いてるのはどっちだよ。まったく。そういや、グンちゃんはどうするんだ?」

「俺か? 俺はそうだな。俺もまだ決めてないが、このまま海外のゾンビ掃討に参加するのも有りかな? そんなことが可能なら、だけどな」

「なるほどねえ。それにしても、20代も後半になって進路に悩むことになるなんて」

「はっははは。いざとなれば俺から軍に口利きしてやろう。軍はいつでも人手不足だからな!」

「ふふふ、まあ、ぼくからもいくつか就職口を世話できると思うよ。復興のために人手はいくらあっても足りないからね」

 岡野と小松川の励ましは健二郎にはありがたいものであった。と言うより、健二郎自身、いまさらスーツを着て普通の企業に就職するということは、なかなか考えられることではなかった。彼がこの数年で培ってきたものは他にはないものであったからだ。やはりゾンビパニックの収拾に関わることになるだろう。今のところ、それが健二郎に考えうる限りであった。

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